避難所は数々回らせて頂きましたが、その一部についてお話し致します。まずは石巻の湊と渡波周辺の避難所となっていた幼小中学校(法山寺幼稚園、鹿妻小学校、湊中学校、湊小学校、渡波小中学校、渡波駅など)また、石巻の各避難所(開北小学校、釜小学校、大街道小学校、門脇中学校、石巻みずほ幼稚園)そして(女川中学校、女川一、二、四小学校、女川第三小学校女川第四保育所、荻浜小中学校、元大原中学校)などに支援物資を届けておりました。また仙台方面も閖上地区の仮設住宅や多賀城などにも伺わせて頂いておりまた。当時は様々な支援物資の届け方があり届先での記帳の際の宛名は協力して頂いた方々なお名前を記載するようにしていました。やはりあくまでも繋ぎ役として活動しておりましたが、届先の被災者の方々が入った写真を求めている方々(被災者の方々の感情を察しない)の支援は予めご遠慮して頂いていた状況もあり当時の画像はあえて残していません。
その様な活動をしながら今後浮き彫りになってくる問題をテーマごとに考えた結果やはり限られた人数で出来るものとして「繋プロジェクト」と「一次二次産業復興プロジェクト」の二つに絞り進むことに。絞ると言ってもどちらともテーマは大きいのですが(汗)
当時辛うじてあった画像を掲載します。
女川の子供たちの思いを載せた本
「まげねっちゃ」詳細はこちら
http://www.27p.jp
支援物資などを運びながら皆様の話をお伺いしているとやはり問題になっていたのは地場産業の復興、即ち一次二次産業の事です。皆さんご承知の様にこの度の震災でより深刻な問題を抱えていたのが津波の被害があった沿岸部でした。ただでさえ甚大な被害をもたらした津波に加え追い打ちをかけるように原発の被害、その土地に根付いてきた水産業などは致命的な被害を受け更にそれに伴い地元の方々の生活にも直結する大切な「雇用」を失ったのです。一言で震災の被害などと言えない現状に苛立ちを通り越し怒りを覚えました。しかしこのまま指をくわえていても起きてしまった現実は変わりません、少ない可能性を信じ動き出す事に。まずは大きな問題の一つに一次産業の衰退に直結する土地の被害と海の被害を考えましたがスケール大きさに立ち往生、加えて非常に長きに渡り被害をもたらすであろう原発の問題と話は堂々巡り状態…この地域の方々は日頃培ってきた技術がある、簡単ではないけれど、せめて場所(土地、漁場)さえあればと考えていた時です、メンバーの知り合いから連絡が。話を聞くと当時の日本の状況を大変心配して下さり何か力になれればとの内容でした。全く想像も出来ない考えてもみない発想ですが、可能性は少ないけれど試す価値はあるのではと思い始め、どうせ何もしなければ何も変わらないと開き直り泣け無しのお金を叩きインドネシアに行く事になったのです。
女川の子供たちが書いた本「まげねっちゃ」詳細はこちら
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早いもので震災から一年が経過しました。今まで余り表には出していませんでしたが、改めて我々のこの一年の活動を少しづつお話させて頂きます。
震災直後の状況は抜粋しながら少々おお伝え致したかと思いますがその後の動きです。
我々も周りの皆さんと同様、支援物資集めて運んだり炊き出しの手伝いをしておりました。繋プロジェクトのメンバーと出会ったのもその頃で、4月当時「今は周りの皆さんが支援して頂けるから助かってるけど、次の段階に進まないと…」と思ったきっかけが被災した方々からの直接の声でした。「いつまでも迷惑かけられない」「十分支援して頂いたのから」などと遠慮する声や「今は無理だけど早く自立したい」「早く支援される側から、支援する側になりたい」との意見など反映し被災した方々の自立を直接応援支援出来る仕組みはないだろうかと考えた結果が「繋プロジェクト」でした。
我々も被災して資金が無い現状でしたので直接的な支援物資及び支援金の提供は難しい事から被災した方々と支援者を直接繋ぎ自立的な復興を目指す方々の背中をそっと後押しする事は出来ると考えました。震災当時Twitter、mixi、FacebookなどSNSでの情報が多くの方々を救った事実(安否確認など)もあり防災の観点からも東北でもにわかに注目が集まり始め見直されてきている状況から判断しインターネットを活用した仕組み作りに。しかしそんなシステムは無く一から作る事となりました。
まずは支援物資を持って行った先の方々から意見を聞き反映する作業に。
「まげねっちゃ」販売開始
詳しくはこちら
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震災直後の状況は抜粋しながら少々おお伝え致したかと思いますがその後の動きです。
我々も周りの皆さんと同様、支援物資集めて運んだり炊き出しの手伝いをしておりました。繋プロジェクトのメンバーと出会ったのもその頃で、4月当時「今は周りの皆さんが支援して頂けるから助かってるけど、次の段階に進まないと…」と思ったきっかけが被災した方々からの直接の声でした。「いつまでも迷惑かけられない」「十分支援して頂いたのから」などと遠慮する声や「今は無理だけど早く自立したい」「早く支援される側から、支援する側になりたい」との意見など反映し被災した方々の自立を直接応援支援出来る仕組みはないだろうかと考えた結果が「繋プロジェクト」でした。
我々も被災して資金が無い現状でしたので直接的な支援物資及び支援金の提供は難しい事から被災した方々と支援者を直接繋ぎ自立的な復興を目指す方々の背中をそっと後押しする事は出来ると考えました。震災当時Twitter、mixi、FacebookなどSNSでの情報が多くの方々を救った事実(安否確認など)もあり防災の観点からも東北でもにわかに注目が集まり始め見直されてきている状況から判断しインターネットを活用した仕組み作りに。しかしそんなシステムは無く一から作る事となりました。
まずは支援物資を持って行った先の方々から意見を聞き反映する作業に。
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