岩瀬高之

 

中学卒業後に就職した製菓工場を年で辞めた岩瀬高之はチラシ配りのバイトをはじめた。しかし、そのバイトはほとんど詐欺のような出来高制で、仕事を始めるにあたって支払った30万円は無駄になってしまった。このことにショックを受けた高之は、その後は働こうとせず引きこもってしまう。やがて、高之は父親の給料を管理するようになり、毎月2030万円の収入から父親に万円、母親に万円を渡し、残りを自分のものにするようになった。

 

やがて、2007年~2008年頃から、高之は父親のクレジットカードを使って、ネットオークションで写真集やシャツなどの衣類を購入するようになった。その買い方は『買い物依存』といえるほどで、商品が届いても中身は開けず段ボールに入ったまま。毎日のように届く荷物は階の部屋のほとんどを埋めていった。2009年頃から三男夫婦が同居を始めると、家族関係の変化に伴うストレスから、高之は家庭内でたびたびトラブルを起こすようになる。

 

これを問題視した家族は、2010年月頃から豊橋市内にある県の相談部署「県民生活プラザ」を訪れて相談するようになった。316日、父親と次男が信用情報機関でクレジットカードの履歴を照会したところ、総額200万円を超す未決済の利用額が判明。内訳は買い物160万円とキャッシング70万円だった。県民プラザから「クレジットカードとインターネットを止めた方がいい」とのアドバイスを受け、月初めには家族がインターネットを休止させた。

 

ところが、高之は自力でネット接続を復活させてしまう。こうした一連の流れは高之を刺激してしまい、いよいよ岩瀬家には危険信号が灯り始めた。13日には、高之が父親の身分証明書を無断で持ち出して銀行口座を作ろうとして口論になった。家族は12日~15日に、豊川署に計8回ほど相談している。しかし、それ以前に高之に関する相談や通報がなかったことや暴力も確認できなかったので、豊川署は話し合いによる解決を助言した。

 

岩瀬家からの通報で駆けつけた警祭官が事情を聞くと、家族は「このままでは生活が出来ない」と訴え、高之は「俺の勝手だ」と怒っていたしかし、高之は警察の前では暴力を振るう様子もなく大人しており、そのうち「もう俺は寝る」と2階の自室に上がってしまうため、警察もそれ以上の介入はできなかった。警察からの助言もあったこともあり、父親は16日に改めてインターネット契約を解約した。これに高之は「殺して火をつけてやる」と激高した

 

201017日午前時頃、高之(30)は宣言した通り、包丁を手に家族に襲いかかった。自室を出た高之は「何で俺のネットを解約したんだ」と怒鳴りながら、2階で寝ていた母親の岩瀬正子さん(58)を襲った。その際、一緒に寝ていた1歳の孫(三男の長女・金丸友美ちゃん)にも躊躇なく包丁を振り下ろした。この犯行で母親は大動脈破裂の重症、友美ちゃんは死亡した。友美ちゃんの傷は背中から胸に貫通しており、額にも傷があった。

 

亡くなった岩瀬一美さん

 

高之母親の岩瀬正子さんと孫友美ちゃんを襲った後、一階で寝ている父親岩瀬一美さん(58)と三男夫婦をそれぞれの部屋で襲い、父親一美さんは死亡した。三男の内縁の妻である金丸有香さん(27)は1月の重傷を負い、三男文彦さん(22)も2週間の怪我を負った。新聞配達員をしている次男(24)だけは、仕事に出勤していて難を逃れた。犯行の、2階の自室に戻った高之は布団に火を付け、その上にライターを放り棄てた。

 

17日午前25分頃、近所の男性から「怪我をした女性が助けを求めてきた」と通報があり、署員が駆けつけると家は半焼し、家族は負傷していた署員は近くでたたずむ高之を発見現行犯逮捕た。凶器である包丁は自宅敷地内から発見された。わずか10分ほどで、相次いで刺された人は計40か所以上の傷を負っていた。逮捕直後の高之は動揺していた。メモに『ネットを止められ家族を殺そうと思った』などと犯行動機を書いていた

 

殺人と建造物等放火などの罪に問われた無職・岩瀬高之被告の裁判員裁判の初公判が20111124日、名古屋地裁で開かれた。高之被告は罪状認否で、犯行について「覚えていない」、殺意の有無に関しては「分からない」と述べた。検察側は冒頭陳述で「被告は家族が黙っているのをいいことに、好き放題の生活を送っていた」と指摘。父親のクレジットカードでネットショッピングをくり返し、借金は350万円に膨らんでいた」と明らかにした。

