今回は熊野三山の1つ、熊野那智大社と一体として修験の聖地となっていた西国三十三所第1番で如意輪堂から一寺院となった青岸渡寺(せいがんとじ)です
山号は那智山で宗派は天台宗、開基は裸形上人で御本尊は如意輪観音です
この那智は熊野三山の中でも元から神社としてではなく、那智の大滝が自然信仰として神聖視された場所で、一体となっていた熊野那智大社も創建がいつかはハッキリとはしていません
しかし、伝承ではこの青岸渡寺の原型ができたのは仁徳天皇が治めた4世紀にインドから渡来してきた裸形上人が開基し、那智滝の滝壺で発見した金属製の如意輪観音を御本尊として安置したことがお寺としての始まりとされます
そして推古天皇の勅願寺(天皇の命によって国家鎮護を祈るため創建された祈願寺)となり、西暦600年前後には伽藍が建立され、御本尊を安置する“如意輪堂”が建てられます
ここから先は隣接している熊野那智大社と一体となり、熊野権現として多くの寺と坊舎を有する修験道場として信仰され、如意輪堂は修験の中心地となり、花山法皇がここに参籠、こちらを西国三十三所観音の1番に定めています
戦国時代には織田信長の戦火にて炎上しましたが、豊臣秀吉によって再建されています
明治時代になると神仏分離にて寺の勢力は落ち、熊野本宮大社と熊野速玉大社と同様に仏教色を全て排除されそうになりましたが、西国三十三所観音の1番であったためひとまず保留、しかし仏像・仏具は補陀洛山寺に移されます
そして1874年に信者達によって天台宗の寺院として独立、豊臣秀吉との縁から、大政所の菩提を弔う高野山の“青巌寺”から「青岸渡寺」となりました
こちらは仏教の修験色の三重塔と日本一の落差と言われる那智滝、そして山々が美しい独特の景観となっています
それでは御朱印です