東京都あきる野市元職員の沖倉和雄60)は、200412月に勧奨退職してスナックの経営を始めた。しかし、店は流行らず失敗。これに麻雀の負けがかさんで約4700万円の負債を抱えてしまった。その返済に窮していた沖倉はカネを得る方法として強盗を思いつく沖倉は市役所の元同僚から、『あきる野市に住む資産家の姉弟の情報を入手していた。姉弟は姉の図書館職員・大福康代さん(54)と弟の無職・大福広和さん(51だった。

 

沖倉は2008月中旬に大福姉弟宅を下見するなど、強盗を実行するための準備を着々と進めていた。同年日、約年前に福生市内の麻雀店で知り合った福生市本町に住む元暴力団組員で土木作業員の伊丸岡頼明64)に資産家を襲ってカネを奪う話持ちかけた。伊丸岡も沖倉と同様に会社や飲食店経営の失敗で約1700万円の借金抱えており、会社を再興するためのまとまったカネ欲しさに共犯になることを承諾した。

 

日午後時頃、沖倉と伊丸岡は鍵のかかっていない勝手口から侵入した。この時、家には弟の広和さんだけが在宅していた。沖倉は広和さんに向かって強盗です。おカネを出してください」と敬語で脅迫し、伊丸岡が広和さんの両手足を粘着テープで拘束すると、ふたりで室内を物色した。その最中、の悪いことに姉の康代さんが帰宅する。すると、沖倉は再びサバイバルナイフを突きつけて「私は強盗です。おカネを盗りに来ました」と脅迫した。

 

伊丸岡が康代さんの両手足にも粘着テープを巻きつけ、弟同様に拘束した。そのうえで室内を物色して、現金35万円とキャッシュカード35枚を奪い、カードの暗証番号を聞き出した。翌10日午前時頃、沖倉が康代さんの頭部に、伊丸岡が広和さんの頭部にそれぞれポリ袋をかぶせ、首に粘着テープを巻いて密封。これにより、姉弟はふたりとも窒息死した。朝になって、沖倉は康代さんの職場に「姉は体調を崩して休む」と弟を装って電話した。

 

同日、沖倉は300万円を借りていた知人男性に「姉の口座からカネを下して返済する」と連絡した。その際、姉の代わりにカネを引き出す女性を連れて来るよう依頼。知人男性とその知り合い女性を立川市内の銀行に同行してもらい、奪ったキャッシュカードで康代さんの口座からカネを引き出そうとした。沖倉は女性に予め康代さんの生年月日を教えていたが、窓口で女性がそれを忘れて別人と見破られた。結局、委任状がないと下せないと断られた。

 

日から14日にかけ、沖倉と伊丸岡は奪ったキャッシュカードを使用し、ATMで合計約526万円を引き出した。13日には、遺体を姉弟の自宅から北西に約150km離れた長野県飯綱町赤塩の山中に、重機で穴を掘って埋めた。埋めた場所は沖倉の義弟が使用していた休耕地だった。その後、康代さんの車が最寄りの駅近くの駐車場に放置されていることが判明。警視庁捜査課は『姉弟が事件に巻き込まれた』とみて捜査を開始した。

 

すると、日夜から14日午後にかけて、不審な男が複数のATMから計15回、姉弟の口座から現金を引き出したことが判明。防犯カメラの映像を分析した結果、沖倉と伊丸岡が浮上した。賭け麻雀での多額の借金を沖倉が最近になって返済していることもわかった。また、姉弟の自宅からは土足で踏み込んだような跡や血痕が見つかった。DNA鑑定の結果、沖倉のと一致した。沖倉の左手には、抵抗されて負傷したとみられる傷が残っていた

 

21日、沖倉と伊丸岡は窃盗容疑で逮捕される。沖倉は「姉弟のことは知らない」と否認した。しかし日、伊丸岡の供述に従い、朝から遺棄現場を捜索したところ、夕方になって1mほど掘り下げた穴からふたりの遺体発見されたふたりは手足を縛られており、上に広和さん、下に康代さんが重なるように埋められていた。司法解剖の結果、ふたりの死因は窒息死だった。警視庁は29沖倉と伊丸岡を強盗殺人容疑で逮捕した。

 

裁判の争点は『犯行のいきさつ』と『犯行の主従関係』だった。2009日の初公判で、沖倉和雄被告、伊丸岡頼明被告はともに罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。検察側は冒頭陳述で、「沖倉被告が市役所の元同僚から『大福姉弟は資産家』との情報を得て、市役所の元同僚らに犯行を持ちかけたが断られた」と明かした。そのうえでカネに困っていることを知っていた伊丸岡被告を誘った」と経緯を指摘した。

 

伊丸岡被告弁護側は冒頭陳述で、「沖倉被告は計画後1か月以上も実行できなかったが、伊丸岡被告を誘ったことで強力な推進力を得たと指摘した。「伊丸岡被告が男性の頭に袋をかぶせたので、自分もやらねばしょうがないと思った」と主張した。一方、伊丸岡被告の弁護人強盗した際に被害者を殺害する話は聞いていたが、伊丸岡被告見張りや被害者を縛るだけと認識していた」と主張し、「犯行は沖倉被告の主導で行われた」とした。

 

