皆さんこんばんは
いいね!コメント沢山いただきありがとうございます。


娘がお空へ逝ってしまってから、主人は益々私との会話が減ってます。
元々私が話して聞き手でしたが、それでも笑ったりして会話がそれなりにありました。


翔が癌になった時に、先生から初期だからと言われ私はそれを信じて完治すると思っていました。
後から聞きましたが、翔が次々転移して長くないことを先生から何度も呼ばれて
一人で耐えていたこと。
私は初期と聞いていたので、抗癌剤治療をすることで完治して高校に行けると思っていました。
亡くなる寸前まで何がおきているのか?
えっ翔は癌が広がらないように、足の手術もした抗癌剤、放射線をしたのに
私は初期だからと言われ治ると信じていたので、亡くなってから主治医を恨みました。
大きな声で「嘘つき」って

主人は一人で耐えてたんですよね。


もう長くないと先生に言われ、亡くなる寸前まで主人は仕事も休職しました。
亡くなってからは、パパも私もうつ病になり周りがみえなくなっていました。
主人は休職後仕事に復帰しました。
復帰してから、会社の方が気を使い営業にも行かせてもらえず
会社はそんなつもりもなく、今はゆっくりデスクだけにしてという気持ちからだったようですが、主人は長く休みいらないと勘違いしてしまったようで、止められても退職しました。

息子が亡くなってから5年くらいたった頃に私に言いました。
あの時子供を亡くし正しい判断が出来ないのに退職をしたことを後悔してると



去年かなが亡くなる前に、東京へ行くようがありかなもはる君を私に預けて、転勤で会えなくなった友達がクラス会を開いてくれると言うので一緒に東京へ親子でいき、
初めて親子で夜飲んで楽しかったと今度はこんなお店に連れて行ってあげるからと約束していたそうです。
かなも「お父さんと初めて飲んだけど弱いわー」って言っていました。
かなは酒豪だったので
はるを産んでから初めてのお酒だったから美味しかったと


その二週間後にかなはお空へ逝ってしまい、それから主人はあまり話をしなくなりました。

はるはやっぱり孫なんですよね。

子供を二人授かり二人も亡くして、最初で最後にお酒を酌み交わした娘がいなくなるなんて

私達にとっては翔を亡くしたときに、かなが生き甲斐で生きてきました。

ある方から言われました。
自分がいなくなるとわかっていて、はるを産んだんだよって

テレビを観ていて、「これ翔が好きだった番組だね、かなはこのタレントが好きだったんだよ」
と言っても何の返事もない、子供達の話はかなが亡くなってから主人は一切しなくなりました。

翔が亡くなったときには、「翔がいたらこれ買ってただろうね」とか自分から話していたのに


私も何とか明るくと思っていても、主人といることがしんどくなる時があります。
嫌いとかではなく、二人にしかわからない悲しみ辛さを共有しているのに、自分だけ辛いようにもみえてしまって

30年も一緒にいると顔を見ただけでわかります。
薬も飲んでますが元気がない

何年かしたらまた元の主人に戻ることを願うばかりです。


私も自分の、精神面を安定させるのに精一杯です。

父親として、母親として悲しみがまた違うのかもしれませんが
はるがいるから元の主人に戻ってほしいです。

誰にも言えない
ここにしか吐き出せない


はるは翔そっくりで、すくすく育ってます。