戦前、近衛文麿、吉田茂と知り合い、戦後は吉田茂の側近として敗戦からの復興、経済の安定化、高度経済成長路線の確立(通商産業省の初代長官、今の経済産業省)、日本国憲法制定の現場に立会い、GHQ占領下からの日本独立宣言、サンフランシスコ講和条約の締結。

稀代の目利きを持ち合わせ、いち早く貿易立国を標榜し、日本の早期独立と経済復興のために、「時代の黒子」として多大な功績をあげた「うるさ方」。


資源を持たない日本経済を輸出貿易立国としてグランドデザインした白洲二郎。吉田茂の懐刀として、サンフランシスコ講和条約へ同行、日本国憲法の制定におけるGHQとの闘い。電力事業の民営化。大のクルマ好きでオイリーボーイと呼ばれ、武士道(騎士道)を原理原則とし、プリンシプル貫いた生き様。とても惹かれる。

今の時代に生きていれば、彼は何を思い、何を憂い、どう行動しただろうか?


今は他界されているが、いつか八王子の武相荘には行ってみたい。


http://www.buaiso.com/



※白洲二郎 占領を背負った男 北康利 ISBN4-06-212967-1



Wikipediaによると、


その時代や分野において支配的規範となる「考え方」、「認識の根本的な枠組み」(パラダイム)が、革命的かつ非連続に生じた場合、そのパラダイムを拠り所に既存のルールが大きくされること。同時に「パラダイム」は時代とともに変化する。狭義では科学革命と同義。


パラダイムシフトの例として、まず旧パラダイム(例:天動説)が支配的な時代は、多くの人(科学者)がその前提の下に問題解決(研究)を行い、一定の成果をあげるが、その前提では解決できない例外的な問題(惑星の動きがおかしい)が登場する。このような問題が累積すると、異端とされる考え方の中に問題解決のために有効なものが現れ、解決事例が増えていく。そしてある時期に、新パラダイム(地動説)を拠り所にする人(科学者)の数が増えて、それを前提にした問題解決(研究)が行われるようになり、以上の動きが繰り返される。


とのこと。


18世紀後半から19世紀初頭にかけて、物理学においても、微視的な領域でニュートン力学(正確には熱力学)では説明のつかない現象が垣間見られていた。ニュートン力学における「エネルギー」の概念は「連続」であることが前提であったが、プランク定数で有名なマックス・プランクによって、光のエネルギーは、最小単位の整数倍の値しかとることができず、微視的領域において、エネルギーは「不連続」であると定義した。量子力学の始まりである。


その後、アルベルト・アインシュタイン、ニールス・ボーア、ヴェルナー・ハイゼンベルク、エルヴィン・シュレディンガーなどによって、量子力学が確立され、現代物理学として今日の新パラダイムとなっている。


そんな物理学におけるパラダイムシフトの前夜、日本にもこの変化に気付き、行動した人物がいた。


ノーベル物理学賞受賞者として誰もが知る、湯川秀樹、朝永振一郎を育てあげ、「日本の現代物理学の父」と称される人物、仁科芳雄である。


ニールス・ボーアを師事し、ハイゼンベルクをはじめ、後の新パラダイムをもたらす若くて気概のある研究者たちと共に研究し、7年半を過ごして帰国する。


当時、熱力学を旧パラダイムとしていた日本の学界では、招待してくれる大学が見つからず、理研の長岡半太郎研究室に所属。当時国内では例のなかった量子論、原子核、X線、宇宙線の研究を行い、1940年にサイクロトロン(*1)を完成させ、ボーアやハイゼンベルクを招待している。


今でいう現代物理学の中の一領域、原子核物理学、核分裂による膨大なエネルギーを得ることが米国の科学者たちによって判明し、第二次世界大戦下の米国で、原子力爆弾の開発が進んでいく。


仁科は、米国の科学技術レベルを把握していたため、戦争に反対するも、時代(帝国陸軍)がそれを許さず、彼らの指示で原子力爆弾の基礎研究を始め、製造の可能性を示唆するに至るも、広島、長崎への米国B-29の原子力爆弾の投下、そして玉音放送による太平洋戦争の終結、日本の敗北。


そしてGHQの占領下による原子力爆弾、サイクロトロンの取壊しによって、彼の研究が戦争に利用されることはなく、戦争に仁科のパラダイムシフトが利用されなくて良かったと思う。


