今回のお城は戦国最強と名高く、その赤備えの部隊を見れば屈強な武将でも震え上がったと言われる武田騎馬隊を率いた武田信玄の屋敷、武田氏館(たけだしやかた)です
別名は躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)、というよりこちらが正式な名前で武田氏館のほうが別名です
現在の館跡地は武田神社が鎮座しています
こちらは現代において資料的価値が高い中世の城館跡で家臣屋敷や城下町も一体となった造りになっており、実際にこちらへ行く際にまっすぐ伸びた坂道を登っているとその雰囲気を感じると思います
この館は甲斐源氏の嫡流である武田信虎(武田信玄の父)が石和からこの地へ移動した事から始まっています
そして武田信玄は領地を拡大してもこの地を本拠地とし、強固な石垣や櫓を築いたり天守を備えた城を造らず館のみだったのは、信玄の言葉「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の通りで人が集まった館はそれだけ信頼できる場所だった、ということでしょう
そして信玄は戦いにおいて攻めの姿勢で当たっており、強固な城を築かずとも敵陣を攻めて落とせば守る必要なしとしていたそうです
その考えは武田の旗印で有名な孔子の兵法の1文章“風林火山”に表れています
ちなみに北側には支城で武田信玄(信晴)が生まれた場所とされる続100名城の要害山城があります
⚫︎武田神社入口の石垣
⚫︎武田氏館
それではスタンプをぽんっ!
◆武田神社武田居城の躑躅ヶ崎館跡地に鎮座する神社
◆新府城武田勝頼が建てた新たな居城
◆要害山城武田信玄が生まれた支城