浜川邦彦

 

1993月頃、大阪市浪速区に住む職業不詳の金東錫34三重県鈴鹿市保険代理店を営む平松洋一さん36から融資を依頼された。その際、金東錫自らカネを貸すのではなく、知人に500万円の貸し付けをさせて自らその借り入れの保証人となった。また1994年初めには、再び平松さんに融資を申し入れられ、金東錫「小切手4通」を担保として自ら金融業者から借り600万円を貸し付けることになった

 

しかし1994月以降、平松さんは借金の利息を払わなくなり、金東錫はその肩代わりをせざるを得なくなった。さらに、金東錫には野球賭博での負け分が千万円ほどあり、それらの返済に窮することになった。そうした事情を知っているにもかかわらず平松さんは悪びれる様子もなく、新車のBMWを乗り回したり、金東錫に軽口をたたいたりしたことから、金東錫は平松さんに対して、殺意を抱き会社役員の浜川邦彦34に相談した。

 

浜川金東錫平松さんを殺害して金品を奪うことにした199419日午後時頃、浜川らは三重県鈴鹿市の産業廃棄物最終処分場に平松さんを呼び出した。平松さんがBMWに乗って現場に到着すると、金東錫は平松さんをクラウンの後部座席に招き入れて雑談を始めた。すると浜川がクラウンに近付き、窓から右腕を差し入れ平松さんの頭部向けて拳銃を発砲。弾丸は頭部に3発命中して、平松さんは即死した。

 

その後、金東錫平松さんの遺体をクラウンに乗せ、三重県津市内にある立体駐車場に移動した。一方浜川は平松さんのBMWに乗り込むと、三重県津市の銀行に向かった。BMWには平松さんのアタッシュケースが積まれておりなかには預金通帳印鑑クレジットカード小切手などが入っていた。午後55分頃、銀行に到着した浜川は平松さんを装って、小切手に金額を書き入れて1000万円を騙し取ることに成功した

 

事件から2日後の721になって浜川と金東錫は証拠隠滅を始めた。午前20分頃、ふたりは平松さんの遺体が乗せられていたままになっていたクラウンに乗って、三重県久居市の造成地ま移動したそして、予めパワーショベル深く掘削しておいた穴に、平松さんの遺体を遺棄した、その穴を埋め戻した。また、平松さんの殺害の凶器になった拳銃(浜川が知人暴力団員から預かっていた)を隠匿して証拠隠滅を図った

 

浜川は金東錫らふたりと共謀して、第の強盗殺人を企てた。今回のターゲットは高木功さん(63)で、三重県小俣町の真珠販売業をしている男性だった。金東錫は以前、高木さんと象牙の取引をして損をしたことがあり、恨みを持っていた。同年1120日午後時頃、高木さんを三重県伊勢市の倉庫敷地におびき出すと、浜川と金東錫が高木さんに暴行のうえガムテープで両手を後ろ手に縛り、顔面にもガムテープを巻き付けた。

 

そうして、高木さんを停めてあったの後部座席に押し込み、浜川が拳銃で頭を撃って殺害。高木さんの預金通帳や印鑑が入った手提げ鞄を奪った。その後、浜川は三重県小俣町の高木さん宅に行き、真珠などを強取した。21日午前3時頃、浜川ら人は高木さんのクラウンを盗み、事情を知らない知人男性に、高木さんのクラウンを譲り渡した。その後、午後分頃、浜川は銀行に赴き預金口座から227万円を引き出した。

 

日午前30分頃、金東錫ともうひとりの共犯が高木さんの遺体を隠してあったトヨタスプリンターカリブに乗って、久居市内の前回と同じ造成地までびんだ。そして、平松さんの時と同様にパワーショベル掘ってあった穴に高木さんの遺体を遺棄した後、埋めて隠蔽した一方の浜川は23日までに高木さんのクレジットカードを使って、高級腕時計や電気製品などを購入したり、キャッシングするなどして100万円を騙し取っている。

 

最初の被害者である平松さんが殺害された、平松さんの家族から三重県警に行方不明の届出が提出されていた。警察が捜査を開始したところ、平松さんの取り引き銀行から1000万円が出金されていることが判明した。その際の防犯カメラ映像を警察が確認したところ、浜川の映像データが残っていたことから、浜川が容疑者として浮上した。警察は浜川らを容疑者と断定し、逮捕となった。逮捕後、浜川は取り調べで完全黙秘した。

 

浜川被告は捜査段階から完全黙秘を貫き通した。そして、初公判の罪状認否でも起訴事実を全面否認している弁護側は「争点のひとつである拳銃が特定できていない」「金目当てとしながらも動機が解明されていない」と述べ、さらにアリバイがあると無罪を主張した。一方、被告は捜査段階で「浜川被告が主導的立場であり、実際に拳銃でふたりを殺害した」と供述した。20021218日、津地裁は浜川被告に死刑を言い渡した。

 

裁判長判決理由で事件が浜川被告が主導的立場であったとする被告供述ついて「自己の刑事責任を軽減するため、あるいは犯行に関与した他の2名をかばうため、罪のない第三者浜川被告に責任をかぶせたり、責任を転嫁した可能性は完全には否定できない」としながらも、周辺者の証言や供述との一致するうえ、客観的事実との符号することから、事実関係は矛盾していない。したがって、こ供述を受け入れた」と述べた。

 

200422日の名古屋高裁で開かれた控訴審判決でも、浜川被告側の控訴は棄却された。裁判長は判決理由で「被告の供述は被害者ふたりの遺体の遺棄場所など、秘密の暴露を含んでおり、信用性は極めて高い」と一審判決を支持した。そのうえで浜川被告が事件を主導し、実際に被害者の殺害を実行したことや、反省の態度を示していないことから極刑をもってのぞむほかない」と述べ、浜川被告側の無罪主張を退けた。

 

そして2007日、最高裁で浜川被告の死刑が確定した。裁判長は「大金を得ようと強盗殺人を重ね、被害者ふたりの生命を奪った罪責は誠に重大である」と指摘した。アリバイがあるとの被告側の無罪主張を「まったく不合理な弁解で犯行への関与を否定している」と退けた。そして「浜川被告は犯行を提案し、自ら拳銃を発射するなど主導的な役割を果たしており、共犯者との刑の均衡を考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。

 

金東錫被告(45)は一審・二審でとも無期懲役の判決を受けていた。検察側は死刑を求めて上告したが、最高裁は「死刑の選択を考慮しなければならない事件だが、一審・二審判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない」としたうえで「常に主導的な役割を果たした浜川被告に比べれば積極的な犯行ではない」「進んで詳細な自供をした」とし、検察側の上告を棄却。200515日付けで無期懲役が確定した。

 

浜川死刑囚200921日に再審請求を行い、これが棄却されると201529日には、第次再審請求を提出した。だが、これも201713日に棄却された。そして20221130日、浜川死刑囚は、回目の再審請求を行った。本事件では使用された拳銃が特定できていなかったが、弁護団は「殺害に38口径の拳銃が使われたとされているが、犯行に使われた弾丸個を精密測定したところ、35口径だった」としている。

 

共犯の金東錫はゲーム喫茶を経営していたが、浜川邦彦が経営する喫茶Qが繁盛していると聞き、1993年秋頃、経営の参考にしようと訪れたことからふたりは知り合った。1994月頃、金東錫は浜川に借金を申し込んだところ、それまで取引関係がなかったにもかかわらず130万円を貸してくれたことから、浜川に親近感を抱くようになった。その後、金東錫が130万円を全額返済したことに浜川も感心し、浜川と金東錫は親密になっていった。