ウォルフガング・アベル              マリオ・ファーラン

 

ウォルフガング・アベルとマリオ・ファーランのふたりが逮捕されたのは1984年3月3日のことだった。イタリア北部マントヴァ付近のディスコで、ピエロ姿でガソリンを撒いているところを逮捕された。火をつけられたら大惨事である。その時、この店では400人もの若者が踊っいた。やがて警察は、アベルの部屋で「ルートヴィヒ」の犯行声明文を発見した。かくして、イタリアを震撼させていた連続殺人犯「ルートヴィヒ」が彼らであることが判明した。

「ルートヴィヒ」による最初の犯行は1977年8月にまで遡る。自動車に火を放ち、車内にいたジャンキーを焼き殺したのである。パドヴァではカジノの従業員が刺し殺された。ヴェネチアではウェイターが刺し殺された。彼はゲイだった。34箇所もの刺し傷があった。滅多刺しだった。ヴィチェンツァでは売春婦が斧で殺され、2人の聖職者がハンマーで頭蓋を砕かれた。そして、ヴェローナでは路上で眠っていたヒッチハイカーが焼き殺された。

 

トロントの聖職者殺害事件は最も残虐であった。彼はゲイだった。額には釘が打ち込まれ、十字架が吊るされていた。ミラノではポルノ映画館に放火した。5人の好色家が焼け死んだ。国境を跨いだミュンヘンでもディスコが放火され、ひとりが死亡、40人が重傷を負った。これも「ルートヴィヒ」の仕業と見られ。以上から判る通り、「ルートヴィヒ」のターゲットはジャンキーにゲイ、売春婦に好色家など後ろめたい感情を抱かせる者だった。

 

つまり「ルートヴィヒ」にとって一連の犯行は退廃的な者に対する「処刑」だったのである。どの現場に常に「犯行声明文」が残されていた。「ルートヴィヒ」の署名に始まり、ナチスの鷲の紋章と鉤十字が記され、「我々はナチス最後の残党である」「真の神を裏切る者に死を」と辻褄の合わないことが綴られていた。何故、ドイツの国粋であるナチスの残党がイタリアで、ジャンキーやオカマ、売春婦、助平を殺して回る必要があるというのだ

 

1986年12月から翌年1月まで続いた裁判の結果、アベルとファーランのふたりは27件の殺人容疑のうち10件について有罪となり、懲役30年の刑を宣告された。死刑ないイタリアで最高刑である終身刑を免れたのは、彼らに何らかの精神異常がことが認められたからである。さて、ここからが問題である。ふたりは一旦刑務所に収容されたが、すぐに「開放拘禁」という優遇措置が取られて「定期的な出頭」以外はほとんどフリーだった。

 

このふたりの父親は上流階級に属している人間だった。つまりアベルとファーランは「おぼっちゃま」だったのだ。この事件に関する資料がほとんど残されていないのは、どうもこのあたりに理由があるように思われる。なお、事実上「お咎めなし」だったアベルとファーランは「警察のスケープゴートにされた」、「警察に犯人に仕立て上げられてしまった」などと吹聴して回っていそうだが、ふたりが逮捕されてからは「ルートヴィヒ事件」は一度も起きていない。