坂本春野

 

坂本準一さん(54)さんは、漁師として全国を転々とする海の男で、最終的に室戸港に落ち着き暮らしていた。1980年には山下啓子さんという女性と結婚するが、年後に離婚している。そのころ仕事のなかった準一さんは、そのまま啓子さんの家に住み続けた。1986年になって、ふたりは知人の坂本春野59)に同居を持ち掛けられる。春野は自宅の隣に、スナック喫茶「レインボウ」を経営する独り身の女性だった。こうして人での生活が始まった。

 

いつしか春野と準一さんは男と女の関係となり、その年の9月に結婚しているしかし山下啓子さんを含めた人の同居生活は解消することなく、「現妻と元妻が一緒に暮らす」という、奇妙で魔訶不思議な生活が始まったところが、春野が準一さんと結婚したのには、ある邪悪な目的があった。彼女は保険に加入させたうえで殺す』という所謂、保険金殺人を仕掛けるつもりだったのだ。以前から春野には「保険金で生活している」という黒い噂があった。

 

春野周りから「タコ」と呼ばれていた。それは『自分の手足を切り落としてまで保険金を騙し取っていからだそうして受け取った保険金は8000万円以上といわれ、当時としてはかなりの高額なものだった。とはいえ人を殺めた経験まではなく、保険金殺人に手を染めるのはこれが初めてだった。春野は妹の寺岡芳野とその夫・寺岡和寿に話を持ちかけ、人で共謀することにした。そして198612月、春野は夫の準一さんに生命保険を2口加入させた。

 

準一さんは保険加入に乗り気ではなく、「受け取る子供もいないし、金額も大きいから嫌だ」と知人に打ち明けていた。だが、春野がくれる小遣いでパチンコに行ったり、酒も飲ませてくれる生活に満足しており、言われるがまま5000万円の保険に加入。年明けの198717日の夜、スナック喫茶レインボウに妹夫婦がやってきて、人で酒を飲んだ。準一さんは泥酔しそのうち啓子さんが寝てしまい、邪魔者がいなくなると春野と妹夫婦は計画を実行した。

 

まず、春野は離れで寝かせる風を装い、準一さんを店の外に連れ出した。表に出ると、春野は庭で準一さんの頭を漬物石で殴打した。それから離れの部屋に寝かせると、妹夫婦が手足を押さえつけ、春野が準一さんの顔に座布団を押しつけて窒息死させた。生命保険会社には、転倒事故として申告した。春野は「夫は酔って犬の散歩に出かけ、犬の鎖が足に巻き付いて転倒。それで頭を強打した」と説明した。頭を漬物石殴ったのはそのためだったのだ。

 

頭の傷はか所だったが致命傷ではなく、死因は心不全と判断された。掛け金は度ほどしか払っておらず、十分怪しいのだが、保険会社から5000万円が支払われた。そのうち2000万円を妹夫婦に渡し、残りは春野が懐に収めた。夫の殺害から年半後の1992年、春野は次の保険金殺人を計画する。標的は同居している啓子さん(60)で、準一さんの元妻だった。春野は借金を抱えていた保険代理店経営浜田忠男62)と共謀することにした。

 

浜田は、スナック喫茶レインボウの数少ない客のひとりで、春野の一連の保険金詐欺の手続きは彼が行っていた。春野は浜田に報酬として700万円を約束していた。この保険金殺人19に決行された。ふたりはレインボウの奥の畳間で眠っていた啓子さんの頭を石で殴り、口と鼻を手でふさいで殺害する。そして、交通事故を装うため遺体を近くの路上に捨てた。午前40分、車で通りかかった男性が、パジャマ姿で倒れている山下さんを発見した

 

警察が駆け付けた時には、彼女はすでに死亡していた。春野は交通事故を偽装したつもりだったが、近くの浜で山下さんの枕が血まみれで見つかった。春野は県警で任意の事情聴取を受けた。当日の行動については「夜、啓子さんとテレビを見ていたが、自分は午後10時頃に先に寝た」と供述。部屋の血痕について追及されても「知らない」の一点張りで、ポリグラフにも反応を示さない、終いには「無実なのに拘束されて、賠償を取ってやる」と言いだす始末だった。

 

結局、決定的な証拠はなく、春野が逮捕されることはなかった。春野は生命保険会社に保険金約3500万円を請求した。しかし、今回は保険会社が怪しんだため、受け取ることはできなかった。警察も引き続き春野を容疑者としてマークし、捜査を続けた。そして翌199319日、坂本春野、妹夫婦、浜田忠男の人は詐欺業務上横領で高知県警に逮捕された。この時、春野の年齢はすでに66になっていた。その後、殺人罪でも再逮捕された。

 

取り調べでは、春野は前回とは異なり数日であっさりと自白した。しかし、これは『罪を悔いる』や『観念したというよりは「罪の意識の低さによるもの」と捜査員の目には映った。彼女はしっかり食事を摂り、睡眠もきちんと取った。そして、逮捕されているのに、衆議院選挙の不在者投票までこなしたいうから驚きである。多額の保険金を騙し取ったことについては、「保険料はちゃんと払っているのだから、なにかあったらもらうのは当然。みんなやっている」と平然と言ってのけた。

