「おい、何してんだ」
電話の向こうで親友の声が震えている。
「生活の知恵だよ」
僕は得意げに答えた。
「加湿器でラーメンをゆでるなんて正気か?」
確かに異常な発想だった。でも、この発見は偶然の産物だったのだ。先週の深夜、締め切り原稿に追われていた僕の部屋で起きた出来事。
電気ポットが壊れ、コンビニにも行く気力がない。そんな時、部屋の隅で静かに霧を吐き出している加湿器が目に入った。アイデアが閃いた。加湿器なら、蒸気で麺をふやかせるのではないか。
「いや、聞いてくれ。超音波加湿器って、水を細かい霧にして噴出すんだろ?ってことは、その霧を集めれば…」
「お前な…」
「ラーメンどんぶりを加湿器の真上に置いて、プラスチックの箱で覆うんだ。そうすると中で水蒸気が凝縮して…」
「それ、どのくらいかかるんだよ」
「2時間!」
電話の向こうで深いため息が漏れた。
「なあ、お前が今取材してる『現代の実験料理人たち』って本のために、自分で試してるのはわかる。でも、もうちょっとマシな実験はないのか」
「これこそ最高の実験だよ。味?まあ、確かにちょっとふにゃふにゃだけど、意外といけるんだ。霧と一緒に降り注ぐ静寂が、深夜のラーメンに詩的な雰囲気を与えてくれる」
「詩的な雰囲気はいらねえよ!」
そう叫んだ親友は、一時間後に出前持参で僕の家に現れた。
「おい、原稿なんか後でいいから、ちゃんとしたラーメン食え」
温かい出前のラーメンを前に、加湿器は静かに霧を吐き続けている。やっぱり、これは料理の道具というより、ある種のアート作品なのかもしれない。深夜の実験は、そこで幕を閉じた。
この出来事は、本には「没個性的な調理法の探求」という章で、たった一行だけ記録されることになった。
編集者は「加湿器の件は、伏せておいた方がいいと思います」と真顔でコメントを残した。
そうして僕の「加湿器ラーメン」は、闇に葬られることになったのだが…時々、締切に追われる深夜、加湿器の霧を見つめながら、あの狂気の実験を思い出している。
もしかしたら、あれは疲労と締切のプレッシャーが生み出した幻覚だったのかもしれない。でも、あの夜の加湿器の霧は、今でも忘れられない。
加湿器とラーメンの思い出
