伊田和世
2003年3月30日午後8時前、名古屋市北区東水切町の路上で、中村区藤江町の看護師の菅谷悦子さん(22)が、道を尋ねてきた中年女に包丁のようなもので腹を刺された。菅谷さんは友人(22)と一緒に買い物に行った帰りで、自転車に乗った友人と並んで歩いていると、後方から来た女に「大曽根方面はどちらか」と尋ねられた。菅谷さんが道順を教えようとしたところ、女は自分の自転車のカゴから刃物を取り出し、いきなり菅谷さんの腹部を刺した。
続いて女は菅谷さんの友人の方に向き直り、襲い掛かる素振りをみせたので、友人は自分の自転車を女ぶつけるように押し倒して、その場から逃れた。その際、自転車のカゴのなかにあった彼女の手提げ鞄は投げ出された女に奪われてしまtった。鞄のなかの財布には現金7000円ほどが入っていたという。その後、菅谷さんは意識不明の重体のまま国立名古屋病院に搬送された。しかしながら、2日後の4月1日午前0時15分頃、多臓器不全により息を引き取った。
菅谷さんが亡くなった4月1日には、菅谷さん殺害現場に近い名古屋市千種区の路上で、第2の事件が起きていた。狙われたのは遠藤美里さん(23)で、午後0時22分頃、現場を通りかかった遠藤さんが中年女に包丁で襲われた。遠藤さんは腹部に全治約1か月間の傷害を負い、4万円ほどの入ったバッグを奪われた。両事件の犯人は赤いエプロンドレスを着た厚化粧の中年女で、赤い自転車に乗っていたことから『同一犯による通り魔事件』との見方が強まった。
このふたつの事件を世間では『赤いドレスの通り魔」と呼んだが、その後は同様の事件は起こらず、容疑者の特定もされないまま、いたずらに時間だけが過ぎていった。通常、通り魔事件の犯人は男性であることが多いので、『犯人は女装した男ではないのか?』などの憶測も飛び交った。第2の事件から約5か月後となる8月28日午前3時40分頃、民家の物置でグラスセット2箱などの盗みを働いたとして、守山区鳥羽見の伊田和世(38)という女が現行犯逮捕された。
8月28日深夜2時過ぎ、隣家の物置からのゴトゴトという物音に気づいた住人は自転車で逃げ去る女の後ろ姿を目撃した。しかし、どうしたわけか女は再び現場へ戻ってきた。そして、「物置から何かを持ち出しては自転車で往復する」という行為を何度も繰り返していた。女が逮捕された当初は単なる窃盗犯だと思われた。だが、逮捕された伊田は厚化粧のうえ、ネグリジェ風の白い花柄のサンドレスとハイヒールという、まるで泥棒には似つかわしくない出で立ちであった。
愛知県警が伊田の自宅を家宅捜査してみると、伊田の自宅からは高級バッグや血の付いた包丁が見つかった。バッグは製造番号が遠藤さん(第2事件の被害者)のものと一致していたことから、伊田は2件の連続通り魔事件の容疑でも逮捕された。女性が通り魔事件の加害者であることはめずらしく、さらに美人で水商売やソープ歴があり、犯行時には派手な赤いエプロンドレスや花柄のブラウスにロングスカートという『奇妙』な格好をしていたことが世間の注目を引いた。
窃盗現場からほど近い場所では、事件の前日からおかしなことが起きていた。前日27日には近所の空き地に「体がバラバラにされたバービー人形30体ほど」が捨てらており、28日には民家の庭に膨大な不気味なゴミが投げ入れられるという騒動があった。ゴミの中身はバラバラにされ、血痕が残る7体のリカちゃん人形、腹がちぎられたぬいぐるみ数体など、いずれも不気味なものばかりで、大きなゴミ袋9個分という膨大な量であった。これらは伊田の仕業と判明している。
逮捕後、伊田は事件を起こした動機について「すべてにイライラしていた。幸せそうにしている若い女性を刺して酷い目に遭わせてやれば、ストレスが発散されて気が晴れると思っていた」と供述している。菅谷さんを刺した伊田は「事前の予想反して、手応えがまったくなかったことや、血も激しく出なかったこと」を不満に感じて、2日後にもう一度事件を起こしたのだった。遠藤さんが高級バッグを持っていたことから、「この娘は裕福でカネを持っている」と思って目をつけたという。
伊田和世被告は公判中に実施された精神鑑定では、「反社会性の人格傷害などは見られるが、刑事責任能力に問題はない」という結果だった。精神鑑定書には、犯行当時の伊田被告について「軽度の精神遅滞や、反社会性パーソナリティー障害、及び境界性パーソナリティー障害に罹患していた。それが原因で、不安・焦り・怒りといった社会的不適応状態にあったが、善悪を判断する能力や、それに従って行動を制御する能力は保たれていた」と記載されていた。
しかし、伊田被告は拘置所に収監されているのに中学時代のボーイフレンドに「結婚して!」「反省はしていない」などの手紙を書いたり、家にの残してきた飼い猫の世話をめぐって弁護士を解任するなど、公判中も異常な一面を見せている。弁護側は、菅谷さん殺害について殺意を否定。菅谷さんの友人に対しては窃盗罪が成立するにとどまると主張した。また、第2事件で重傷を負わせた遠藤さんに対する強盗殺人未遂についても「殺害する意思はなかった」と述べた。
