反抗期…いつだったかな〜。


もしかして、小学生?


親から見ると言うこと聞かなかったみたいで、椅子に縛り付けられた記憶ある🤣


で、頑張ってもがいて外そうとした記憶…。なんで縛り付けられたかの記憶は無し🤣


何度もじゃないですよ。一度くらい。


自分の意見を持つ子どもでした。


ピアノの発表会で着る服を選びに行った時、ピンクのフリフリドレスが着たかったのに、母が選んだのは、白と茶色のワンピース。泣いてヤダー‼️と訴えた記憶があります。


しかし、うちの母親も自分の思いを曲げる人じゃなかった😂


ランドセルも、赤では無くなぜか紺色にされた😢


これも、母の思い…。


自分にとって嫌なものを押し付けられると、それがなぜ嫌か、どうしてこっちがいいかを考えますよね。


だから、自分の意見を持つようになったかもしれません。


戦ったな〜🤣


そんな経験も影響してか、リーダーシップ資質があったのか、小学生の写真を見ると、学校の集合写真など、いつも真ん中にいる。


当時は気にしていなかったけど…。


自分を抑え、周りの空気を読むようになったのは、中学生の時、転校してからかな。


自分にはどうにも出来ないことがある、立ち向かっても無駄なことがあると知った。


茨城の田舎に転校したからね…アウェイ🤣


高校&大学は真面目な学生で過ごし、社会人になり、親とかに縛られたく無くって、速攻で一人暮らしを始めた。


元々、一匹オオカミ気質があるんだよな〜。


親から見ると、私の反抗期はいつだったのだろう…。


死ぬ前に聞いておこう🤣


育てる上で、何が大変だったのか…。


あ、やめとくかな…。

カチンと来て、ケンカになるかもしれないから🤣


ふと、かつて『クソババア』と言ったことはあるが、『クソジジイ』と言ったことないなと…🤣


そんなどうでもいいことを振り返った。


ま、親父さんは虹の河🌈を渡ってしまったので、もう言えないけどね。


母親から長年に渡って親父さんの悪口を散々聞いたので、もうお腹いっぱいになり、親父さんに対しての感情が薄れた。


なので、あんまり親父さんと話したことが無い…。


結局、娘である私をどう思っていたか、わからないまま、いなくなってしまったな〜。


親父さんも口数が少なかったから、話しかけられることもほとんど無かったし…。


ま、私も親に愛情を求めるタイプじゃなかったので、親からしたら、可愛げが無かったかもしれない🤣


私は母娘で服を貸し借りしたり、自分から手を繋いだりをしなかったので、母親から、『他の娘さんと違う』って言われたことあるけど、他とは違うように育てたクセに…と思う😂


これからも自分の思いを大切にして、信じて、責任を持って生きて行こう。


自由に🎵


※田舎の家に咲いていた釣鐘草


それではまた指差し