*1 サイクロトロン

荷電粒子加速器。電子に高エネルギーを与えて加速させ、粒子同士の衝突実験に利用される施設。似たような施設として、シンクロトロンがある。シンクロトロンは、粒子の加速とともに、磁場を強くし(磁界成分の変化)、周波数を調整して(電界成分の変化)、加速する粒子の軌道半径を一定になるように維持し、電子にエネルギーを供給し続けて、円軌道で集会させる大型施設。日本では播磨地区のSpring-8(第3世代)や、つくばのフォトンファクトリー(第2世代、通称:KEK)が有名。なお、近代物理学におけるシンクロトロンの役割は大きく、第3世代シンクロトロンは、世界に3つしかない(日本[兵庫県播磨地区]:Spring-9、米国:APS、欧州[フランス グルノーブル]:ESRF)



Wikipediaによると、

儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、仁・義・礼・智・信の5徳が実践として表される。

とのこと。

では5徳の意味とは?

「仁」・・・他人に対する優しさ

「義」・・・正しい行いを守ることであり、人間の欲求を追及する「利」と対立する概念

「礼」・・・様々な行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称

「智」・・・物事や道理を識知/判断/推理する精神作用。知恵。真理を観ずるところの知恵や悟りの意

「信」・・・欺かないこと

なるほど、生活している上で遭遇する、他人のこのような行為(思想)に都度、尊敬の念を抱く。

女性の品格なる書籍が売れているらしい。


どのような内容なのか、興味深々だが、気恥ずかしくて買えないので諦めよう。


さて、ここ10年来、いや藤原紀香が登場してからだろうが、強いオンナが受けている。昔の強いオンナは、芯が強く耐え忍び、包容力のある気立ての良い女性、つまり内面が評価されていたが、このオンナは、世間の強いオンナのイメージを変えてしまった。外見や女性として最もらしい生き方、資格(着物の着付け)やボランティア、ちっぽけなカタチにこだわるオンナで品格のかけらもない。


このオンナ、男女平等を楯にとり、オトコに媚びず、社会に媚びず、着物の着付けに始まり、オンナ磨きと称して自由奔放に生きて散々遊んだあげく、勢いのなくなった肌と体を自覚した途端に世間受けの良い陣内と結婚。その後、テレビでの露出が増え、世間に受け入れられるべく路線を修正したフシがある。知能犯だ。


恐らくこのオンナ、子供は産まないだろう。少子高齢化によって相応しくない女性像だ。場末のスナックで顔にシワを刻みながら果ててほしいと切に願う。


細木数子がいう女性論に賛成だ。知恵の詰まった実家のおばぁちゃんも賛同している。オトコとオンナは役割が違うのに、紀香ファンに多いが、オンナがオトコを打ち負かそうとしている、周囲はそれを求めていないにも関わらず。


一方で都合の良い時(または悪い時)は、そのシーンによって、最適なオンナという武器を身に纏う。自分さえよければよいという思想が助長され、外見が重要視され、内面を見ようとしない、社会モラルの低下に寄与している。


彼女を企業広告に使う企業は、利益重視で社会的存在価値の低い企業だと見えて仕方がない。


やはり女性は、大らかで気立てがよくて料理や家事が苦にならず、家族を陰ながら支えて家庭を守ることのできるオンナがよい。


「外見に気をとられてはいけません、ヒトとして、オンナとして大切なことは今も昔も変わってません。

 しっかりと内面を見て良き伴侶を見つけて、そして幸せな家庭を築きなさい。」


81歳目のおばぁちゃんの知恵です。



8月3日付の日経朝刊に、日本の3大都市圏に占める人口の割合が、遂に日本全体の50%を越えたという記事が一面に掲載されていた。


インターネットなどの情報革命によるユビキタス社会の到来は、皮肉にも大都市圏に、ヒト モノ カネを集めていると言える。


人口ボーナスの終わった日本、「格差」はより一層広がるだろう。地方と大都市圏の「格差」のひらきが政治にあるとされる風潮があるが、情報革命によって齎された効率化も理由の一つではないかと思う。この効率化の流れは、今のところ留まる気配を見せず、より一層「格差」は広がるとも思う。


ではこの「格差」を縮小するためにはどうすれば良いのだろうか?


