いろんな遺跡探訪
今回の元寇防塁跡は元軍がここから上陸してきたため、激しい防衛戦が行われた地、百道の元寇防塁です
この辺りは元々海に面した干潟で、百道原(ももちばる)と呼ばれていました
百道というのも多くの人の往来があった中、干潟なので歩いた人の足跡が残って交差する様子からつけられた地名だそうです
そんな百道は冒頭の通り、文永の役の際にここから元軍が上陸して戦場となった場所であり、この事がキッカケで防衛のため石築地を築こうとなったのではないかとおもいます
現在この石築地がある場所は地下鉄の藤崎駅から北、海に向かって進んだ先の住宅街の中にありますが、往時にはここが海岸線ですぐ海だったと思うと地学的にも大変面白いですね
こちらの石築地を担当した国は不明らしく、14世紀半ばまでは修理していた記録があるようなのに、そんなことある?って思います
特徴としては粘土を敷いて基盤を安定させた上に石を積み上げているとの事
石は近隣や能古島から運んできたのではないかとされます
石築地の頭部分だけなので分かりにくいですが、元寇防塁跡なんだなって思ってみると迫力が出てくる…ような気がします
こちらは広場の隣りの家
この交差点に行くと…
元寇防塁跡の石碑が!
何故か史跡標だけポツンと離れているので見落としがちです
ここ百道や祖原、鳥飼はまさに激戦地だったらしく、蒙古襲来絵詞にもこの地が描かれているものがあります
特に騎馬武者の竹崎季長が蒙古軍と戦い、てつはうが爆発している絵は鳥飼での戦いだと言われています
ここもいずれレポートしたいと思います
次回はここからすぐ、西新の石築地です