16日の論告求刑で検察側は「犯行は沖倉被告が主導し遺体を遺棄するなど完全犯罪をもくろんだ。両被告の間には主従関係があり、伊丸岡被告が加わったことで計画内容が変更されていない点など指摘し、求刑において考慮せざるをえない」と述べた。「沖倉被告酌量の余地はなく、死刑選択せざるを得ない」と指摘。一方、伊丸岡被告については「供述によって姉弟の遺体が発見され、全容が明らかになった」として、死刑を回避した。

 

同日の最終弁論で、沖倉被告側の弁護人は「犯行計画は稚拙なもの。実行する気はなかった。計画を作ったのは沖倉被告だが、徐々に伊丸岡被告が主導した。沖倉被告殺人を実行する決意がなかったが、伊丸岡被告が弟を殺害し、仕方なく犯行に至った。検察官と伊丸岡被告が組み、沖倉被告と対立している」と主張。伊丸岡被告側は「沖倉被告が主犯格で、被告は従属的立場だった。逮捕後は反省し、捜査に協力してきた」と主張した。

 

200912日の判決公判で、東京地裁は沖倉被告に死刑を、伊丸岡被告に無期懲役を言い渡した。裁判長は「両被告とも借金の返済に窮した犯行動機で、あまりに身勝手で酌量の余地はまったくない」と指弾した。両被告への死刑選択も考慮する必要があるとしたうえで、それぞれが果たした役割や逮捕後の態度を検討。沖倉被告が殺害方法や死体遺棄の場所などを決めていたことから、「終始指導的な立場だった」と主導性を認定した。

 

伊丸岡被告については「自供して事件の解明に協力し、心底からの反省と悔悟も認められる」と死刑回避の理由を述べる沖倉被告への死刑宣告については「被害者の恐怖や苦しみを想像すると戦慄を覚える。計画的に凶器を用意し、何ら落ち度のないふたりの命を奪った。遺族の処罰感情も峻烈で、社会に与えた衝撃や不安も大きい。あいまいな供述終始し、反省しているか疑問だ。死刑の選択を避けるべき特別な事情はない」と厳しく批判した。

 

2010日の控訴審初公判で、弁護側は一審に引き続いて「伊丸岡受刑囚が主導した」と主張。「一審判決は重大な事実誤認がある」として死刑適用の回避を求めた。一方、検察側は控訴棄却を求めた。1110日の控訴審判決公判で、東京高裁は一審判決を支持し、沖倉被告側の控訴を棄却。裁判長は「負債を返済しようとする利欲的な動機に基づく計画的犯行だ。冷酷・残虐で、ふたりの命を奪った結果は重大」と指摘した。

 

20131126日の上告審弁論で沖倉被告の弁護側は「犯行において、ほぼ同等の役割を果たした伊丸岡受刑囚と沖倉被告に、死刑と無期懲役を分けるほどの差は認められない」として死刑判決の破棄を主張した。対する検察側は、「犯行の計画の立案など犯行を主導したのは沖倉被告で、ふたりの刑事責任には格段の差がある」と反論し、上告棄却を求めた。20131217日の最高裁判決で上告が棄却され、沖倉被告の死刑が確定。

 

裁判長は判決主旨説明で賭け事による借金返済という動機にまったく酌量の余地はなく、計画性高い。殺害方法は極めて残忍である。沖倉被告が被害者ふたりを殺害して金を奪う計画を立案し、共犯者を誘い入れた首謀者であることは明か。犯行によって共犯者である伊丸岡受刑囚倍以上の現金を得ており、その刑事責任は格段に重い。何の落ち度もない被害者の生命を奪った結果は重大であり、死刑選択はやむを得ない」と指摘した。

 

沖倉和雄は大学卒業後、いくつかの職を経て1997月に本籍地の秋川市(現・あきる野市)の市役所に採用された。それから27年間にわたって勤務していたが、20041231日付で勧奨退職。公務員としての仕事ぶりはまじめで、前科前歴もなかった。「飲み屋の経営がしたい」と周囲に語っていた沖倉は市役所を退職した後、退職金約2600万円の一部を元手にして、福生市内の繁華街でスナック開店させたが、麻雀賭博にはまってしまう。

 

沖倉市職員時代も麻雀好きで有名だったが、高額な金を賭ける麻雀賭博に手を染めたのは退職しただった。麻雀仲間によると、「30分で10万円が動くほどの高レート」で退職金の残金をつぎ込んでいたという。負け分を取り返すために借金してまで賭け麻雀を続け、結局は借金を増やすという悪循環に陥っていった。そのため、事件前年の春頃には資金繰りの悪化したことからスナックも閉店させた。知人らによると、野球賭博にも手を出していたという。

 

2008月時点で、沖倉の借金は約4700万円にも達していた。事件のか月前ほどから「姉が土地と建物を売り、数千万円を手に入れる。そのカネを借りて借金を返せる」と吹聴して回っていたが、警視庁ではこのから沖倉大福姉弟を襲う犯行を計画していたとみている。そして、沖倉2008日、伊丸岡を仲間に引き入れたうえで、計画を実行に移し本事件を起こす。犯行後、数日かけて奪ったキャッシュカードで計526万円を引き出した。

 

その金で14日に40万円を返してもらった男性は沖倉の顔が青白くげっそりしていたのが印象的で記憶している。この時、すでに捜査の手が沖倉に及んでいた。沖倉は翌日からも返済すると約束したが、警視庁が大福姉弟の口座を凍結したため、それ以上の返済はなかった。また、沖倉は遠くに逃げたかったようで、18日に知人男性を誘って山梨県の温泉に一泊している。沖倉2014日、脳腫瘍のため獄中死している。享年66歳没だった。