want to と have to
どちらも、中学校のときに習った英語の表現である。
賢い少年少女は、小学校のときに通った塾でもう習ったのかもしれない。
have to は意識的なもの。
want to も意識的なものであるが、究極は無意識的なもの。
無意識のwant toは大きなエネルギーである。
なにかにすごくのめり込んでいるとき、
「私はこれがしたいから、好きだから今やっているの」
と、自分に言い聞かせるようには思わない。
「したいから、好きだから」
とわざわざ意識している時点で、それはどこかhave toの要素をはらんでいる。
本当にしたいこと、好きなことをやっているときは、たぶん気づかない。
ふと我に返り、あとから気づく「恥ずかしがり屋の満足感」である。
いっぽうで、have toによって得られる「ストレス(緊張)」が大きなエネルギーになることもこれまた事実。
「恥ずかしがり屋な満足感」と「ストレス(緊張)」
そのバランスやいかに。