一つは、地方分権を推し進め、国から各自治体に法とカネ(税金)の裁量権を大幅に譲り、地域自治体を挙げてある事業領域に特化してはどうかと思う。構造改革による権限委譲と地域に根ざした選択と集中だ。例えば、


・北海道  農業、漁業

・東北   漁業、農業

・関東   サービス業

・中部   製造業

・近畿   バイオ関連

・中四国  農業

・九州   製造業(半導体と自動車)


環境汚染と食料需要増加が地球規模で進行する中、農業はより一層、重要度が増してくるだろう。また、規制緩和による採算性向上の改善が大きく見られると思われる分野だ。


IT技術やロボット産業やバイオ技術が発達している昨今、日本の四季や伝統を生かし、国内需要はもとより、Made in Japanブランドによる農作物の輸出について、ヒト モノ カネが集まる仕組みづくりが、格差解消の一手段だと思う。


政府の政策に期待している。


「年寄りの助言や指摘には耳を傾けて聞きなさい。」

幼い時から家族や親類によく言われたものだ。

右も左もわからない駆出しの社会人時代、当時の尊敬する上司から教わり、また幾度の異動と転勤を経て、いま自分の置かれている環境を見渡して、今後より一層求められる能力とは。。。ふと考えてみることにした。

それはセンスだと思う。では、このセンスとは何ぞや。

それは経験を重ねることで身につく経験則だと思う。

ではその経験とは?

Wikipediaによると、

知識の前駆として習得する物であり、体験を通して培われる。また経験を通じて得た知を、人は言葉ですぐに表すことができず、経験によって知っている知識のことを、「経験知」または「暗黙知」という。なお、更に経験を積み重ねることによって、一定の範疇で物事の判断がつくことを「経験則」といい、経験則が形成されるためには、成功・失敗を問わず膨大な経験を積む必要があるだろう。

とのこと。

一言で経験といえば、なんとなくわかるが、掘り下げて考えてみると、

・ある「時」、

・ある「場所」で、

・「誰」と

・見たり、聞いたり、臭ったり、触れたり、

など五感を通して得た情報を、各個人が

・「どのように感じ」

・それを「どのように受け止め」

・過去の体験と照らし合わせ、

・「イメージ」したことを、「アウトプット」し、

・成功や失敗を繰り返し、

・様々な「気付き」や「発見」を繰り返して「アンテナ(視点)」を増やし、

・様々な情報の中から、その都度最適なアウトプットを繰り返し、

・その繰り返しによって学習する知識

が経験だと思う。言い換えれば、経験とは、知恵とも言える。

自らが経験していない「事」を経験している先人の言葉には、経験や知恵が詰まっている。

戦前には、尋常小学校で「修身」(今でいう道徳)の授業が多かったと聞く。この修身、素晴らしいのは、「何が良くて何が悪いか」を教えていたという。それに基いた自尊心、大和魂とでも表現すればよいのだろうか、つまり、修身を受けて育った昔の人たちは、価値観や思想、観念が、現代社会よりも共有できていたということ。

昨今は、現代社会はあらゆる面で複雑になったため、価値観や思想、観念も多様化し、それを許容していると思われる。ルールにさえ従っていれば何をしてもよいという風潮、アメリカ資本主義が招いた拝金主義の横行。日本人としてのアイデンティティ、つまり思想や観念が軽薄なものになっているように感じてとても寂しい。

家庭で教える教育とは、修身であったり道徳であるべきだと思うのだが、どこの家庭も「偏差値教育」から抜けきれていない。「偏差値」は、社会において個人を測る一つの尺度でしかなく、もっと重要なことは、その個人がどういう価値観や思想、どのような道徳心の持ち主なのかだと思うのだが。

インターネットの登場により、様々な情報が入手できるのはとてもよいことだが、最近の20代は自ら経験したことがないにも関わらず、平気な顔で「知っている」という。オレは昔人間なのかもしれないが、自ら経験していないことに対して発言する際には、恥ずかしさを感じる。

インターネットや携帯電話などのIT技術による膨大な「知識」の入手と情報伝達スピードの向上、マーケティングデータマイニング、暗黙知やナレッジマネージメントなどの学問的手段。これらの条件は、望めば誰でも入手できるものだ。

この誰でも入手できる情報は、IT技術によってより一層コモディティ化していくだろう。このコモディティ化した情報を、個人の経験(知恵)とセンスによって、何を「イメージ」し、「どのようにアクション」し、そして「何をアウトプット」して、「誰に受け入れられるのか」、を「イメージ」することがとても重要な気がする。

