今回は韮崎にある、武田氏の発祥の地で氏神として崇敬された神社、武田八幡宮(たけだはちまんぐう)です
社伝によると武田八幡宮が創建されたのは西暦822年、この地に宇佐神宮の分霊を勅命によって勧請、地名を取って武田八幡宮と称したことに始まるとされます
また、同年に空海の夢でこの武田郷に八幡大菩薩が出現したとも言われています
この地は日本武尊の子・武田王が御殿をここに構えた事が武田の地名の由来とされる場所で、以前からこの場所には武田王が祀った武田武大神の祠があり、武田王の亡骸も鰐塚に葬られていると伝わっています
そして清和天皇の時代に社領の寄進がされたとされ、その後に武田氏の祖で清和源氏の流れを汲む武田信義(源信義)がこの武田八幡宮を武田氏の氏神と定めて社殿の再建などを行ったそうです
このため甲斐の国司や守護職も造営を行うなどして崇敬しており、戦国時代には甲斐守護職の武田信玄(武田晴信)が西暦1542年に再建・造営を行ったと記録されています
ちなみにこれが信玄が国主となって最初の事業となります
この後も武田氏はこの武田八幡宮を特別視して庇護していましたが、長篠の戦いなどで織田信長に武田氏は敗れて滅亡してしまいます
武田氏の滅亡後は徳川家康が甲斐国の領主となり、家康は西暦1583年にこの武田八幡宮に社領を安堵、また、造営を命じたとされます
江戸時代にもここは甲斐国でも特別視されており、将軍や甲斐国主の代替わりの際には役人達が参拝、甲斐国内の不穏時には国主から神事を依頼されて祈祷が行われました
それほど甲斐国でこちらの神社は影響力を持っていたとされています
現在はその場所もあってかかなりひっそりとしていますが、本殿は国指定の重要文化財で、他にも鳥居などが有形文化財に指定されているなど、甲斐・武田の歴史を今に伝えています
⚫︎鳥居と楼門
御朱印は紙をいただいたと思ったのですが見つからなかったので、見つかり次第記載したいと思います
◆武田八幡宮ホームページ◆