1965年から1966年にかけて、オハイオ州シンシナティでは年輩の女性が強姦された挙げ句に絞殺される事件が相次いでいた。マスコミにより「シンシナティ・ストラングラー」と命名された一連の事件である。一連の事件は1965年12月2日、イースト・マクミラン通りの自宅アパートで、56歳のエモギーン・ハリントンが凶器は物干し綱殺害されたことから始まった。次に1966年4月4日には、プライス・ヒルの自宅で、58歳のロイス・ダントが殺害された。

 

1966年6月10日、ブルネット・ウッズという遊歩道で、56歳のジャネット・メッサーが殺害された。ちなみに、彼女と一緒に散歩していた飼い犬は無事に発見された。1966年8月14日にはプライス・ヒルの林のなかで、31歳のバーバラ・ボウマンが殺害された。このシンシナティ・ストラングラー事件における最も若い女性の犠牲者であった。バーバラの足取りはタクシーに乗車してから途絶えていた。それ故にその運転手が何らかを知っている可能性が高い。

1966年10月11日、50歳のアリス・ホッチハウスラーが自宅の車庫で殺害された。自家用車で帰宅したところを襲われたようであった。1966年10月20日、バイン通りに面した自宅の寝室で、81歳のローズ・ウィンステルが殺害された。凶器は電気布団のコードだった。1966年12月9日、バイン通りの事件の犠牲者と年齢81歳のレイラ・ケリックが自宅アパート設置されていたエレベーター内で殺害されたが、彼女だけは強姦されていなかった。

その数日後、バーバラ・ボウマン殺害の容疑で28歳の黒人男ポスティール・ラスキーが逮捕された。ボウマンを乗せたタクシーの運転手だった。彼は一連の事件への関与を一切否定した。また、バーバラの件を除けば、その犯行を裏づける証拠はなかった。故にラスキーはバーバラの件でのみ裁かれ、それ以外の事件は未解決である。但し、彼が逮捕されて以降、類似の事件が途絶えたため、彼こそがシンシナティ・ストラングラーだったと見られている

なお、ポスティール・ラスキーは裁判で有罪となり、死刑を宣告された。だが、1972年月に全米で死刑執行が停止されたことから、合衆国最高裁判所は月に、仮釈放の可能性を付けてラスキーの刑を終身刑に減刑した。その後のラスキーはオハイオ州内のさまざまな刑務所を転々とした。そして、彼は何度も仮釈放を申請したが、そのたびに却下された。ラスキーは40年以上刑務所内で過ごした後、2007年5月29日に獄中で死亡した。