少しメタ認知っぽい終わり方になってしまった。。コミュニケーションや日本語とは何と難しいことか、、痛感する。

いよいよ今年から700万人~900万人といわれる団塊世代の大量退職を迎える。戦後の日本高度経済成長を支えたオヤジたちが物凄い勢いで退職することとなる。

今日は天下りと地方自治に対する税金ついて書いてみようと思う。

就労者人口の大多数を占める団塊世代が退職を迎えるとどうなるのか? 『金の流れ』に主点をおいた最も大きな変化、歳入が劇的に減るということだ。つまり、今までは『所得税』とゆう形態で納税していた納税者がドンドン減って行くとゆうこと。

更に07年に退職を迎える人たちが、年金受給を行使できる権利が65歳から始まる(正確には60歳から受取れる権利が発生しているが)。つまり、07年+5年=2012年からは、国の歳出が大幅に増えることになる。

昨今、政治家が『国のプライマリーバランスを2011年を目処に黒字化する』と掲げているが、オレの推測ではあるが、国は以下の現状と推測を元に『2011年』とゆう数値目標を掲げていると思われる;

・2007年から歳入減少(団塊世代=納税者の減少開始)

・2012年から歳出増大(団塊世代=年金受給者の増加開始)

以上が団塊世代を主体的に捉えた際に想定される今後の金の流れについてだ。

まずは天下りと特殊法人について。

今の日本は、民主主義国家と謳いながら、つくづく官僚社会だと思う。社保庁についてもそうだが、旧態依然とした護送船団方式から抜け切れていない。キャリアの人たちは優秀な人がほとんどだと思うが、組織とシステムが、結果的に変革を後回しにしていると思う。

本来、パッチワーク的資金対策としての特別会計の規模が、いまや一般会計のそれを大きく上回り、相互補完し合っている(特別会計から一般会計への金の流れが圧倒的に大きい)。また、国会で一度決めた予算を、簡単に補える補正予算。また、天下りシステム、つまり多数の特殊法人を抱え、窓口業務のみ行い、限りなく面倒で長い商流とゆうフィルターを掛けて、特殊法人にマージンを落とし、実践実行は下請け民間企業にマル投げ。このシステムにどんな必然性や機能があるのか、じっくりと検証してほしいものだ。既得権益の保守と、くだらない面子やコネだけではないのかと思う。責任感の無い事業を繰り返し、資金が足りなければ増税する。ふざけているとしか思えない。



さて、次は地方自治体について(もちろん『金の流れ』が主体)。付け加えると、事務系職員の待遇を減らし、且つ効率を上げて頭数を減らし、消防や警察官、教師の待遇は改善していいと思っている。

今の地方自治体は、
・歳入の多くを地方交付税に頼り、
・歳出の多くを職員の人件費に充てている。

地方交付税は、国が都市と地方の『地域格差』を埋め合わせるために、地方自治体に配分されているが、上記の金の流れに注目すると、この『地域格差』とは、『自治体職員の給与格差』を埋め合わせるために使われているとも言える。

そもそも自治体職員の給与は、人事院が定める『ある規定(水準)』に基づいている。この『ある規定』で定められている判断基準(数値)は、民間会社におけるある一定の資本金を満たし、且つ従業員数も100人以上と定められているらしい。

一方、地方の民間企業(地方が本社の企業)において、この『ある規定』を満たしている企業は非常に少ない。

つまり、現在の地方自治体の給与水準は、地方民間企業に準拠しているわけではなく、大都市圏に本社を置くいわば大企業や優良企業の給与水準に準拠していることになる(中川幹事長曰く、地方公務員の給与は、その地方水準の2割程度高いとのこと)。

地方では物価が低く、民間企業社員の給与も大都市圏に比べてとても低い。一方で地方自治体職員の給与はなかば『大都市圏準拠』とも言い換えることができると思う。
・大都市圏準拠にしなければならないほど、そんなに大変な仕事内容なのだろうか?
・関係各所に摺り合わせの上、難解な各種調整作業(関係各所の利害関係の調整)が必要な業務内容はどれほどあるのだろうか?
・有名国立大や有名私立で習った高等知識や高学歴が、一体どれほど必要な職業なのだろうか?

・女性職員に対する待遇が良すぎないか(男女共同参画が行き過ぎていないか)?