 

坂本春野被告は一審の初公判では起訴事実を全面的に認めたが、その後、一転して夫の準一さん殺害を否認した。そして、殺人を認めた自白は警察や検察から強要されたものとして無罪を主張した。共犯の妹夫婦、浜田忠男の人も同様に、無罪を主張した。準一さんは死亡当時の検視「病死」とされており、司法解剖は行われていなかった。捜査本部は凶器の漬け物石が坂本被告の供述通りの場所から発見されたことから、裏付けが取れたと判断した。

 

199829日の判決公判で、高知地裁は坂本春野被告に死刑を言い渡した。また、共犯の妹夫婦は無期懲役、浜田被告は懲役15年の判決だった。裁判長は「捜査段階の自白は具体的で、体験者でなければ言えないような臨場感があり信用性が高い」として、被告らの無罪主張を退けた。そのうえで、春野被告に対して「金銭目的で何の落ち度もない被害者ふたりを殺害しており、結果は重大で酌量の余地はない」と指弾した。被告人とも控訴してた。

 

控訴審で坂本春野被告は、準一さん殺害に加えて啓子さん殺害も、浜田被告の単独犯行であると主張し、無罪を主張した。また「死刑は違憲である」とも主張した。200028日、高松高裁の判決公判で、被告4人全員に控訴棄却の決定。妹夫婦は上告せず、無期懲役が確定。裁判長は春野被告の無罪主張に対し、「捜査段階などの供述は十分信用できる」と退けた。そして「死刑憲法には反しない」として死刑を支持、春野被告の控訴を棄却した。

 

20041119に開かれた最高裁判決公判において坂本春野被告、浜田被告ともに上告が棄却された。これにより春野被告死刑が確定、浜田被告懲役15確定した。弁護側は公判において判決は被告らの自白を唯一の証拠として有罪としており、憲法違反する」と無罪を主張していた。これ対し裁判長は「弁護側の主張は実質的に単なる法令違反や量刑不当の主張であり、刑事訴訟法に定められた上告理由には当たらない」と退けた。

 

そのうえ裁判長「保険金目的で、動機に酌量の余地はまったくない。被害者らを巧みに懐柔し、飲酒させて泥酔状態になった夫準一さんや、就寝中の無防備な女性(啓子さん)を共犯者とともに殺害した犯行態様は冷酷」と犯行の残忍性を指摘したそして、「いずれの事件でも、坂本春野被告は犯行を計画するなど、主導的な役割を果たしている。社会に与えた影響も看過し難く、死刑とした一、二審の判断を、最高裁としても是認せざるを得ない」と述べた。

 

事件の舞台になったスナック喫茶「レインボウ」

 

坂本春野192721日、徳島県吉野川町の農家に14人兄弟の番目子どもで長女として生まれた。幼少期の彼女は貧しく恵まれない環境で育った。尋常小学校に通えたのはわずか2か月だけだったようだ。彼女には、てんかん発作の持病があったという。春野16歳頃に家を離れ、全国の温泉地を転々とし、売春婦として生計を立てていた太平洋戦争終戦直後の1948年(昭和23に、在日朝鮮人の男性と結婚し、子どもをひとりもうけたが離婚し

 

その後、春野覚せい剤の運び屋になって稼いでいたが、1954年には逮捕・起訴されて裁判で懲役年が科せられた。1963年には日本伝統工芸品指物職人と結婚し、落ち着いた生活を手に入れたかに思えたが、夫は狩猟中の事故で死亡してしまった。その後、兵庫県尼崎市で売春宿を経営したが、2度逮捕されて執行猶予付きの懲役刑を受けた。それから高知県に移り住み、しばらく売春婦をしていたが、1970年代にスナック喫茶レインボウを開店した。

 

坂本春野は保険と切っても切れないほど深い関係があった。彼女が保険金で生活しているという噂は絶えず、陰では「タコ」と呼ばれていた。それは自分の手足を切り落としてまで保険金を騙し取っていたからである。一番多い時で30口以上の保険に加入していたが、取り調べでも全部は把握できなかった。春野が受け取った保険金は、10口で8000万円以上といわれる。当時の貨幣価値からすると、相当な額といえる。保険の掛け金は借金してでも支払っていた。

 

現在のスナック喫茶「レインボウ」心霊スポットになっているらしい

 

本事件では春野死刑が確定したが、死刑確定時77歳は当時の戦後最高齢。また、70歳以上の被告に上告審で死刑が言い渡されたのは記録で確認できる1966年以降、初めてだった。四国には死刑執行設備がないため、坂本春野は大阪拘置所に収監された。そして2010月頃に腫瘍が見つかり、12月に大阪拘置所から身柄を移されて治療を受けていた。そして201127日、収容先の大阪医療刑務所で肝がんのために死亡。享年83歳だった。