落ちこぼれ5人組ヴォーカル・つんくが挑んだ奇蹟のプロジェクト!
「モーニング娘。」成功秘話
タイトル つんく物語
ーモーニング娘。デビュー編ー
1997年9月
親しみやすい名前がええなぁ
たこ焼きシスターズ、はははっ(そらないなぁ)そうや モーニングサービス…
ははは’モーニングサービスのみなさんでーす’はははは、モーニング…モーニング5
モーニング娘。
……
モーニング娘・・どう?ええんちゃう?
えっ・・えっ決定ですか?
決定や!!
へんな名前!
ワハハ
1997念9月14日オンエア中のアサヤン会場
ユニット名は「モーニング娘。」に大決定!!
この時
「娘。」の「。」は要るんですか?
要ります
誰も予想すらできなかったであろう
後に出す曲出す曲ビッグヒットを飛ばす
超人気アイドルグループに成長することなど…
更にグループ内のユニット「プッチモニ」「ミニモニ」「タンポポ」も大人気
今や「モー娘。」を「知らない」という人などいないはず
この国民的ユニット
モーニング娘。-
それはこの失笑を買う命名から始まったのである
これはモーニング娘。の生みの親つんくが
プロデューサーとしての体験を自ら語ってくれた物語である
だってそうやろ
紅白で「たこ焼きシスターズ」って…
「たこ焼きシスターズ」で清涼飲料水のCMもないなぁ(そ…そうですねェ)なぁ
あと最大売れた時どうなる?アジアに進出したらどうなる?
そんなん全部シミュレーションして付けた名前ですよ「モーニング娘。」って…
なるほど!!その命名からプロデューサーとしての仕事が始まったわけですね!!
いやいやちゃうで!!最初は名前だけ付けたんや。シャ乱Qのボーカルの看板も背負ってたし(スベるわけにもいかへんし)
…。あの…ひょっとして乗り気じゃなかったとか…?
イヤ乗り気じゃないってよりも、まっテレビやし…「つんくがイジると番組的に面白い」って言うし…それで視聴率取れるんやったら仕事として成り立ってるって…軽い気持ちで…
1997年8月某日都内某所
ええっ!!落ちこぼれを!?
番組から つんくでお願いしたいってオファーがあってさァ(シャ乱Qチーフマネージャー)
ま・・確かにシャ乱Qとしては 今の活動が時間的にめいっぱいやし イレじゃなボーカルで音楽が作れないかと思ったけど…。プロデューサーか…確かに誰にも言ってなかったけど イレにとって目標の一つでもあるし(妄想中)でもシャ乱Qのボーカルとしてこれはアリなんかなぁ?。あいつら ついてこれますか?オレ厳しいですよ
それを何とかしちゃうのがつんくじゃない
番組的には5人の中から誰をどう使ってもOKらしいよ
この5人はTV番組アサヤンで行われたオーディションで最終選考まで残った10人から選ばれた。つまり このオーディションの優勝者は平家みちよ。いわば彼女たちはオーディションの落選組であったのだ
(落残れを使って番組を盛り上げるのかぁ…)
それでね、アサヤンの番組の中でインディーズのCDを発売させたい
はは面白いじゃないですか
それも5日間で5万枚…
いっ5日で 5万!?。それはちょっと無謀ちゃいます?オレらシャ乱Qもインディーズ時代1000枚売るのがやっとやったのに
そう でもやってみようと思うんだ。で…もし売れ切ったら…。その後は…つんく、おまえが…
オレが…プロデュース…。でも5日で5万なんて…
この時つんくはプロデューサーよりもシャ乱Qのことで頭がいっぱいだったのだ…
1997年10月5日
サエキけんぞう作詞桜井鉄太郎作曲のモーニング娘。「愛の種」のレコーディングが始まった
最年長中澤裕子OL(24)
24歳の私にはこれが最後のチャンス、絶対メジャーデビューしたい
石黒彩元短大生(19)
やっと掴んだチャンスだよ
飯田佳織高校生(16)
いざとなったら学校辞める
福田明日香中学生(12)
絶対5万枚売りたい
安部なつみ高校生(16)
小さい頃からの夢だったんだから
(もうちょっとかナ)はい
絶対歌手になりたい!!
