徘徊といえば、
大抵の介護者の方が苦労する 認知症の症状のひとつですよね。
私のイメージでは、
当てもなくフラ〜っと出かけてしまうのが
徘徊だと思っていました。
母の場合は、
〇〇へ行かなければいけない。
→行かなくてもいいけどね…
いつもの鞄を持って、杖をついて出かけた。
→住所と私の連絡先を書いたカードも入ってるしね。
あれ?誰もいない
→日にちも時間も間違ってるからね〜
そもそも約束してないよね?
あれ?ここはどこ?
→道わからなくなった?
・・・
→携帯電話に出て〜 どこにいてるの〜?
まだ1人で歩けて、1人で電車に乗れた頃は大変でした。
数ある徘徊の中からいくつかご紹介
①約束していると思い込み、22時頃の電車で出かけてしまい、着いた先で終電がなくなった。
→約束は翌日のお昼でしたが時間を間違えて私の知らない間に出かけていました。
なんとか場所を聞き出し、主人が車で迎えに行きました。
②電車で出かけた帰り、改札出口を間違え反対に歩いて行ってしまった。
→間違えている事に気付かず、どんどん家から離れていっていました。
なんとか場所を聞き出し、主人が車で迎えに行きました。
③友達と会った帰り、タクシーに乗ったがなぜか変な場所で降ろされ、迷子になった。
→きっとうまく住所を伝えられず、適当な所で降ろされたんでしょう。警察に保護されました。
歩くのが辛くなり、歩行器を使うようになってからは、
1人で電車に乗る事はなくなりましたが、
私が買い物に出ている時に近所のお店に出かけていたり、
夜中に出かける事もありました。
何度も探し回りました。
あまりにも大変なので、玄関ドアにセンサーをつけました。
1日に何度もセンサーがなり、
その都度私が行きます。
食事中でも、夜中でも…
歩行器はチェーンで窓枠に繋げて動かないようにしました。
それでも、何度も出かけようとします。
毎日毎日、
何度も何度も、
出かけようとする母に苛立ち、
きつい言葉も言いました。
迷子になると主人にも迷惑がかかる。
ゆっくり買い物にも行けない。
自分の家の用事が段取りよく進まない。
あの時は、
私がいっぱいいっぱいで 自分の気持ちを優先しましたが、
母は、ただ今までのように出かけたかっただけだったのでしょう。
友達と会いたい。
習い事に行きたい。
おいしいコーヒーが飲みたい。
買い物に行きたい。
1人で出かけたい。
母の徘徊には、理由がありました。
徘徊というより、
お出かけ。
付き添ってあげたり、
うまくかわしたり、
今なら、なんとかできたかも…と思えます。
なんとかするべきだったんですよね。
結果的に、
母が歩けなくなったのも、
出かけられなくなったのも、
症状が早く進んだのも、
家から出られないようにした私のせいかもしれません。
でもなぁ…
お出かけ(徘徊)して、探すのって、
精神的にも肉体的にもかなりキツいんです
ずっと母に付き合うのも、時間と気持ちの余裕が必要だし…
でも、やっぱり後悔してます…