何もできない人
と決めつける人間が
嫌いだ。
これくらいなら
出来るだろうと、
見下す。
代わりの人間は
いくらでもいると、
言い捨てる。
その程度の管理者の
代わりなど
いくらでもいる事を
知らないらしい。
生物は
出来ることをいつも
探している。
役割と名付けられている。
それが私にしか出来ない
なら特別な存在と
言ってもらえる。
その褒め言葉を人間は
欲しがる。
かけがいのない人、
かけがいのない存在、
誰とも違う人になることに
若い頃は何故、
あれ程に憧れたのだろう。
これも学校教育や
社会の仕組みの弊害
なのだろう。
個性を磨けとは、
そんなことだろうか。
経済活動における
商品価値・希少価値を
上げる取り組みの延長だ。
経済的価値のない人間は
不要という常識が
誕生した。
この役割はこの人が
上手だと言われたい。
そして
私だけの特別な人に
特別な存在と思われる
ことさえできれば
十分幸せになれるのに。
幸せと社会活動のベクトル
は、ほとんど逆方向
になってしまったようだ。
特別な存在をありがたがる
社会は、もううんざりだ。
修正された
原型をとどめない偶像を
崇拝している。


