おはようございます☀本格的に寒くなりましたね🍃
今回は平家の滅亡の地であり、壇ノ浦の戦いにて入水して幼くして亡くなった安徳天皇を祀る、赤間神宮です
赤間神宮は冒頭でも記した通り、平家方が追い詰められて平氏のほとんどがこの場所で入水していき、平氏の血を継ぐ安徳天皇も母の建礼門院や祖母達と共に入水しました
この時安徳天皇は現代の齢で六歳という幼さだったそうです
その霊を鎮めるためこの場所にあった阿弥陀寺に御影堂を建てて平家ゆかりの尼に奉仕をさせたのが元となります
明治になり廃仏毀釈の時風を受けて阿弥陀寺が廃寺となってしまい、その後は天皇社となった後、改めて赤間宮に改称し、昭和15年に官幣大社となったのを機に現在の赤間神宮と名を改めました
元はお寺から始まっているのと、その事情から平家のお墓があり、独特の雰囲気があります
この神宮で最も特徴的な水天門は、太平洋戦争の時に赤間神宮が焼け落ち、再建の際に竜宮城をイメージして建てられました
これは安徳天皇入水の際、祖母の二位尼に抱き抱えられたときに「どこへ行くのか」と仰ぎ見、その返答「海の底にも都があります」というところから竜宮城の着想がきています
名前の水天は、壇ノ浦の戦いの後、平氏ゆかりの伊勢という人が安徳天皇と平家一門を弔うため現在の福岡県久留米市に祠を建てて祀ったのが起源の水天宮に由来します
ちなみに赤間は地名で、下関を赤間関と呼んでいたところから来ているようです
⚫︎社号標
平家一門の墓で、平氏の通り名「盛」が入る名前の人が多いため、「七盛塚」とも呼ばれます
昔話・耳なし芳一の舞台はまさにこの赤間神宮で、芳一を呼んでいた霊はこの平家の霊と言われています
平家の無念は怨恨となって襲ってくると昔から恐れられていたのが分かります
それでは御朱印です
御朱印帳は他にも種類がありました
この壇ノ浦で源義経幼名牛若丸が八艘飛びをしたというお話から躍動感ある像がありました
壇ノ浦は歴史で習ったので知っていましたが、まさかこんなに近くのお話だとは思っていなかったですね
それと安徳天皇入水の際、三種の神器も共に沈みましたが、鏡と勾玉は引き上げられています
唯一、現在熱田神社の御神体である草薙剣は引き上げられませんでした
本物か形代かは分かりませんが、今もこの関門海峡に眠っているのかもしれません