埼玉県川越市に在住し、浄化槽点検管理業を営んでいたTさん(59)が突然として、姿を消したのは2011年6月のことだった。Tさんの家族が8月に捜索願を出したが、行方は瑶として知れなかった。Tさんが自らの意志で姿を消したのか、あるいは何らかの事件に巻き込まれたのか、それすらも判然としないまま、時間だけが過ぎていった。ところが、失踪から1年が経った2012年6月になって、Tさんは自宅から遠く離れた長野県で遺体となって発見された。
Tさんの元娘婿であった石崎照夫(46)が「元妻の父親をバラバラにして埋めた。犯行を隠そうと思った」と警察に供述したことから、石崎の実家である長野県の民家の庭の花壇を掘り起こすと、シートにくるまれた状態で、Tさんの胴体のみが発見された。石崎は事件の5年ほど前に妻と離婚し、ひとり娘は施設に預けられることになった。離婚後、石崎は妻とは離れて暮らしていたが、別の仕事に就くことできなかったので、離婚後もTさんのもとで働き続けていた。
関係者の誰もがTさん殺害事件は「(石崎による)仕事上の恨みによるものか、元家族としてのトラブルが原因であろう」と考えていた。ところが、公判のなかで明かされたのは石崎の余りに歪んだ正義感だった。石崎は公判の中で『(Tさんを殺害したのは)私自身の正義からだった』といった発言を連発し、異様な自己顕示欲を爆発させた。さらには殺害後にTさんの遺体の一部を「キムチ鍋にして食べた」と俄かには信じ難いグロテスクな犯行の手口を供述した。
石崎に対する裁判員裁判は事件から、2年を経た2013年6月、さいたま地裁で初公判が開かれた。彼が起訴されていたのはTさんに対する殺人、死体遺棄、死体損壊だけではなかった。器物損壊や暴行、脅迫、建造物損壊も問われていた。これは石崎がTさん殺害事件を起こす前から、また事件後も、勤務先だったTさんが経営する会社関係者や、実の娘が預けられていた施設の職員に対して、執拗な嫌がらせや脅迫などを繰り返していためだった。
初公で坊主頭に青いジャージ姿で、判に出廷した石崎は罪状認否で「その通りです」と起訴事実を認めた。だが、弁護人が「被告は『自己愛性人格障害』の影響で事件当時は心神耗弱だったと主張。判決ではこの主張は退けられ、責任能力を有すると認定された。冒頭陳述によれば、石崎は埼玉県所沢市の自宅にTさんを呼び出し撲殺。その遺体をバラバラにして、胴体を実家の庭にある花壇に埋めた。他の部位は細かくして山林などに遺棄したという。
浄化槽点検管理業を営んでいたTさんは石崎の元妻の父親であり、勤め先の社長でもあった。石崎は「不要になったが、未だ動くプリンターを貰って欲しい」とTさんを呼び出した。2011年6月14日の深夜1時頃、所沢市の自宅アパート玄関先でTさんにプリンターを手渡すと、これを両手で持ち玄関を出ようと後ろを向いた状態のTさんに対し、後ろから後頭部をハンマーで殴りつけた。呻きながら振り向こうとしたTさんの右こめかみをさらに力いっぱい殴りつけた。
Tさんは崩れるように倒れ、玄関のゴミ箱にもたれるように尻餅をついて上を向いていた。石崎は荒い息をして苦しんでいたTさんのそばに立ち、Tさんを見下ろして「お前は今日、死ぬ日って決まってたんだ」と罵声を浴びせた。Tさんが息を引き取るとその直後、夜中3時過ぎにTさんの携帯電話を奪い、生存を装うメールを知人に送信。さらに自分の携帯電話にもTさんから電話がかかってきたように偽装した後、明け方からその日の夜まで、Tさんの遺体解体を続けた。
Tさんの遺体を浴槽に運び込んだ石崎は予め準備しておいたチェーンソーやノコギリなどを用いて遺体を解体した。翌15日、遺体を埋める目的でクワやショベルなどをホームセンターで購入した。さらにその翌日である16日には、Tさんの遺体を車に乗せ、長野県にある石崎の実家に向かった。実家に到着すると、庭の花壇に胴体部分を埋めてから、その上に紫陽花を植えた。バラバラにした遺体の一部は車を走行させながら山林や浄化槽などに遺棄したという。
