勝手な映画解釈ブログ
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映画『名もなき塀の中の王』-「暴力」の意味

『名もなき塀の中の王』は日本では20151010日に劇場公開されたイギリス映画である。原題は“Starred Up”Starred Up とは少年刑務所から素行などにより一般の(成人用の)刑務所へ早期移送されたことを指す用語。

 

以下、ネタバレを含みます

 
 タイトル通り未成年ながら成人の刑務所へ移送された19歳の少年、エリック・ラブが主人公。エリックが検査のため着ている服をすべて脱がされ、囚人用の服に着替えさせられるシーンから始まる。ここで、それまでは個人として扱われていたエリックが「囚人」という記号に置き換えられ、外の世界と隔絶した刑務所という小さな社会の中に放り込まれる。エリックは入所直後は一匹狼のごとく振る舞い、暴力を自分で自分を守るための術として使うだけである。心療セラピストのオリバー・バーマーがエリックを集団セラピーに誘うがエリックは受け入れようとしない。この時点ではエリックにとってオリバーはただの他人であり関わりを持つ理由がないのである。しかし、エリックの父親であるネビル・ラブがエリックに干渉することでエリックとオリバーの関係も変わっていく。反抗的な態度とは裏腹に、エリックはネビルに会えることを楽しみにしていた。そんなネビルにセラピーに参加しろと命令されたエリックは嫌々ながらも参加し、徐々にオリバーやセラピーのメンバーと打ち解けていく。しかし一向に息子に打ち解けてもらえないネビルはオリバーに嫉妬(劇中でも言われていた)し、エリックをセラピーから脱退させるように仕向ける。ネビルの思惑通りエリックはセラピーから追放され、オリバーは自ら刑務所を去ってしまう。エリックが築いた他者との関係をネビルが破壊したのである。激怒したエリックはネビルと殴り合いをする。ここで初めて、エリックは自己防衛としてではなく、自分の意思で、自分の好きな父親を理解するために、暴力を振るうのである。この後、エリックがネビルに命を救われるシーンがあり、そこで和解をするような流れになっているが、自分は、親子で殴り合いお互いに独房に入れられる場面において真に二人は理解し合ったのではないかと思う。

 

 

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映画『ダークナイト』における「逸脱」

 「逸脱」とは“平常”、“通常”、“平均”などの言葉で表される一種の“基準”から外れることを指す。つまり「逸脱」するには“基準”となる正常な状態というものが必要なのである。この逸脱が社会に対してなされることを一般に犯罪と呼ぶ。フランスの社会学者エミール・デュルケムは『社会分業論』において、「ある行為が犯罪的であるから我々の共同意識を傷つけるのではなく、共同意識を傷つけるから犯罪的であると言わざるを得ない」と述べている。ここでいう「共同意識」がある一定のカタチを成したものが「社会」である。つまり、我々が“ある行為を「犯罪」と認識するか否か”は我々が帰属する「社会」に依存しているといえるのである。例を挙げて説明すると、“殺人は道徳的に悪いことだから犯罪だ”ではなく“我々の社会では殺人は犯罪だから道徳的に悪いことだ”というような具合である。これ論理は一見、性善説を否定しているだけのように思えるが、ここでデュルケムが述べようとしているのはそういうことではない。デュルケムはこの逸脱論で“犯罪というものは健全な社会にとって正常なことであり犯罪が存在することで社会における共同意識・ルール・聖(=大事なもの)の意味が強くなる”とし、犯罪と社会の関係性を解き明かしているだけである。

 

ここで本題である映画『ダークナイト』における「逸脱」の話に入る。『ダークナイト』は「DCコミック」のボブ・ケインによるアメリカン・コミック『バットマン』を原作とした実写映画作品。前作『バットマン ビギンズ』から再スタートした「ダークナイト(Dark Knight)三部作」の第2作目。『ダークナイト』は主人公であるバットマンことブルース・ウェインと宿敵ジョーカーの戦いを軸に進んでいく。このバットマンというのがいわゆる正義のヒーローでないところにこの映画のおもしろさがある。ブルースは元々、両親を殺されたことから悪に対する強い憎しみを持つようになった男である。しかし、正攻法では腐敗した街で悪を倒すことが不可能と悟った彼は自ら悪と同じ土俵に立つことで、すなわち非合法的(=犯罪的)な方法によって戦うことを決意する。非合法的な自警を行うものとして劇中でバットマンは悪と戦うと同時に警察からも追われる身となる。だが彼は無法者だからといって悪として見なされているか?違う。彼は腐敗した街を浄化するという目的があるがためにゴードンから、ゴッサムシティの住民から、そしてブルース本人からもヒーローとして見られているのである。この状況がジョーカーという犯罪を起こすことが目的の愉快犯の登場によって一転する。ジョーカーはマフィアを利用しバットマンを追いつめ、仮面を取り正体を明かさない限り殺人を続けると宣言する。これによって映画内世界の世論はバットマンのせいで犯罪が増加したとしてバットマンを悪とみなすようになった。これはつまりバットマンの所属する社会(ゴッサムシティ)における「逸脱」の「基準」が変わったということだ。元々“法律上は”バットマンもジョーカーも同じ逸脱者でしかない。犯罪者を減らしてくれるというただ一点でバットマンはゴッサムシティの“共同意識”から容認されていたのだ。この「犯罪を減らしてくれる」という点が消えた時、バットマンはジョーカーと同じ「逸脱者」であることを自覚させられると同時に「逸脱者」の限界を見るのである。


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はじめに

このブログは自分が映画について特にテーマも決めず淡々と文章を垂れ流すだけの保存庫のようなものです。新作について思ってことを書く場合もあるかもしれませんが観た映画すべての感想を書いていくつもりはないです。てきとーに書いてるのでどうか生暖かい目で見守ってください