歴史探索
蒙古襲来絵詞の松(塩屋の松)
教科書など、元寇を調べれば出てくる騎馬武者と元軍の交戦の様子を描いたもの
「蒙古襲来絵詞」という肥後の御家人・竹崎季長が描かせた巻き物の一部分として有名ですね
この矢やてつはうが飛び交う戦いは"鳥飼潟の戦い"というもので、2回にわたって襲来した元軍との戦いのうち、1回目の"文永の役"にて、赤坂山(現在の福岡城)を中心とした"赤坂の戦い"で敗走した元軍は麁原山へと撤退
立て直しを図り、陣地にて銅鑼や早鐘を打ち鳴らして陣営を鼓舞、そして鳥飼潟という干潟へ進行します
その鳥飼の松の下で相対したのが、竹崎季長の一団
そして交戦となったのが鳥飼潟の戦いです
絵では分かりにくいですが、干潟での戦闘だったんですね
そして、ここは現在だとどこだろう?となった時、特定の目印がありました
松の木です
⬆︎この絵の松の木、「塩屋の松」と呼ばれ特徴的な姿をした美観の松として有名なものらしく、絵詞の文章にも"元軍が麁原から来て塩屋の松の下で合戦となった"と書かれています
そしてその戦の場所ですが、まず鳥飼というのは福岡市の中央区と城南区にまたがる場所で、樋井川という川が通っており大濠公園の池が近いです
現在は住宅が広がっていますが、当時は干潟でぬかるんでいたと記録にあります
現在も樋井川が潮の満ち引きで水が引いた時に当時を思わせる干潟が見られます
こちらが樋井川
向こうの橋は鳥飼橋だったと思います
そこから東に一個先の橋へ向かうと…
塩屋橋という橋があります
塩屋は古い地名ですが、橋の名前として残っていました
歴史に立ち会っているようで感動します!
干潮だったのか砂地が見えていました
これはいぼりそう
実際竹崎季長は元軍を追い詰めようとして馬がいぼって体勢を崩し転落、惜しくも取り逃したそうです
そしてこの塩屋の松は今もあるのか?と調べたのですが、残念ながら寿命で倒れてしまったとの事
しかし近くの鎮守である鳥飼八幡宮の社伝によると、地域住民により扁額にして残したとされます
ではその扁額はどこにあるのかと調べたら、少し北の埴安神社に奉納されているとあり行ってみました
こちらが埴安神社
鳥飼八幡宮が境内社としてありますがこちらは元宮らしく、元々ここに鳥飼八幡宮は鎮座していたと思われます
訪れた時近所の方が掃除されていて、手入れが行き届いていました
社殿の中を覗くと…
これが"塩屋の松"で作った扁額!
うねっていて絵の松の特徴を感じます!
これがあの絵の松なんですね!!
御伽話のようで実感が湧かなかったですが、こうして実際にあると現実味を感じます
そして元寇の舞台は本当に福岡だったんだと改めて感じましたね
あの有名な絵はどこなのかということは結構知られていないと思います(自分も知りませんでした)が、こうして調べるととても面白くて歴史の奥深さを感じました
この思いが伝わって福岡の魅力を感じてもらえたら!という気持ちで元寇防塁や塩屋の松をまとめてみましたが、いかがでしょう?
次回は始めの方で触れた元軍が撤退した場所、麁原を紹介したいと思います