つい最近、北九州の男性が生活保護を受けられなくて、自宅でひとり餓死していた。国の都合上、生活保護予算が削られているため、支給のハードルが上げられているそうだ。現場の職員は、あるルールに則って対処していると思うが、本来、国は、何はもとより、弱者を助けるセーフティーネットであるべきはずだ。そのセーフティーネットが機能しなくなってきている、否、もともと伸び盛りだった日本が、面倒なことや難解なことに蓋をしてきた結果、余裕の無くなった日本の金の流れが細っていて、その結果、シワ寄せが弱者に集まっていると見ている。

昨今、格差拡大とメディアでよく見かけるけれども、この格差とは、「官」「民」格差なのではないかと思えて仕方がない。しかもモラルが低く、志も卑しく、自分たちのことしか考えない公僕が多い限り、日本に未来はないだろう。


書ききれないほどの憤りや疑問は果てしなく続く…


辰吉も好きだ。信念を持ち、茶目っ気もあり、心優しくもあり、決して諦めない不屈の闘争心を持つカリスマ。人を惹きつけるあの人間力。すばらしいの一言だ。

プロデビュー最短でWBCのタイトルを獲得するも、直後に網膜裂孔を煩い、王座を返上。その後復帰するも、ビクトルナバナレスとタイトルマッチを行い敗戦。敗戦後の記者会見で、「負けたのはボクじゃなくて弟の丈二郎」と言い張っていたあの心根。そしてリターンマッチの後、見事ナバナレスを判定で倒して王座に復帰。その後、網膜剥離を発症し、当時、網膜剥離を煩ったボクサーは引退しなければならないルールを変えてまで、ボクシング会に復帰。暫定チャンピオンとなっていた薬師寺と、圧倒的有利との下馬評の中、タイトルを掛けて対戦するも敗戦し、王座から陥落。その後階級を上げ、2度にわたりスーパーバンダム級王者 ダニエル・サラゴサに挑むもいづれも敗戦。周囲は、もう王座復帰は無理といわれる中、バンダム級に階級を戻し、圧倒的不利を予想されてシリモンコンと対戦し、見事に王座返り咲き。漢だと思った。その後、ウィラボンに敗戦し、王座を明け渡すも、再度ウィラポンへ挑戦。しかしながら、敗戦。

昨今、商業主義的なマッチメイクが多いボクシング業界において、強者に挑み続け、負けても負けても立ち直って向かっていく、あの心根。。あれほど人に感動を与えるボクサーは、もう二度と現れないかもしれない。今でも現役を続ける辰吉、見事4度目の世界王座に返り咲いてほしいものだ。

先週、辰吉の息子 寿希也くんが、プロボクサー宣言をしていた。まだ中学3年生なので、線も細く、凄みも感じられないが、カリスマ 辰吉の背中を見続けてきた息子さんなので、あの不屈の闘争心を受け継いでいてほしいと思う。オレにとって身近な存在であり、ヒーローでもある辰吉の息子、デビューすれば、文句無く必ず応援する。2年後が今から愉しみだ。

「 忍耐は苦し(にがし) されどその実は甘し 」

「忍耐」を座右の銘としたを野口英世さんの記念館に、この言葉が残っているそうです。野口英世さんもそうですが、「苦労人」が纏う人を惹きつける雰囲気、あきらめないで自分を信じつづけ、幾たびの困難を乗り越えてきた経験、その経験から放たれる言葉は、「言霊」とも感じるほど深く、そして広い。偏差値社会が教えられない、学歴や肩書き以上にとても大切な「事」。「思想」や「観念」とも言える。

F1を初めて見たのは、中学生のとき。ネルソン・ピケ、アラン・プロスト、アイルトン・セナの時代だった。いづれもドライバーも若くしてその才能を発揮し、そしてワールドチャンピオンという結果に結びつけた名ドライバー達だ。しかし、オレが最も惹かれたのは、ライオンハート、レッドファイブこと、「ナイジェル・マンセル」。当時、マクラーレンのセナ・プロストが2強、絶好調のセナをレースで抜き去った爆発的な速さと、そのアグレッシブなドライビング、爆発的な速さを見せるときは、ポールポジションを獲得するもレース数週でクラッシュ、または後続集団の中から、闘争心むき出しに、驚異的なスピードで猛烈に追い上げて、並みいるドライバーを抜き去り優勝するという危なっかしさ、とにかく強く憧れを感じた。

