幸月こと田中幸次郎
四国八十八か所の霊場を巡礼する遍路の旅は全行程は1400キロにも及ぶ。歩いて回ると40日近くもかかり、霊場めぐりが盛んになった近年でも、全行程を歩き通す者は年間2000人程度に過ぎない。その遍路道を「自分の最期の場所にしたい」と、6年にわたり逆打ち(普通は徳島から右回りだが、逆方向に回る。難易度が高いとされる)で歩き続けている遍路界のカリスマ老人がいた。それは幸月こと田中幸次郎(80)という人物だった。
幸月は“生きてゆくから歩くんだ”をモットーに、それまで四国八十八か所の霊場を歩き通し、28回の満願を達成した猛者であった。俳句をつくり、接待のお礼に句集を配りながら、出会う人々に感銘を与えてきた。彼は「草遍路」と呼ばれる伝説的人物だった。幸月は夜、たいてい野宿しており、寝袋や調理用のコンロなど、必要最小限の道具だけを手押し車にのせて歩いていた。あごひげをたくわえたその風貌に行き交う人々は思わず足を止めた。
そんな幸月を追うNHK番組「死を覚悟の生涯遍路」は2003年5月末に四国で放送された。6月末には、全国放送された番組で、幸月は田中幸次郎の本名で出演している。この放送を偶然、観ていた千葉県警の警察官の目に留まった。この警察官は『こいつは指名手配犯ではないか?』と思い、大阪府警に連絡した。府警捜査共助課の捜査員が立ち回り先で聞き込み捜査し、7月5日に愛媛県新居浜市内で白衣姿の幸月を発見した。
幸月こと田中幸次郎は1991年11月5日朝、大阪市西成区萩之茶屋1丁目の路上で、仕事仲間の型枠工の男性(58)とけんかになり、相手を左胸などを包丁で刺して、全治1か月の重傷を負わせて現場から逃走していた。大阪府警西成薯が殺人未遂容疑で指名手配し、田中の行方を追っていた。同月9日に逮捕となった田中は取り調べに対し、「被害者を刺したことは認めるが、殺す意思はなかった」と供述し、殺意を否定した。
この事件は指名手配犯が堂々とNHKの全国放送番組に登場していたことから、世間の耳目を集め、新聞だけでなく週刊誌も詳細な記事を掲載して大きく報じていた。例えば週刊新潮は「NHK出演で逮捕されたマヌケ男の『お遍路美談』は大ウソ」や、女性セブンは「テレビ出演で逮捕 80歳お遍路さん 逮捕までの八十八札所巡り 白髪束に白いひげ、風格漂う『幸月』さんは仕事仲間を刺した殺人未遂犯だった!」などと各誌が報じた。
田中が12年も逃げおおせた理由は少なからず生活遍路という背景がある。昔から生活遍路には、陰のある人が多かった。かつては口減らしで出された農家の次男三男や、村八分で故郷を追われた者、困窮者、ハンセン病患者、犯罪で追われる者などが遍路道を歩いていた。生活遍路に「なぜ遍路を始めたのか?」と訊いても本当のことは答えない。だから、誰も以前の生活や遍路に出た理由など尋ねないことから、身を隠しやすかった。
田中幸次郎被告に対する判決公判は2004年2月25日、大阪地裁であった。殺人未遂罪に問われた田中被告に対し、裁判長は「四国遍路などで逃走を続けており、刑事責任は重い」と述べて懲役6年の実刑判決を言い渡した。遍路について弁護側は「亡き両親の供養のためだった」「苦行を自らに課すことで犯行を反省していた」と主張し、執行猶予付きの判決を求めていた。田中は2018年2月3日死去した。享年95歳だった。