 

一方、弁護側は高之被告に殺意はなかったとして、傷害致死罪などにとどまると主張した。さらに、被告に自閉症などの知的障害があり、責任能力が限定的な心神耗弱状態だったと主張した。死亡した金丸友美ちゃんの母親金丸有香さん(29)は「クレジットカードの申し込みなどができ、知的障害だったとは思わない」と言い、友美ちゃんの父親の三男・文彦さん(23)も「知的障害を事件後まで知らず、家族で話し合ったこともな」と証言した。

 

201112日、名古屋地裁は高之被告に「凶暴で残虐な犯行」として懲役30(求刑無期懲役)を言い渡した。裁判長は長年引きこもりだった高之被告が「インターネットを解約されたことで家族への怒りが爆発した」と認定高之被告被害者の逃走を阻止したうえで、急所を刺すなど殺意があったと認定した。争点となっていた責任能力の程度について「目の前の被害者の行動に応じて行動している」などとして、完全な責任能力を認めた。

 

その後、2018日の控訴審判決でも、名古屋高裁は懲役30年とした一審名古屋地裁の判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。弁護側は「怪我をさせようと最初に母の足を刺した高之被告がパニック状態に陥ったことの家族を襲った」として、殺意はなく傷害致死などにとどまると主張し、懲役20年を下回る判決を求めていた。20121119日、最高裁は高之被告の上告を棄却し、一審二審判決の懲役30年が確定した。

 

岩瀬高之1980年、人兄弟の長男として愛知県東部の小坂井町(現豊川市)に生まれた。父親である一美さんはガスの集金業務、母親正子さんは肥料などの容器を作る会社にパート勤務していた。近隣住民によると、一美さんは雨の日も嵐の日も休まずに自転車で通勤する真面目な性格で、母親の正子さんは創価学会の熱心な信者だったという。父親である一美さんの両親は離婚していて、男兄弟ふたりは母親に女手ひとつで育てられた。

 

そんな母子のもとに嫁いだ正子さんは、嫁姑問題に悩まされた。そんな問題が転じて夫婦が衝突することも多く、そのストレスからか、一美さんは酒が入ると些細なことで妻や子供たちにあたった。近所の人は「夕食時などに子供たちの叫び声が聞こえてきたこともある」と証言している。「将来、子供たちが大きくなったら、(一美さんは)殺されるんじゃないか」とまで囁かれていたという。そんな状態なので家族仲がいいとはいえず、近所付き合いもほとんどなかった。

 

岩瀬家では朝食が出されることはなく、夕食もカップ麺というのが通常であった。そんな高之の唯一の楽しみはちゃんと調理されている学校の給食を食べることだった。高之は幼少の頃から口数が少なく、小学校の同級生は「喋ったところを見たことがない」と口を揃え証言している。人と上手く話せない高之は授業中、トイレに行きたいと先生に言えず漏らしたこともあった。そんな高之はからかいの対象で、小学校時代は同級生にたびたび教科書を隠された。

 

中学時代、成績は悪かったが毎日登校していた。しかし、こうした悩みを話せる友だちも、高之にはいなかった。同級生は高之について「当時流行していたテレビゲームなどに熱中していた。できたばかりのコンピュータ部に所属して、毎日顔を出していたが積極的に何かする子ではなかった」と振り返る。中学を卒業すると、高校には進学せず菓子製造工場に勤務した。製品を包装する単純作業で、真面目に淡々と仕事をこなす高之は周りから評価された。

 

ところが年目に後輩が入ってくると、仕事の指導ができない高之の評価も変わる。年ほどで工場を辞めた高之は、チラシ配りのバイトをはじめようとした。しかし、その仕事はほとんど詐欺のような出来高制のバイトだった。最初に支払わされた30万円は、まったくの無駄になってしまい、親族によると高之は相当なショックを受けていたという。その後は仕事を探そうともせず、15年に及ぶ引きこもり生活がはじまった。家ではパソコンでインターネットをして過ごした。

 

やがて父親の給料を管理するようになり、両親に計万円を渡した残りは高之が使った。事件の2~3年前から、親のクレジットカードを使ってネットオークションなどで買い物に依存するようになり、2階は寝る場所を除き、開封さえしない荷物が山積みされた。それでも家族が黙認していたことで、岩瀬家は最低限の平穏が保たれていた。その均衡が崩れのが事件の約年前で、三男が内縁の妻と娘を連れて同居するようになると高之は次第に荒れていった