F1ドライバーになるために、持ち家を売り借金を重ねながらレースに挑み続けてきたマンセル。80年にロータスでデビューし、念願のF1ドライバーになるも、85年のウィリアムズ時代に遅咲きの初優勝。その後も同僚のピケと折り合いが悪く、ワールドチャンピオンになれずにフェラーリへと移籍。当時低迷していたフェラーリにおいても、持ち前の闘争心で優勝を重ね、名門復活を印象づけたと子供ながらに感じていた(当時は熱烈なマンセルファンで、フェラーリのプラモデルを緻密に塗装して作成し飾っていた)。その後、古巣ウィリアムズへと移籍し、アクティブサスペンションを搭載した新型FWシリーズで、15戦中ほとんど優勝、しかもポール・トゥ・ウィンが多く、圧倒的な強さを見せつけ、悲願のワールドチャンピオンを獲得した。

本人は、「 忍耐は苦し されどその実は甘し 」と思っていたかどうかはわからないが、凄まじい闘争心を持つ不屈のライオンこと「ナイジェル・マンセル」は愛さずにはいられない。


辛いことや困難に遭遇した時は、自分と見つめ合う良い機会だと思う。

失恋、職場の人間関係、収入、両親や家族のこと。。困難に遭遇する度に、落ち込み、自分を返り見て、困難から逃げないで立ち向かう気概がとても大事なんだと感する。

学生までは、自分の都合の良い環境で育ち、いわば井の中の蛙だと思う。しかし、社会に出るとそうは行かない。様々な人に出会い、沢山の苦難を経験し、逃げることなく、真摯に向き合い、真面目に一生懸命生きていくことが大事だと思う。

幸いなことに、自分はとても恵まれた環境で育ってきたと思う。収入的には中流階級のチョット上だったと思うが、今更になって感謝しているのは、両親の教育方針だと思う。

母親は、生来の楽天家であると同時に、決して表には出さないが、苦労をしてきたと思う。四国の庄屋の娘として生まれ、製薬会社の重役奥さんからも可愛がられて育つが、8歳と時に母親が病死。父親が再婚すると同時に、○○家へ養子として出された。幸い、○○家の義母は、母親と遠い血縁関係があり、義父・義母ともにとても穏やかな人だった。最近、母親が言っていたけど、この時期が人生で一番辛かったと言っていた。その後、成人して年頃を迎えた際に、今度は義父が他界。残ったのは、大祖母l、祖母、母親の女3人だった。

普通なら結婚できない、誰も好んで婿来なかったとも言っていた。親父との結婚に際しても、大祖母、祖母の面倒を見るのは自分だと思っていたのだろう、嫁には行けないと断ったそうだ。親父は長男だけれども、幸い、弟がいて、いろいろあったと思うが、○○家へ婿養子として来て、そしてオレが生まれた。

○○家は、代々続く家系であり、幼少のころから「○○家 7代目 嫡男」と言われて大きくなった。小さいころは、この文句に何も感じなかったが、社会人になり出会う人から珍しい苗字ですねといわれ、この年になり、自分とは何か?と調べてみることにした。手掛かりは、我が家の家紋、苗字、宗教、母親の言葉、お墓の数、近所の大おじいちゃんの言葉、オレの記憶など複合的なことから取り掛かってみた。

変わった苗字なので、インターネットで出目を調べてみたところ、藤原氏もしくは桓武平氏とあった。更に家紋は三ツ和であり(桓武平氏)、宗教は真言宗御室派(皇族も真言宗御室派)、お墓参りする墓石の数は、20石程度、ナンバースクール卒業で、松平家の子孫である近所の大おじいちゃんも、我が家はとても古いと言っていた。ふと学生時代の地図のバイトで立ち寄った神社を思い出した。我が家の苗字を冠どった神社、インターネット上に40年前の動画もアップされていた。そういえば、我が家は江戸時代に寺子屋をやっていた時期もあったらしい。親族の学歴についても、東大・京大は見当たらないが、旧帝大、国立大、有名私立は普通にいる(そういえば、オレも受験に際して、○○家として恥ずかしくない大学に行かなければという思いもあった)。

高貴な出目だと言うことがわかったが、今でさえ妬まれ易い境遇なのに、この事を他人に言うと嫌われるんじゃないかととても不安であると同時に、知ってほしいという矛盾した葛藤がある。

また、こういう家系の長男に生まれてしまったということから、逃げないで、真摯に受け止めて、真面目に生きようとも強く感じる。○○家の歴史に負けないで、自尊心を持って、関係する人たちに喜んでもらえるように生きなければとも思う。そして両親の面倒はオレが見よう、決して婿には行けないなとも思う。