次いってみようか
まだまだやなー
あの もう一回お願いします。納得いかないんで…
私たちのCD
わー
まだ泣かないの!!これからなんだから
そうだよ。私たちの目標はメジャーデビュ-
そうそう
がんばろうねー
うん、がんばろう
「がんばって5万枚売ろう」
当時あるCDでも1日の売り上げ最高枚数はミスチルの700枚…課せられたノルマは1日1万枚。とてつもないことにチャレンジしようとしていたのだった
本当に…。私たちに5万枚売り切れるかどうか…すごく不安になってきて…
なんやもう終わりかい。せっかくCDまで造ってもろうてるのに、こんな恵まれた環境で音を上げとったら先は見えてる。やっぱりおまえらには無理かもな。メジャーデビューなんて。やっぱ落ち組や
私たち…つんくさんに…
落ち組から這い上がるのはとても大変なことなんだよ。昔 ボクが担当していたんだけど、メジャーどころかライブハウスのオ-ディションにすら落ちていたダメなバンドがあった「君たちみたいな分かりやすいのはライブハウスには要らない」って言われて、だったら自力でファンを拡張して見返さなきゃ といつも考えていたらしいんだ。そこで思いついたのが人の集まる所での無料ライブ。それも最初はまったくダメだった。お客は素通(すどぅ)り。それでも頑張って、2年間続けるうちに…、ファンが1人増え、また1人増えて…百人…二百人、そしてついに大阪アマチュアバンドナンバーワンと言われ。メジャーデビューまで漕ぎ着けた、あいつだって「落ち組」出身なんだよ
(それって、つんくさんのこと!?。私たちと同じ「落ち組」!!)
しかもあいつら デビューしても事務所が全然金かけてくれないんで楽器なんか全部自分たちで運んでサァ。寒い冬なんか手がかじかんで機材が持てないって、缶コーヒーなんかで手を温めたりして。そこまでしてるのに、ほとんどお客が入らない日もあった。それでも つんくたちは1つ1つ全力でやってたよ
(そうだよ)やろう!!1つ1つ全力で!!一人でも多くの人に私たちのことを知ってもらおうよ
こうして彼女たちそれぞれのアイデアによるPR活動が開始された
手売りイベントやりまーす
地元のテレビ出演は言うに及ばず。有線廻りやレコード店へのあいさつ
中澤は勤めていた会社の上司の伝を辿って学園祭のミニライブを取り付け
石黒は同級生名簿の住所にダイレクトメールを送り
飯田は手書きのビラを配って1軒1軒訪問
福田は中学校で構内放送を流してもらい
安部は地元室蘭の市長と会って市挙げての応援を取り付けた
こうしたPRが功を奏したのか
初日大阪で1万5千枚
福岡9千枚
三日目ではトータルで4万枚を超え
夢のメジャーデビューに向けて着実にCDを売っていくのであった
そして5万枚達成まで残り1万枚
4日目名古屋にてカウントダウン
5万枚達成ー(おめでとうー)!!
正直つんくはこんな番組の演出がなくても本人のチカラで5万枚売れると信じていた。しかし実際売り切る姿を目の当たりにして熱いものがこみ上げてくるのを抑えられなかった
(カッコ悪…庶民丸出しや…)おまえらの本音がやっと世の中に見えてきた。そこがええところや。これこそロックンロール。落ち組の底力や…(同じやんか…)庶民が芸能界で成功するのは大変やで。それはシャ乱Qでよう分かってる。死んだ気でやるしかない、こいつらにはその覚悟がある
っというわけで つんくが前面的にプロデュースをすることになる
この時初めて つんくは自ら強い意志を打ち明け「モーニング娘。」をプロデュースすることを本人たちに伝えたのだった(丸)