1988年9月20日午前9時半、ニューメキシコ州ベーリンに住むニューメキシコ大学バレンシア・カレッジの2年生、タラ・リー・キャリコ(19)は、彼女の自転車が数日前にパンクしていたので、母親が使っていたマウンテンバイクに乗って自宅から大学へ向かった。当日はボーイフレンドとテニスをする約束をしており、午後4時まで授業を受講する予定であった。しかし、夜になっても帰宅しなかったため、母親が警察に通報、家族や地域の人々及び警察による捜索が始まった。

 

タラが最後に目撃された地点から南に5キロ離れた道路脇で、彼女が聴いていたボストンのカセットテープが見つかり、自宅から東に30キロ離れた場所で彼女が使っていたウォークマンの部品が見つかった。また失踪当日の午前11時45分頃には彼女の後ろを追走する男性ふたり組が乗ったフォードのピックアップが目撃されている。タラはイヤホンをしていたため、トラックには気付かなかったと考えられている。その後数週間、捜索が行われたが、彼女の行方はわからなかった。

 

失踪から約10か月が経過した1989年6月15日、ベーリンから遠く離れたフロリダ州ポートセントジョーのコンビニエンスストアの駐車場で、粘着テープで口を塞がれ、後ろ手に縛られた若い女性と少年が写ったポラロイド写真が発見された。拾得者の女性によると、写真を拾った場所には白いバンが停まっており、中には口髭を生やした30代の男が乗っており車で去り際に写真を落としたと見られた。通報を受けた警察は直ちに道路検問を実施したが、発見できなかった。

 

写真のふたりは車内に入れられているところを撮影したとみられた。ポラロイド社は写真は同年5月以降に撮影されたものと発表した。タラの両親は写真の女性の脚に娘と似た痣があることや、傍らに彼女がよく読んでいたものとミステリー小説『オードリナ』があることなどから、娘ではないかと考えた。スコットランドヤードは鑑定の結果タラである可能性が高いとしたが、ロスアラモス国立研究所の鑑定ではこれを否定。FBIは8月、写真の女性がタラとは断定できないと発表した。

 

タラ・リー・キャリコ

 

事態の異様な展開は全米中の関心を呼び、『オプラ・ウィンフリー・ショー』、『48Hours』、『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』など著名な番組でも取り上げられた。また、写真の少年は1988年4月21日にタラと同じくニューメキシコ州北部で行方不明になったマイケル・ヘンリー(9)ではないかと思われたが、1990年6月に彼の遺骨がズニ山で発見され、警察は彼が低体温症で死亡したと発表した。結局、写真に写っていたふたりが誰であるか現在に至るまで判明していない。

 

ニューメキシコ州の保安官であるルネ・リベラは自身の捜査結果から、女性と少年が写ったポラロイド写真とタラはまったく無関係であり、タラは彼女の知り合いの10代の少年ふたりとトラブルになった末に、少年らがタラをピックアップトラックで轢死させた上で、遺体をどこかに遺棄したと証言した。その他、タラは誘拐組織による人身売買の被害に遭ったという説や、タラは失踪時の1988年代に暗躍していた何人かの連続殺人鬼のひとりの餌食になってしまったという主張がある。

 

もしそうであるなら、誘拐拉致した女性に浣腸や性具を挿入するなどの拷問を加えて殺害していたデイビッド・P・レイにタラが誘拐され彼女も拷問をされた後に殺害されたという説、また殺害前に被害者の写真を撮影するトラック運転手殺人鬼のロバート・ベン・ローデスやハッピーフェイスキラーことキース・ジェスパーソン、口髭を蓄えピックアップトラックで獲物を物色していたジョエル・リフキン、被害者のポルノ写真を撮影していたロドニー・アルカラなどが候補に上がっている。

 

ポラロイド写真の女性とタラの顔のチャート比を比較した2018年の最新の画像解析ではタラと写真の女性はほぼ別人という結果だった。保安官の証言通りなら少年らの犯行であり、写真の女性の足の痣と本は写真の女性をタラと誤認させる悪戯ということになる。しかし、タラ失踪から30年近く立った2016年に米国の一般のインターネット上に、あるユーザーがポラロイド写真に写っている女性と同じ女性が上半身裸で緊縛されている写真を投稿し物議を醸した。

 

他のユーザーにより直ぐ様警察に通報されたが結局、その投稿者は雲隠れしてしまった。ポラロイド写真に写っている女性も誘拐された被害者なのか、投稿者がSMプレイを行った写真を投稿しただけの悪戯写真なのか不明となっている。この他、警察に届けられた別の写真も存在し、タラによく似た女性が裸で怯えている写真や、女性が電車の中で男性に捕まっているという写真も存在し、そちらの写真についてもタラ本人なのか悪戯写真なのか真相不明である。