高羽悟さんと美奈子さん(32)は勤務していた不動産会社の同僚として知り合い、引かれ合ったふたりは交際するようになった。そして1995年7月7日に晴れて結婚を果たした。その2年後ふたりは息子を授かり、さらに2年の時が流れていた。高羽一家は名古屋市西区のアパートに住んでいたが、新車を買い、家族でディズニーランドに出掛けるなど、誰の目にも幸せの絶頂期にあるように見えた。その一家に壮絶な悲劇が起きたのだ。
1999年11月13日、この日は土曜日だったが、夫の悟さんは仕事のため出勤した。夫は午前9時頃に家を出る時、妻の奈美子さんから「長男を小児科へ連れて行く」ことを聞いた。実際、9時30分頃に宅配便がきた時も、アパートの3階に住むママ友が10時台に電話した時も、奈美子さんは不在だった。小児科には午前11時過ぎに受診した記録があった。帰宅したのは午前11時40分頃で、ママ友の夫がそれを目撃している。
この日の午後2時頃、アパートの大家が高羽さんの部屋を訪れた。大家は自宅の庭で採れた柿をお裾分けするためにやって来たのだが、呼び鈴を押しても中から応答はなかった。大家が試しにドアを開けてみると、鍵はかかっていなかったようでドアは開いた。開いたドアから中を覗き見て、大家は腰をぬかした。廊下に女性が血を流して倒れているのが見えたのだ。大家は突然のことに慌てふためいたが、気を取り直してすぐに119番通報した。
中の状況は、テレビはつけっぱなし、部屋には2歳の長男が子供用の椅子に座らされていた。テーブルには、ふやけたカップ麺と見慣れない乳酸菌飲料があった。大家があたふたしていると、3階から奈美子さんのママ友が下りてきた。事情を聞いたママ友は奈美子さんの夫の会社に連絡。仕事で外にいた夫の悟さんは奥さんが「倒れた」と会社から連絡を受け、車で家に向かっている途中、携帯電話が鳴り奈美子さんが亡くなったと告げられた。
悟さん帰宅する家は大変な騒ぎだった。奈美子さんはうつ伏せで顔を右に向き、左のおでこにコブのようなものがあり、メガネが外れかかっていた。午後4時頃、鑑識の人に事情を聞くと「首を切って出血している。自分で切ったのか、他人に切られたのかわからない」と言われた。悟さんは、まさか殺人事件とは思っていなかったので驚いた。美奈子さんはトレーナー、ジーパン姿で室内の廊下から居間に体を投げ出すような形でうつぶせで倒れていた。
その後の調べで、犯人が室内を物色した跡はなく、凶器も家からは発見されなかった。だが、犯人は玄関先に血痕と靴跡を残していた。DNA鑑定から、犯人は40~50代の女で、血液型はB型。24cmのハイヒールを履いていたこともわかった。玄関先には、高羽家では飲まない乳酸菌飲料が零れており、そのパックが、長男が座っていたテーブルに置かれていた。製造番号から、約35キロ離れた西三河地区で販売されたものと判明した。
テーブルには、ふやけたカップ麺も置いてあった。このことから、午前11時40分に帰宅した奈美子さんは、カップ麺にお湯を注ぐなどして、おそらく12時頃までは無事だったと思われる。大家が訪問した午後2時頃までの間に何かが起こったのだ。犯人は、揉み合った際に手に怪我をしたとみられ、高羽さん宅で手を洗った形跡もあった。血痕はアパートの通路や階段、駐車場に続き、約500m離れた稲生公園付近まで徒歩で逃走したみられる。
この公園では、犯人が手を洗った痕跡もみつかっている。その後、北区方面の住宅街に逃げ込んだとみられ、途中で血痕が途切れていた。目撃者はふたりいた。ひとりは「上半身はピンクの服だった」と証言しているが、もうひとりの目撃者は「上下とも黒い服を着ていた」という。 その女は片手を握るように押さえて立っており、稲生公園前の道路で、車が途切れるのを待っていたそうだ。ふたりの目撃証言は服装が違うが、人相は一致していた。
事件に関して、ほかにも証言がある。アパートの住人が正午から午後1時までの間に、高羽さん宅で大きな物音を聞き、その直後に、何者かがアパートの階段を人が駆け下りる足音を聞いたという。これが事件に関係あるとすれば、犯行は奈美子さんが帰宅してから午後1時までの間に起きた可能性が高いになる。その後、ママ友は用事があったため奈美子さんに12時30分~午後2時の間に3回電話を掛けたが、いずれも応答がなかった。
警察は怨恨の線から捜査を開始、夫婦の交友関係を徹底的に洗った。だが、夫婦を恨む人はまったく浮上しなかった。事件から21年が経った2021年3月、当時、高羽さんの隣に住んでいた女性が、CBCテレビの取材に応じ、アパートで怪しい女を見たと証言した。この女は挨拶しても会釈も返事も返さず、にらむような感じで印象が悪かったという。目はキツい感じ、髪型はソバージュのようなウェーブがかかっていて、似顔絵と似ていたそうだ。
犯人のモンタージュ写真
高羽夫妻が結婚して約1年後、奈美子さんの母親が薬事法違反容疑で逮捕された。母親は健康食品会社の販売員として、「がんに効く」などとうたい、清涼飲料水約94万円分を販売した疑いが持たれた。不起訴になったのか数日で留置場を出てきたという。その後、母親は名古屋を離れ、親戚がいる北海道へ移り住んだという。ただ事件の翌年春からは高羽一家は名古屋で母親と同居する予定だった。そのため、マンションも購入していた。
夫である悟さんと息子の航平さんは事件後に現場となったアパートを転居したが、事件の証拠を保全するため今も現場となったあの一室を借り続けている。事件から24年がたち、支払った家賃は計2000万円超にものぼるという。悟さんは勤務先は既に退職しており、家賃の支払いは大きな負担だという。しかし、部屋の玄関の床に今も残る犯人の血痕などを見て、悟さんは「ここに証拠は残してある。絶対に逃がさない」と心を奮い立たせるという。