2005年11月18日の論告求刑で、検察側は伊田被告に無期懲役を求刑ている。そして、2006年2月24日の判決公判で、名古屋地裁は「(事件によって)社会に与えた影響は相当に大きく、刑事責任は極めて重い」として、検察の求刑通りの無期懲役を言い渡した。裁判長は動機について、「飼っていた猫が避妊手術で腹部を切られ、『自分だけが不幸なのだ』との感覚に陥った。そして、幸せそうな若い女性を刺せば、うっぷんが解消されると考えた」と指摘した。
その上で、裁判長は「犯行の動機はあまりにも、短絡的で身勝手である。変装してまで対象を探し回るなど計画性もあった」と述べて、その責任も認め指弾した。さらに、裁判長は弁護側が「(犯行を起こした)当時、責任能力がなかったか、著しく弱まっていた状態であった」という主張に対しては、「犯行後に直ちに逃走するなど、その行動は合理的であった」と退けた。弁護側は閉廷後の会見で、控訴しない方針を明らかにしたことから、伊田被告の無期懲役が確定した。
伊田和世は1964年11月5日、愛知県名古屋市中区で生まれた。父親は水道修理業を営み、母親と4歳年上の姉との4人家族は決して裕福とは言えない暮らし振りだったという。母親は美人で派手な格好する女性として、近隣から奇異な目で見られていたという。また、彼女のヒステリックな性格で、幼い伊田に怒鳴る声が頻繁に聞こえてきたという。一方、父親は伊田を可愛がっていたが、風変わりな母親に嫌気がさしたのか、伊田が幼い頃に離婚して家を出て行った。
伊田の母親は一家を支えるために働き、家にはほとんどいなかった。母親の機嫌が悪いと人前でも伊田を罵り、悪口を他人に吹聴したりもした。不登校になった小学生の伊田に対して、「行きたくないなら、行くな」と言うなど、娘に対する関心も薄かったようだ。小中学校時代の伊田は基本的に不登校ではあったが、それでも時折、気が向いたように登校したようだ。そんな時の伊田の恰好は、ふりふりのスカートにつばの広い帽子をかぶり、髪をカールして化粧までしていたという。
伊田は幼少期から一貫してトラブルメーカーだった。たまの登校時も同級生を恫喝し、気にいらないことがあると相手を睨みつけた。変わり者で攻撃的な性格のため、友人はいなかった。中学卒業後は水商売の道に入った。美人だったので、伊田は人気ホステスとなり、他店から引き抜かれたたりした。ホステス以外にもコンパニオンやモデルなどの職業を転々とした伊田だったが、23歳の時にすべて辞め、「高価なブランド品を購入したいから」という理由でソープランドで働き始めた。
その後、ソープランドでも売れっ子となった伊田であったが、20歳以上年の離れた妻子持ちの男性の愛人となったが、これは2年ほどで辞めてしまった。この男性からは、毎月17万円ほどの手当てをもらっていた。1993年頃、29歳の伊田は、愛犬が死んだショックでうつ状態となり、1995年頃から精神科に通うようになる。当時、伊田は母親とふたりで暮らしていたが、家の窓を割るなどの危険行動をするようになったために家を出され、近所の借家でひとりで暮らすようになった。
伊田は、ひとり暮らしを始めると近隣からトラブルメーカーとして知られるようになった。挨拶もロクにしないしゴミの分別もしない。子供に向かって「うるさい!」と声を荒げたり、ペットの飼い方で「カネを払え」と荒っぽい言葉で怒鳴り込むなど、住民とのトラブルが絶えなかった。伊田に目をつけられたために、引っ越しを余儀なくされた家族もいた.。その伊田はロングの茶髪に真っ赤な口紅、いつもヒラヒラのフリルのついた派手で異様な格好は、近隣住民から「ひらひらさん」と呼ばれていた。
伊田には、実におぞましい性的嗜好があったのだ。彼女は以前から、人間の死体に異常なほど関心を持つ『死体愛好家』でもあったのだ。伊田は死体や殺人、解剖の本を読み、スプラッタービデオなどを見るうちに性的興奮を覚えるという変態女だった。しかし、悪いことに伊田は次第に「人を刺した上で、殺してみたい」と思うようになっていったいうのだ。伊田は事件を起こす前日には、この歪んだ欲望を満足させるため、「人形でそれを試し、他人の家や空き地にばら撒いた」という。
伊田は精神科に通院はしていたが、親族らも彼女を持て余したことから、入院させることも検討していた。そんな矢先に事件は起きてしまった。逮捕後、伊田は犯行の動機を「イライラを解消するため」と供述した。「どうせ刺すなら、苦労知らずのお嬢様っぽい女の子がいい。相手が幸せな生活から不幸のどん底に落ちれば、スッキリする」と思ったという。しかし、伊田は若い女性を襲っただけでなく、バッグや現金をも奪い、犯行後、高級バッグやキーホルダーを大切に所有していた。