葬儀で喪主を務める喜田勝義

 

201530日午後15分頃、小豆島の土庄町で水道工事会社「喜田水道工業所」を経営する喜田春夫さん(65)と、その妻・加代子さん(63)が血を流して倒れているのがみつかった。現場は住居兼事務所となっており、出勤してきた従業員が発見したのだ。春夫さんは住居2階の居間のコタツで、加代子さんは寝室のベッドの上で、夫婦ともすでに息絶えていた。司法解剖の結果、春夫さんの死因はくも膜下出血と脳挫滅、加代子さんはくも膜下出血だった。

 

殺された父親の喜田春夫さん

 

夫婦ふたりは頭蓋骨を粉砕骨折するほど殴られていたことから、犯人は夫婦に恨みを持つ者の犯行の可能性があることが考えられた。しかし、現場は荒らされていて、春夫さんの財布とふたりの携帯電話が持ち去られていた、警察は強盗殺人も視野に入れて捜査を開始した。事件の現場となった喜田さんの住居兼事務所土庄港からkm離れた人通りの少ない山の中であった。警察は延べ3300人の捜査員を投入したが、目撃者がほとんどおらず、捜査は難航した。

 

母親の喜田加代子さん

 

しかし、周辺の聞き込み捜査から、両親(被害者夫婦)と言い争いが絶えなかったという長男喜田勝義37)が浮上する。勝義は両親の葬儀にも喪主を努め、父親の友人には「犯人は会社の従業員だと思う」と話すなど被害者遺族としてふるまっていた。だが、遺族としては不自然な態度もあった。勝義は事件日後の日、報道陣の取材に対し「話は遠慮させていただいている」と完全拒否して、バイクにまたがり逃げるように走り去っている。

 

葬儀中の取材に対しても、苛立った様子で「残念」とだけ答えていた。このような犯人に対する怒り、『家族を失った無念などの一切を話そうとしないその姿には、違和感も感じられた。そんな勝義に対して、事件から約40日が経過した6日朝、事件への関与が強まったとして、香川県警と小豆署が任意同行を求めた。任意の取り調べにおいて、勝義は「両親を殺しました。間違いありません」と容疑を認めたため、強盗殺人容疑で逮捕された。

 

勝義供述によると彼は事件当日、下見をしたうえで両親の寝込みを襲い、金づちなどで殴って殺害。金づちは2km離れた海岸に捨てたという。動機については、父親に長年の恨みがあった。父親の会社で働いている時に仕事で叱責を受けた」と話し、母親についても「かばってくれなかった。」と話したその後の取り調べで、父親に強い恨みを持つに至った理由について、勝義は「父親の自分と妹の扱いの差が父親への恨みにつながった」と説明した。

 

23日、高松地検は高松簡裁に、勝義刑事責任能力の有無を判断するため鑑定留置を請求し、それは即日認められた。この鑑定の結果、高松地検は「勝義刑事責任能を問える」と判断したしかし、証拠関係などから「強盗目的の強盗殺人までは認められなかった」として、18勝義を殺人罪で起訴した。この裁判においては起訴事実や、その内容に争いは無く、『勝義被告の発達障害を量刑に考慮するかどうかが争点となっていた。

 

20161122日に行われた初公判で、弁護側は「被告の発達障害が犯行に影響を与えた」と考慮を求めた。1129日の論告求刑公判では、検察側は「犯行は計画性があり冷酷」として無期懲役を求刑。「身勝手な動機で、下見をしたうえで寝込みを襲った計画的な犯行」と非難した。発達障害については「資質特性であり、犯行自体に直接影響しない」と主張した。弁護側は「発達障害が犯行に影響しており、懲役22年が妥当」と訴えた。

 

201612日の判決公判で、高松地裁は被告に無期懲役の判決を言い渡した。裁判長は「殺害後、強盗のように偽装しており、発達障害は犯行に影響したとはいえない」と否定。続けて「父親に対して『自分を理不尽に扱っている』と憎悪の念を持ち、母親には『自分を守ってくれない』という気持ちを抱いていた」と動機を指摘。「就寝中で無防備な両親の急所を攻撃しており、極めて残虐で卑劣といえる」と指弾した。この判決に被告側は控訴した。

 

2017日、控訴審が高松高裁で始まり、弁護側は「両親を殺害した別の事件と比べて刑が重い」と主張していた。しかし、11日の控訴審判決で、高松高裁は一審判決を支持、被告側の控訴を棄却。「一審では被告の発達障害が考慮されていない」と訴えていた弁護側の主張を、裁判長は「犯行が発覚しないよう行動している」と退けた。被告側は上告したが、201719日、最高裁がこれを棄却したため、無期懲役が確定した。

 

喜田勝義1977年、香川県の小豆島で生まれた。家族は被害者となった両親と歳年下の妹の人家族だった。勝義は高校まで小豆島で過ごし、卒業後は海上自衛隊に入隊。自衛隊ではイラク関連の派兵に加わる経験をしている。2005年頃に自衛隊を辞めると、その後は香川県高松市で飲食店やパチンコ店など職を転々とした。そんな生活を続けるうち、勝義は酒やギャンブルに溺れてしまい、給料を超える出費を消費者金融で借りるようになった。

 

やがて勝義借金は100万円を超えるまでに膨れ上がってしまうが、これは父親の春夫さんが肩代わりし勝義は春夫さんに呼び戻されるかたちで小豆島に戻っていった。そして、春夫さんが経営する水道工事会社「喜田水道工業所」を手伝うようになった。春夫さんは昔気質の熱血漢であり、息子には特に厳しいタイプだった。仕事で毎日のように、勝義に「お前は使えない男だ」「ダメ人間だ」と罵倒し、それに勝義が反発して言い争いに発展することも暫しあった。

 

春夫さんとは真逆の無口で大人しい勝義は父親に反感を持った。そんなギクシャクした父子関係に、母親がを取り持つわけでもなく、そのことにも勝義は不満を抱いた。勝義は妹には甘く、自分にだけ厳しい父親に、反感は恨みに変貌した。だが、春夫さん勝義を憎んでいたわけではなく、気弱でおとなしい息子に「一人前の強い男になってほしい」という気持ちの上での厳しさだった。春夫さんは勝義の仕事が続かないことや、結婚しないことを周囲にこぼしていた。

 

勝義は2012年頃、父親の会社から離れて地元のアルミ会社に就職し、アパートを借りて独り暮らしを始めた。勝義は発達障害の影響から、夏場にジャンパーを着込んだりして周囲を驚かせることもあった。アルミ会社は約3年働いた2015月頃に退職し。その約か月後の201530日、勝義は事件を起こした。事件の数日前にも、勝義は生活態度をめぐって春夫さんから叱責をうけており、長年の恨みと相まって犯行に繋がったものと見られている