◆同時刻 東京◆
圭子は、封書を見つめていた。
差出人はない。消印もない。だが――中身を見るまでもなく分かる。
(あの女だ)
封を切る。中には紙が一枚。ハングル。整った筆致。

読み進めるにつれて、圭子の表情は変わらない。
だが、呼吸がわずかに浅くなる。
――選抜に漏れた後の処遇
――転属
――思想点検
――監視
――逃亡
(生き延びたか)
最後の一文。
「会おう」
場所と時間。具体的すぎる指定。
圭子は紙を折る。丁寧に、正確に。
(来ると思っている)
それは命令ではない。
だが――“拒否を想定していない書き方”だった。
◆金沢 南分室◆
「先輩」田所が言う。
「もしこれが……北の案件だとしたら」
渡辺は即答しない。代わりに、窓の外を見る。
「真一君」静かに言う。「この国はな」
振り向く。
「“見て見ぬふり”で成り立ってる部分がある。でもな、見ちまった奴は、戻れない」
沈黙。田所の胸に、重いものが落ちる。
(俺は……どっちだ)
◆東京・隅田川沿い◆
雨が降っている。細く、冷たい雨。
圭子は、傘を持たずに歩いていた。
指定された場所、吾妻橋付近。人混み、観光客、ざわめき。
その中に、“異物”が一つ。
(いる)
視線を動かさない。だが、分かる。
背後、三メートル。気配、呼吸、立ち位置。
(李白梅)
誰かが落ちた。ざわめきが広がる。人が動く。視線が逸れる。
“完璧な攪乱”
圭子は、動かなかった。そして、背後の気配も動かなかった。
(試している)
どちらが先に動くか。それは再会ではない。
“選別の続き”だった。
つづく


