筧(かけい)真一

 

202010日午前時過ぎ、兵庫県神戸市北区にあるヤマト運輸の集配施設「神戸北鈴蘭台センター」に悲鳴が響き渡った。そのすぐには「おまえも殺したる!」という怒声。声の主は昨日まで従業員だった筧真一46)だった。筧は集配センターに押しかけ、パート社員広野真由美さん(47)と男性従業員60)に襲いかかった。は事件前日に、年半働いたこのセンターを解雇されたばかりで、被害に遭ったふたりとは前日まで一緒に働いていた。

 

筧は以前から勤務態度が非常に悪かった。前日にもこの男性従業員から、「荷物の仕分けが雑だ」と注意され、取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。その際は広野さんが仲裁に入って治まったが、その際に筧が振り回した手が広野さんに当たった。ヤマト運輸側は、これを暴力沙汰と判断し決定的な理由として即日クビを告げたのだ。突然の解雇宣告を受けた筧は怒りにまかせて、その日のうちにホームセンターへ行き、包丁本と木製バット本を購入した。

 

広野真由美さん

 

広野さんは全身十数カ所を包丁で滅多刺しにされ、その場で死亡した彼女は出勤直後、車から降りたところを刺されたようだった。おそらく広野さんは驚く間もなかった。腹には包丁が刺さったままで、一部の傷は腹から背中に貫通するほど深く、ほぼ即死だったとみられ。男性従業員は広野さんの悲鳴を聞いた、別の包丁に持ち替えた筧に襲われて左手を切る軽傷を負った。その後、包丁を落とした筧に車で追い回されたが、逃げて警察に通報した

 

筧は車で男性を追いかけ回しながら、周囲に積み上がった宅配物や事務所の壁、センター敷地内の車両14台にガンガンぶつけていた。そして、現場近くの路上で、駆けつけた警察官が乗って来た『パトカーに軽乗用車をぶつけた』として、公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。筧は取り調べで「人を刺したり散々なことをしたで、どうせ逮捕されると思ったので、パトカーに車をぶっつけた」と供述。兵庫県警の調べに対し、筧はふたりを狙って襲ったことを認めた。

 

また事件を興した動機について「解雇されたのがふたりのせいだと思い、腹が立っていた自供したところが、実情は違っていた。前日の暴力沙汰をクビの理由にしたいヤマト運輸側は警察で被害届を出すよう広野さんに促した。彼女はその日の昼に一旦、神戸北警察署に相談に赴いた。しかし彼女は被害届を出さずに帰っている。『手が当たったのも自分に向けられたわけではない』『自分は筧さんとの関係も悪くない』と広野さんは明らかに筧をかばっていたという。

 

202221日、神戸地裁で初公判が開かれた。この裁判の主な争点は『何が犯行動機だったか』に絞られた筧真一被告は「がやったのは間違いないだろ。全部しゃべってやるよ」などと反省していない態度で起訴内容を認めた。検察側は冒頭陳述で、「犯行の背景には広野さんへの恋愛感情が満たされなかったことや、被害男性に対する怒りや不満があった」と述べた。一方、弁護側は犯行動機について不当解雇に対する恨みのみであると主張した。

 

2022日の判決公判で、神戸地裁は筧被告に懲役27(求刑懲役28年)を言い渡した。裁判長は判決説明のなかで「強固な殺意に基づく執拗かつ残忍な犯行であり、計画性の高さも顕著である」と非難した。また犯行動機については「筧被告は被害者ふたりが結託して辞めさせるように仕向けたと思い込んだ」と認定したさらに「筧被告が被害女性に恋愛感情を持っていたとし、愛情の裏返しとしての憎しみから殺害を決意したものである」述べた

 

その上で「実際には結託はなく、被害者には何ら落ち度はない」と強調した強制退職時の上司の不適切な対応を受けて、筧被告が怒り、『女性への不信感を募らせた点は認めつつも、「殺害という重大な決意には余りに飛躍があり、酌量すべき程度は小さい」とした。また「被告が殺人を『何とも思わない』と述べるなど、反省の態度は見られない」と指摘した、「自分の罪を受け止めてほしい」と説諭した。これに対し、筧被告は「何のことかさっぱりだ」と応じた。

 

202214日の控訴審判決で、大阪高裁は懲役27年とした一審判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。弁護側は筧被告の犯行動機について、被害女性への恋愛感情の裏返しではなく、会社を不当に解雇されたことへの怒りと主張。裁判長は「被害者にまったく落ち度はない」と指摘したうえで、筧被告が会社を辞めた経緯は量刑に影響しないとした。202312日、最高裁筧被告側の上告を退け、懲役27年の判決が確定することなった。

 

筧真一1974年、双子の兄として生まれた。事件当時は事件現場の同センターから北西に約15km離れた神戸市北区甲栄台丁目の団地にひとりで住んでいた。以前は別の棟で母親と弟と住んでいたが、年ほど前に近隣との騒音トラブルから、筧ひとりが別の棟に引っ越した。同じ団地に住む女性80)は夜遅くに出掛け、朝方に帰宅する筧をよく見ていた。「会ったら挨拶をしてくれ、礼儀正しかった。事件を起こす人には見えない」と驚きを隠せない様子だった。

 

また、別の男性78)も「親子3人で一緒に買い物に行ったり、車で出掛けたり仲良い印象だった」と話しているさらに筧が2008年頃から年ほどドライバーとして勤めていた運送会社社長の男性55)は「口数も少なく、目立たない感じの子だった。勤務態度はまじめだった」と振り返り、「ヤマト運輸を辞めさせられた理由がよっぽど納得いかなかったのかよく分からないが、事件のことを聞いたときは衝撃的だった。あの頃と人が変わってしまったのかも知れない」と話した。

 

このように事件前のに対して、好意的な意見がある一方で、過去には警察官に手を上げ、公務執行妨害で逮捕された経歴残っている。かつての勤務先で同僚だった男性について奴は、酒は飲まんが、凄く気が短かった。辞めたのも会社の敷地内で車の運転をミスって社長に怒られて逆ギレしたからだった」と振り返る。勤務していたヤマト運輸でも「日頃の勤務態度が度々問題になっていた」と証言している。逮捕後も送検される車中でサインを見せている。