2022年1116日、東京都渋谷区で住所不定の大林三佐子さん(64)が頭を殴られて死亡しているのが見つかった大林さんが発見された5日後の同月21日に近くに住む吉田和人(46)が傷害致死容疑で警視庁に逮捕された。事件の現場となった渋谷区幡ヶ谷の「幡ケ谷原町バス停」は京王新線の幡ケ谷笹塚の両駅から数百メートル離れたちょうど中間地点にあり、周囲にはマンションやオフィスビルなどが建ち並ぶような場所だった。

 

夜明け前で人影もまばらな16日午前、「いつもいる女性が倒れている」と近隣住民から警視庁代々木警察署に電話通報が入った。救急隊員らが駆けつけた時には、既に女性に意識はなく、病院に緊急搬送されたものの死亡が確認された。亡くなっていたのは路上生活者を送っていた大林さんだった。目立った出血や外傷はなかったが、後頭部にこぶがあった。死因は頭に強い衝撃を受けたことによる外傷性くも膜下出血だった。

 

警視庁捜査課が近くの防犯カメラを確認すると、通報の約時間前の午前、バス停のベンチに腰掛けている大林さんに近づく不審な男が映っていた。捜査関係者は「中年の男が持っていた白いレジ袋大林さんの頭に回振り下ろし、来た道を引き返した。大林さんは殴られた後、ベンチからずり落ちて仰向けに倒れたその直前にも大林さんの前を男が通り過ぎる姿が映っており、彼女襲う機会をうかがっていたようだ」と証言した


チェック柄のシャツの上に黒いジャンパーを羽織り、キャップをかぶったマスク姿の男が現場周辺を歩く映像ニュースで連日報じられた。捜査課が足取りを追うと、現場から800m離れたマンションに住む男が浮上。21日の未明、男は母親に連れられて近くの交番に出頭。当時、交番には警察官が不在だったため、母親は代々木警察署に電話し「事件は息子が起こしました。息子は『大事になるとは思わなかった』と言っています」告げた。

 

吉田は調べに対して「まさか死ぬとは思わなかった」と供述した。捜査課も殺意は立証できないと判断して傷害致死容疑で逮捕した吉田は事件の当日、レジ袋にペットボトルを入れて自宅から散歩に出かけた際、大林さんを見つけた。殴る際、袋に大きな石を拾って袋に入れたという。吉田は動機について「前日に『おカネをあげるからバス停からどいてほしい』と頼んだが、応じてもらえず痛い思いをさせれば、いなくなると思った」と供述している。

 

吉田は自宅マンションの階にある家業の酒店を母親と経営していた。近所の住民数年前にお父さんを亡くしてからは、一生懸命働いてお母さんを守っていた。母親想いで真面目という印象だったので、まさかと驚いていと話した。その一方で吉田には、近隣の住民と度々トラブルを起こすクレーマーとしての一面もあった。また吉田はボランティアで街のゴミ拾いもしていた」という証言もある。大林さんは「街を汚す異物」だったのだろうか。

 

大林三佐子さん

 

大林さんは広島市の出身で、中高一貫の私立の女子校に通っていた弟によると、大林さんは明るく活発な性格で自立心が強く、高校時代は友達の相談に乗るなど優しい人柄だったという高校を卒業すると、市内の女子短大に進学。在学中の1977年春、劇団に入って活動した彼女には、アナウンサーになる夢があり、養成教室にも通っていた。劇団での愛称は、ミッキーマウスがプリントされたシャツをよく着ていたことから「ミッキー」だった。

 

回の練習のほか合宿にも参加し、就職後も稽古に足を運んだ。劇団のパンフレットには「自分の経験しない人生を送った人物になりきることは非常に困難であるけれど、少しでもその役に近づくことがひとつの大きな課題でもあり、新しい自分の糸口であると思います」と綴っていた1980年頃に「東京に行く準備をする」と申し出て、劇団を退団している。結婚を機に上京することになったのだ。それからは劇団関係者との連絡途絶えたという

 

結婚当時とみられる大林さん

 

大林さんはその後、27歳の時に結婚して夫と共に上京している。ところが、夫からの暴力が原因となってわずか年ほどで離婚してしまった。その後彼女は、コンピューター関連の仕事など職を転々とした後、千代田区の派遣会社を通じて、東京、千葉、埼玉、神奈川県の首都圏のスーパーマーケットで試食販売の仕事就いていた。依頼が入るたびにスーパーマーケットに出向き、食料や飲料を客に試食してもらい商品を販売していた。

 

そこにはきちんとした労働契約はなく、仕事があれば働く「業務委託」という形態だという。それは短期あるいは日雇いの仕事だった。仕事があれば稼げるが、なければ収入はなくなる極めて不安定な立場だったそれでも大林さんは持ち前の明るさでもなんとか持ちこたえていたのに、それを許さない事情が彼女を襲った新型コロナウイルス感染症である。2020年以降、感染拡大を恐れて、対面販売の仕事の依頼は極端に少なくなってしまった

 

収入が減った大林さんは杉並区のアパートの家賃を滞納し、強制退去させられた。その後、ネットカフェを転々としていたが遂に路上生活者となってしまった捜査関係者によると、大林さんは埼玉に弟がいるが付き合いはなく、年前に電話したのが最後で、以降は電話を架けて折り返しはなかった。それでも毎年、クリスマスの頃にメールが届いて、可愛いイラストが添えられていたという。そのメールだけが大林さんとを繋ぐ唯一の絆だった。

 

仕事を辞めた20年春から、バス停のベンチで寝ている姿が目撃されていた。食料を提供されても受け取らなかった親族の連絡先が書かれたメモを持っていたが、連絡した形跡はなかった。亡くなった時の所持金は僅か8だった彼女を知る人は「弱音を吐かず、気遣いができる人だから迷惑を掛けたくなかったのかもしれない」と残念がった。彼女は一生懸命に生きてきたのに、運が悪かっただけだ。何故、殴り殺されなければならなかったのだろう。

 

この事件は身に詰まされる。今でこそ人並くらいの暮しをしている私だが、会社を辞めて独立した頃は仕事がなかった。蓄えも底をつき借金が増え始めた頃、自己破産や離婚して路上生活が頭の片隅にあった。私の場合、この頃から顧客が付き始めて仕事が軌道に乗ってくれたが、それが1年遅れたら、大林さんのようになっていた可能性はあった。だから、彼女に同情する。ちなみに保釈中だった吉田は2022日、都内で飛び降り自殺した。