久保田城 | Shotaの日本旅行記 〜日本の素敵〜

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社寺と風景、お受けした御朱印に100名城スタンプを載せています。
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また、後で見返す事を前提としているのでたびたび前の記事を編集しますが、ご了承をお願い致します。

 
今回のお城は現在千秋公園の中にある城址として知られる、秋田・久保田藩主の佐竹氏の居城であった久保田城(くぼたじょう)です
 
 
久保田城は別名を矢留城、葛根城、そして秋田にあるので秋田城と呼ばれます
 
ただ、秋田城は古代の迎賓館と思われる秋田城が別にあり混乱を招く可能性が高いです
 
城郭の構造は平山城、天守はなく、現在見られる代表的なものは復元された御隅櫓です
 
 
この久保田城(窪田城)が築城されたのは西暦1604年、久保田藩初代藩主の佐竹義宣が神明山と呼ばれた丘陵に土塁と櫓座敷と他の櫓8棟を建てました
 
石垣はなく、建物の基盤にわずかに使っているくらいです
 
石垣がないのは一説に幕府に遠慮したためと言われています
 
また、西暦1633年の火災以前には御三階櫓が存在したという説がありますが、資料が残されていないので確証はありません
 
その後も西暦1778年や1797年に出火して本丸や櫓が焼失する事態が起こっていますが、復旧を行っています
 
 
明治に入ると戊辰戦争で久保田藩は新政府軍を指示したため、近隣の庄内・盛岡藩から攻撃を受けて1868年に秋田戦争が勃発しましたが、仙台・米沢藩が降伏したのを受けて庄内藩が撤退したため久保田城は戦火を逃れています
 
そして1871年に久保田藩は秋田藩、城下町は秋田町に改称しました
 
その翌年に本丸に秋田県庁が開庁、さらに翌年に存城となりますが、1880年に大火が発生、城内の建物はほぼ全焼してしまう事態となってしまいます
 
1890年には陸軍省から佐竹氏に城跡は払い下げられ、本丸・二の丸は秋田市が佐竹氏から借り受けて現在の千秋公園となります
 
 
近代では1989年に御隅櫓が、2001年には本丸表門が復元されています
 
また、千秋公園内に鎮座する八幡秋田神社が2005年に放火によって焼失、2008年に再建されました
 
 
千秋公園の正面入口は以前の松下門跡ですが、藩の時代の正式な登城口は黒門から入るものだったそうです
 
 
 
⚫︎千秋公園(久保田城)入口
 
 
⚫︎表門
 
⚫︎千秋公園内
 
⚫︎第12代久保田藩主・佐竹義堯公の像
 
⚫︎御隅櫓
 
 
⚫︎御隅櫓からの秋田市街
 

 
 
それではスタンプをぽんっ!
 
 
◇スタンプは久保田城御隅櫓受付か、佐竹資料館にあります
 
 
 
◆日本100名城ガイド久保田城ページ◆
 
 
 
 
 
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