忠平企劃有限公司@松崎と申します。よろしくお願いいたします。

あくまでも私の糖質制限の経験談であります。糖質制限は、個人差があり、一概に同様の事を行っても効果が表れるかはわかりません。ご理解ください。※ 私的経験含む

 

前回Blog :

糖質制限のすゝめ #019 | TAIPEI STYLE CYUBEI 台北スタイル-忠平企劃 (ameblo.jp)

 

【白飯伝説‐①】

 

白米伝説の前に、人類学のお勉強であります 日本人・亜細亜人は元々農耕民族なのでしょうか?狩猟民族なのでしょうか?

日本人や亜細亜人は米食生活だから、農耕民族でと思っている方が多いと思っていますが、人類の歴史をだどるとそうではないようだ

 

 

狩猟民族は文字通り生活の基盤を狩猟に置き、森・平原・海などに生息する動物や魚を狩り、移動しながら生活の糧を得てきた 一方の農耕民族は、主に河川流域に住んで麦や稲を育てて日々の生活を営んできた 作物を育てるために一箇所に定住した

 

 

ヨーロッパにおける農耕文化の開始は、5,000~8,000年前とされ、紀元前5,400年こ頃には中央ヨーロッパにおいて大麦・小麦・豆類を栽培し、犬・羊・牛・豚などを飼育していたことが考古学的に明らかになっている 日本人・亜細亜人はその後2,000年後といわれている 農耕民族になって「炭水化物・糖質」を接種するゆになり、狩猟民族時代の食事は「タンパク質」中心の食生活であった

農耕民族になり、定住する事で地球上の人類は増大して行く

 

【白飯伝説‐②】

 

 

時は流れて江戸時代・日本人の食生活はどうだったのか?江戸の武士ならびに忙しい職人・儲けている商人は、「二汁三菜」の1日三食生活で、主食は白飯 庶民は「一汁二菜」の1日2食が多かったようです 菜の1つは「漬物」ですから、中心は「白飯」でした ただお金に余裕のある時は、それとは別に屋台で「蕎麦」や「寿司」を食べていました 日本の外食文化のスタートは徳川・江戸時代からです

 

士農工商の時代、農民は2番目でしたが、実際「白米」が食べられるのは、年に数回であり、普段は「粟やひえの脱穀」の雑炊や自分達で作った野菜中心の食生活でした

 

次回も「糖質制限」についてお話します。

 

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以上