事件後、Tさんが自宅に戻らず出勤もしなくなったことを不審に思った周囲に対し、石崎は「Tさんはカネに困っていたようで、それで失踪したのではないか」と嘘をついていた。Tさんの妻には「失踪後に、Tさんから電話があった」などと伝え、生存を装っていた。その間、解体に使用したチェーンソーやノコギリを処分した。偽装工作により、約1年もTさん殺害は表面化していなかったが、これが石崎による殺人事件であると発覚したのは、彼が自ら犯行を明かしたことによる。
石崎は事件の前から、そして後も、周囲に嫌がらせ行為を繰り返していたことが先に事件化し、取調べを受けていた。石崎はTさん殺害前、Tさんの会社を共に切り盛りしていたTさんの兄、Tさんの妻に強い恨みを募らせていた。先ずその兄の車のタイヤをパンクさせ、給油口から異物を混入した後、Tさんの妻の自宅敷地内にあったプロパンガスの高圧ホースを破損させた。Tさん殺害後も恨みは消えることはなく、Tさんの兄の車のナンバープレートを取り外すなどした。
さらに、Tさんの妻はTさん不在後の会社を別の従業員らと共に続けていこうという意志を見せていたが、そのうちのひとりの従業員が会社を突然辞めてしまった。またもや、これに不満を抱いた石崎は、その従業員の自宅に赴き、自宅玄関ガラス戸にスプレーで「金返せ」「殺」などと書き込んだ。その後も、石崎はTさんの兄や妻に対して、細々とした嫌がらせを続けるなどしていたが、逮捕のきっかけとなったのは実の娘が暮らす施設職員に対する暴行や脅迫行為だった。
かつて、Tさんの娘と婚姻関係にあった石崎は子供がひとりいたが、石崎の虐待が原因で子供は施設で暮らしていた。施設に対し、石崎は子供との面会を求めたが、子供は応じなかった。石崎が改めて、子供との面会を求めたところ、職員の立ち会いの下、会えた。ところが、面会中に子供が石崎へ拒否の意志を示したことに怒り、湯呑みを職員に投げつけ「お前を殺す。俺はひとり殺しているから何とも思わない」と脅迫し、逮捕された。後に石崎はTさん殺害を自供した。
被告人質問では、石崎被告はTさん殺害について「Tさんの会社が不法投棄をしていた。私は複数回にわたり、内部告発したが、対応がないに等しかった。それで、内部告発をTさんに告げると、胸ぐらを掴まれて『何でうちの会社を虐めるんだ』と怒鳴られた。後、Tさんが昔、暴力を振るってたと聞いて、それを正そうとした。私自身の、正義じゃないけど、それに対して暴力で対抗してきた。そういうこと対して殺意を抱いた」と自分本位な不満、そして勘違いを爆発させている。
Tさんの会社の不法投棄や、Tさん自身の暴力について、石崎の話がどこまで本当かは全くわかっていない。しかしながら、石崎は繰り返し、「正義感からTさんを正そうとしたことが動機だ」と述べている。さらに暴力的だったという自分の父親とTさんを重ねて憎しみを増幅させてもいたと主張している。事件を起こすまでの半年ほど前から、殺害方法を考えながら過ごしたという。こうして、考え抜いた末に後ろがガラ空きになった状態のTさんをハンマーで殴ると決め、実行した。
石崎は「殴り倒した後も、Tさんが20分くらい生きてて、グーグーといびきを立てていましたが、時間を追って痙攣するようになり、息を引き取りました。私は達成感や高揚感に支配されました。殺害後は遺体を切断しました。両手、両足、最後に首をチェーンソーで。かなり高揚感がありました」と証言している。石崎の『高揚感』は殺害時だけでなく、遺体をバラバラにする際も、その後も続いていたようだ。なんと遺体の一部をキムチ鍋にして食べたことまで詳細に語り始めた。 続く~
【参照:文春オンライン】