数奇な運命を辿った、




















































一人のアーティストの
知られざる物語…
彼の名はファルーク・バルサラ
1946年9月5日、当時イギリス領だった
アフリカのザンジバル島に生まれる
その後、インドの全寮制高校へ入学、
イギリス式の厳しい教育を受ける
1964年、流血の民主革命に揺れる
ザンジバルを離れ、一家はイギリスへ…
落ち着いたのはヒースロー空港近くの
労働者階級が住むエリア…
ファルークは、工業団地で
梱包の仕事をしながら
工芸専門学校へ入学、
1966年、美術大学へ進学し
グラフィックデザインや
服飾デザインを学ぶ
時代はロック全盛期

大学はピート・タウンゼントや
ロン・ウッドを輩出していた
ジミ・ヘンドリックスをテーマにした
グラフィック作品を多く描いていた
ファルークは、
次第に音楽へ傾倒し始め、
ここで出会ったバンド「スマイル」に参加
これが1973年にデビューする
Queenクイーンの
前身となるバントだった…
そう、
ファルーク・バルサラとは、
後の
フレディ・マーキュリー

フレディ・マーキュリーの
数奇な半生を綴った映画
ボヘミアン・ラプソディ

現在絶賛上映中

私ももちろん、観ました

フレディは、完璧主義で知られる
ストイックなアーティストである反面、
デカダンでスキャンダラスな
パーティー三昧の日々を送ります
しかし最後の恋人となる
男性との出会いにより
心穏やかな生活に
心のよりどころを
求めるようになります…が、
そんな時、暗い影が…
エイズに蝕まれ
余命僅かであることを
知るのです
エイズ発症後、フレディは、
スイスのモントルーで
恋人と共にひっそりと療養生活を送り
1991年11月、
45年の短い生涯を終えました…


















2006年6月、
初夏の太陽の下
モントルーを訪ねた時のこと…
まず最初に向かったのは
フレディの銅像の前でした

モントルーはレマン湖畔のリゾート地





毎年ジャズフェスティバルが
開催される事でも有名な街です

フレディは、たいそうこの地を気に入って、
頻繁に滞在していたそうです

ジャズフェスティバル会場前には
レマン湖に向かって拳を振り上げる
フレディーの銅像が佇んでいます

フレディに天国での安らかな眠りを
お祈りした後に向かったのは、
スイスの高級化粧品ラ・プレリーの
アンチエイジングクリニック
施術を受けるのではなく
ただただ見学するため

…というのも、
滞在1週間、
1施術で、
約200万円のコースなので
(2006年当時のプログラム)
とーっても手が届きません


実はあるコネクションで、
特別に見学だけの
アレンジをして頂いたのでした
プログラムは最短で1週間、
仔羊の胎盤のエキスの注射をする他は
プールで泳いだり
エステのコースを受けたり
盛りだくさんだそうで、
アンチエイジングではなく、
ダイエットのために
長期滞在するお嫁入り前の
アラブのお金持ちの
女性もいるとか


併設するレストランでは、
普通のメニューと
ローカロリーメニューの2種類が
常に用意されています

ダイエットメニューのオムレツ
パートフィローに
卵を流し込み、
蒸し焼きにしたもの
調理に油は一切使っていないそうです
ルジェ(ヒメジ)のポワレ
上がローカロリーメニュー、
下が通常のメニューです
ローカロリーメニューには
パスタの付け合わせは付いていなくて
バターやクリームも低カロリーのものを
使用していますが、
見た目や味はほとんど変わりません
成人病などで食事制限している人も
心行くまで3ツ星級のフレンチが
食べられるのです

フリュイルージュの盛り合わせ

新鮮なベリー類がたくさん入っていて
とても涼しげでヘルシーな一品


















フレディは、
どんな思いでこの地で余生を過ごし
どのように最期を迎えたのだろうか…
もう少し長生きできていたら
最先端の治療を受けられたのでは…と、
感傷に浸ってしまった
モントルーの思い出でした…

















フレディの命日、11月24日は
モエエシャンドン片手に
キラークイーンを聴きながら、
(She keeps Moet et Chandon
In her pretty cabinet
)
)クイーンの音楽の世界に浸りたい

どんな形であれ、
自己を表現する事の自由と
素晴らしさを教えてくれた
フレディ・マーキュリーよ永遠に











