21年前の「慰霊の日」に私は沖縄に居た。

その2ヶ月前、夕刊の小さな記事にピースボートが初めて沖縄に船を出すというのを見つけて、即資料を取り寄せ…参加した。

その旅で出会った数々の人はいまだに忘れる事が出来ない。

その中の1人に読谷村役場勤務のおじさんがいた。おじさんは村内の「対馬丸」に乗船し生きて帰った人達から証言を記録する仕事をされていた。

私の「対馬丸」に関する知識といえば、アニメ映画の「対馬丸」を小学生の時に観た事がある程度のもの。この機会におじさんに色々と教えてもらいたい、と思い尋ねた。「おじさん、生き証人の方々のお話を聞かせて下さい!」

すぐにおじさんは語りだしてくれるだろうと期待していた私におじさんは言った。「君のような内地の若者が聞きたい、と言って聞いてくれるのは嬉しい…嬉しいけれど、対馬丸は本当に凄まじく辛い話の数々で涙なしでは簡単には語れない……大阪に戻り自分なりに沖縄戦の事や対馬丸について調べてみてほしい。そしてその上でまだ聞きたいと思うならいつでもここに来てほしい。」


 私は少し怒られたような心持ちになり、おじさんのそばを離れた。




そして私は決意した。「沖縄の事をもっともっと知ろう」と…


翌々年の春に沖縄の大学に入り、4年と半年を沖縄で過ごした。





ただ・・・






おじさんの言葉の意味を39歳になった今も考え続けている…






たぶんこれからも…。