今回は境内入口が江ノ電の踏切であり、歴史的には源義経が兄の源頼朝に自分の心情を訴えるために送った腰越状を書いた場所として伝えられるお寺、満福寺(まんぷくじ)です
山号は龍護山で宗派は真言宗大覚寺派、開山は行基と言われ御本尊は薬師如来です
満福寺の開山は西暦744年、伝説の僧・行基によって開山されたと伝わるお寺です
このお寺が歴史的に有名になったのは西暦1185年、源義経が兄・源頼朝の怒りを買ってしまい頼朝のいる鎌倉へ入れてもらえずに手前の腰越に留められた際、その弁明として提出された腰越状を書いた場所がこちらと言われています
ちなみに武蔵坊弁慶が下書きを書いたとされます
頼朝が義経に怒りを向けたのは幾つかの理由がありますが、特に頼朝の許可なく朝廷から官位を受けた事が大きいとされます
これは頼朝が当主としての威厳を損いかねない行為で、団結力が崩壊する恐れがあるものでした
源氏は元から身内争いが多い一族で、他者に舐められるような要素は内部崩壊を起こす可能性が高く、これを危惧していたとされます
また、義経に官位を与えた後白河法皇は朝廷より権力を持つ可能性がある頼朝を脅威としており、その牽制として官位を与えたとも言われています
このため壇ノ浦など様々な戦いで名を挙げた源氏の英雄・源義経は、兄である源頼朝に不信感を持たれて滅びの道へ向かうことになります
こういった事情から、腰越状はこの兄弟の不和がハッキリと記された資料として大変貴重なものとされます
ちなみに立場の弱い者に肩入れすることわざの“判官贔屓”は、前述した後白河法皇から判官の官位を与えられた源義経のこの古事から来ています
満福寺はそれほど境内は広くありませんが、中を拝観できるなど歴史好きにはたまらない場所で、江ノ電も近くを走るのでとても興味深い場所となっています
⚫︎境内入口
それでは御朱印です
◆満福寺ホームページ◆
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