今回のお城は八戸の河岸段丘に巡らされた城で、南部師行が南朝方の根本になるようにと築いた根城(ねじょう)です
根城は甲斐国(山梨県)から来た南部氏の1人、南部師行によって築かれた城で、本丸を含めた5つの曲輪(ここでは館と呼称)が連なった連郭式平山城です
こちらは南北朝時代に建てられており、本丸に儀式を行う主殿や工房などがあり、時代が下っても城でイメージされる天守は建てられていません
それに石垣もなく、土塁や空堀といったシンプルな構造をしています
こちらを建てた南部師行は、南と北に朝廷が分かれていた中で南朝側に与しており、西暦1338年、陸奥国の国司・北畠顕家と共に南朝の援軍として和泉国に赴いて北朝の足利尊氏と戦うも敗れて討死、そのあとは弟の南部政長が根城を継いでいます
南部政長も南朝へ忠義を尽くして室町幕府(北朝)から送られた降伏勧告をはね退けますが、南朝はどんどん劣勢となり弱体化、それと共に南部氏の勢力も弱くなります
室町時代にはこの根城の南部氏は八戸氏と呼称され、以降もここ八戸を拠点としました
この時代の周囲は分裂した同族の南部氏同士で幾度も小競り合いを起こすなど混迷していましたが、そんな中で次第に三戸の三戸南部氏が力をつけていきます
そして安土桃山時代の1590年、小田原征伐の手柄として豊臣秀吉が三戸の南部信直に陸奥の南部領を安堵、こうして八戸南部氏は三戸南部氏の配下として飲み込まれました
八戸氏はこれ以降も根城を拠点としましたが、江戸時代になると三戸の南部利直が盛岡に城を築いて盛岡藩を開き、八戸は盛岡の藩領となった後、八戸氏の八戸直義は遠野城に移封となり、根城は廃城となりました
この城は中世にはどんな城があったかを伝えるような、石垣や漆喰塀などがない素朴な造りをしています
⚫︎城門
それではスタンプをぽんっ!