謝依俤の写真は無かった

 

中国福建省で生まれ育った謝依俤24)は、1999月頃、船で名古屋港に密入国した。そして、解体工や飲食店の皿洗いなどで生計を立てていたが、長続きせず職を転々とした。2002年春頃から、謝は品川区内の製麺所裏のアパートに住むようになった。製麺所を経営する夫婦は、アパートの大家でもあり、製麺所はラーメン屋と夫婦の自宅も兼ねていた。アパートの家賃は月千円と、東京23区では格安であったが、謝はこれを滞納しがちだった。

 

謝には日本の生活で増えた借金に加え、密入国の際の借金もあった。そこで、大家の家に強盗に入る計画を立て、中国人仲間に「年寄り夫婦だから殺すのは簡単だ」と犯行を持ちかけた。だが、これを断られたことから、謝は単独での犯行を決意する。200231日午前時過ぎ、アパート大家夫婦の自宅に侵入した謝は、持っていたナイフで早川勇さん(64)とその妻・容子さん(57)を刺殺し、現金千円や指輪ネックレスなどの貴金属を奪った。

 

犯行後、自分の部屋に戻った謝だが、人を殺したことで落ち着かない気持ちだった。やがてひとりでいることがキツくなり、午前時~時頃、タクシーで池袋のディスコに出かけた。店では知人と話したりして気を紛らわせたが、午前時頃、良心が咎め出したため、JR池袋駅近くの公衆電話から警察に電話した。この時の電話では事件を通報したのみで自首したわけではなかった。その日の夜、謝は中国に電話して事件のことを母親に伝えたが、逃亡生活を続けた。

 

日頃、所持金が尽きたことから謝は早川さん方から盗み出した宝石類を解体工時代に知り合った知人を呼び出して、売って現金に換えた。一方、警察は現場となった早川さん宅裏のアパートから行方不明になっている中国人がいることをつかみ、そしてそれが謝依俤であることが判明したことから、捜査を開始した。14日午後時過ぎ、謝はJR池袋駅近くの友人宅にいるところを警察に発見され、入管難民法違反(旅券不携帯)の現行犯で逮捕された。

 

謝は取り調べにおいて、池袋から110番通報したのは自分であることを認めた。そして、「池袋で遊んで早朝に帰ってきたら、ドアが開いていて電気がついていた。家賃を払おうと中に入ったら、死んでいてびっくりした」と話していた。しかし、この供述内容では夫婦の死体発見後、池袋に戻って110番通報したことになり、辻褄が合わなかった。ほかにもあいまいな点が多く、警察が厳しく追及した結果、謝は夫婦殺害を自供。19日、強盗殺人容疑で再逮捕された。

 

公判で被告は殺意を否認し、「盗みをするつもりだった。殺すつもりはなかった」と主張した。検察側は論告で「金銭目的で何の落ち度もないふたりの命を奪った。反省も見られず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。200610日、東京地裁は謝被告に死刑を言い渡した。裁判長は「ナイフをいつでも使用できる状態で所持しており、むしろ計画的な犯行」と指摘「ナイフで執拗に突き刺し、強固な殺意に基づく犯行だ。その凶悪さには目を覆」と非難した。

 

控訴審で謝被告は「殺意はなかった一審判決は重すぎる」と減刑を求めたが、東京高裁は200826日、被告側の控訴を棄却した。裁判長は謝被告が犯行後もディスコで頻繁に遊ぶなどしていた点を指摘した。また、ストッキングをかぶって侵入し、直後にナイフを抜き身にしていることから、「犯行は強固な殺意のもとに行われた。落ち度のない被害者の生命を相次いで踏みにじった冷酷で残虐な犯行。非人間的で、極刑をもって臨むほかない」と述べた。

 

201210日の最高裁弁論で、弁護側は殺意を否定し、「被告は反省を深め、心から謝罪している」として、死刑回避を主張した。また、東京高裁が押収したナイフ本を紛失した件について「重要な証拠であるナイフを調べずに殺意を認定した控訴審判決は破棄されるべきである」と主張した。一方検察側は「金欲しさに何の落ち度のないふたりナイフで死に至るまで執拗に刺しており冷酷、残忍な犯行。今も改悛の情は認められない」と死刑を求めた。

 

20121019日の最高裁は上告を棄却し、謝被告の死刑が確定。押収したナイフを紛失した件について、管理態勢の問題を指摘した、「紛失したナイフは凶器そのものではなく同種品。撮影、計測した報告書もあり、他の証拠から殺意を十分認定できる」と弁護側の主張を退けた。動機について「生活費や遊興費に窮しての犯行で、酌むべき点はない」とし、「強固な殺意が認められる。犯行は冷酷で残忍。ふたりの命を奪った結果は極めて重大」と述べた。

 

謝依俤(シェ・イーディ)は1977日、中国福建省の小さな漁村で生まれた。漁師の父親はは厳しかったが、子供のことはかわいがった。母親は主婦で、お菓子を売って家計の足しにしていた。貧しい地域だったので、電気照明を使うようになったのは4、5歳の頃からで、それ以外の電化製品は家になかった。人兄弟で4歳年上の姉下に弟と妹がいるらしい。兄弟は仲が良く、姉によると謝は「素直で優しい性格。よく言うことを聞く、頭の良い弟だった」という

 

地元の小中学校を経て働くようになったが、あまり仕事がなかったので、謝は韓国で働いて仕送りするようになった。だが、韓国の出稼ぎは上手くいかず、中国に帰った。それから福州で調理の仕事に就き、月回ほど家に帰ってカネを入れたようだ。密入国した日本では解体工をしたり、飲食店の皿洗いなどをしていたが、長続きせず職を転々とした。2002年春頃から、早川さん夫婦が経営する製麺所裏のアパートに住み始めた。家賃は格安だったものの滞納しがちだった。

 

謝依俤は12分15秒辺りに登場する