今井隼人
医療系専門学校を2014年3月に卒業した今井隼人は、4月に神奈川県川崎市の老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」の採用面接を受けた。臨んだ面接では、今井は志が高い様子で志望動機を語っており、翌5月には、正社員として登用された。国家資格である救急救命士の資格を持つ今井は周囲から期待され、それに応えるように黙々と仕事をこなしていた。そうしたことから、彼は上司や同僚から高い評価を得るようになっていた。
今井が勤務するようになって半年が経った11月4日深夜、入所者が4階のベランダから転落死する事故が起こった。亡くなったのは丑沢民雄さん(87)で、第一発見者は今井だった。この時、丑沢さんには不審な外傷などが見当たらなかったことから、神奈川県警幸署は丑沢さんの死を事故として処理した。ところが、その約1か月後となる12月9日、丑沢さんが亡くなった後に入居した仲川智恵子さん(86)がまたもや転落死した。
同じ部屋から連続して転落死亡事故が起こったにもかかわらず、この時も幸署は事故死と判断して、司法解剖も行わなかった。そして、さらに12月31日の大晦日には、6階に居住する浅見布子さん(96)が同じように転落死した。3人の転落した場所はいずれも施設南西側の裏庭だった。2か月の間に同じ施設から3人も転落し、そして死亡するという異常事態にもかかわらず、神奈川県警は事件を疑わず捜査も行われなかった。
神奈川県警が一連の転落死の事件性を疑うようになったのは2015年5月だった。きっかけは今井が窃盗の容疑で逮捕されたことだった。3度目の転落死の後、『今井が夜勤の日に転落が起きる』と施設内で噂になり、翌年(2015年)1月からは今井は夜勤を外された。それ以降、入所者の転落死はなくなったが、代わりに相次いだのが窃盗事件だった。今井は施設内で19件の窃盗を繰り返し、被害額は200万円を超えていた。
今井の手口は入所者の留守中にマスターキーで部屋に侵入し、金品を盗むという至って単純なものだった。盗んだカネでコンサートやスポーツ観戦に頻繁に出かけ、高級店の飲食代を気前よく同僚におごっていた。5月21日、今井は「70代女性の居室から現金2万5000円の入った財布を盗んだ」として逮捕され、同日「Sアミーユ川崎幸町」を懲戒解雇。9月24日に横浜地検から懲役2年6か月執行猶予4年の有罪判決を受けた。
今井の窃盗事件の捜査過程で、遅まきながら神奈川県警捜査1課は「転落が連続して起きていたこと」や、「1件目と3件目の第一発見者がいずれも今井だったこと」に気がついた。3人が転落したベランダは高さ120cmの手すりが設けられていた。転落死した3人全員が介護を必要とし、身長150cmから160cmほどの小柄な高齢者だった。彼らが自力で手すりを乗り越えることは困難であった。また、遺書も発見されていなかった。
事件の舞台になった施設
捜査が開始されると、仲川さんの転落時、近隣住民から「男女が言い争うような声を聞いた」という証言が得られた。住民はその時、短い悲鳴の後、ドスンと地面に響く音も聞いていた。3人の転落死はいずれも夜間に発生し、そのすべての時間帯に勤務していたのは今井だけだった。県警は2016年1月30日、事情聴取を開始。事件への関与を一貫して否定していた今井だが、2月7日には「入所者から頼まれて殺した」と供述した。
しかし2月14日になって、今井は捜査員に「気持ちを整理したい」と伝え、翌15日の事情聴取で「僕が殺そうと思って殺したのが事実です」と殺害を認める供述を始めた。今井は同居している母親に一連の転落事件に関与していることを告白し、母親から警察で包み隠さずすべてを話すように説得されたのだというのだ。3人を転落させた動機については「被害入所者の言動に我慢ができなかった。むしゃくしゃしていた」などと説明した。
供述によると、2014年11月3日の午後11時から翌4日午前1時50分頃の間、施設には3人の職員が勤務していた。ひとりが仮眠を取り、もうひとりが巡回を終えて戻ってきたのを確認すると、今井は丑沢さんが寝ている部屋に侵入し、丑沢さんを抱きかかえると、ベランダから放り投げた。それから何事もなかったように仕事に戻ったが、遺体の発見が遅れると、4階を担当する自分の評価にマイナスになると考え、第一発見者を装った。
今井は2016年2月15日、丑沢さん殺害容疑で逮捕され、3月4日に仲川さん殺害で再逮捕された。同日には丑沢さん殺害容疑で起訴された。3月25日、最後の被害者である浅見さん殺害で再々逮捕され、同日に仲川さん殺害容疑で起訴された。4月15日には浅見さん殺害で起訴さてれいる。一度は容疑を認めていたが、その後の横浜地検の取り調べで「公判で本当のことを話す」と黙秘に転じ、雑談にも応じなくなった。
逮捕前の取り調べで今井は丑沢さんについて「入浴をたびたび拒否されたり、大声で怒鳴られるなど、腹が立った」と述べ、女性ふたりは「施設内を徘徊するのが嫌だった」と供述をしていた。丑沢さんと仲川さんは自室のベランダから転落したが、3件目の浅見さんが転落したのは居住する609号室ではなく、別の居室のベランダだった。このベランダに出るには施錠されていた他の入所者の居室を通らねばならず、職員の関与が強く窺われた。
浅見さんが転落した601号室は丑沢さんと仲川さんの転落現場となった403号室の直上に当たる。3人とも施設の裏庭に転落ていた。また、仲川さんが転落した際、ベランダには椅子があり、捜査本部は仲川さんが自ら転落したように装った可能性もあるとみていた。今井は逮捕前後に3人の殺害を認めたうえ、「以前から煩わしいと思っていた」などと介護へのストレスを動機としていたが、起訴後の公判前整理手続きで否認に転じた。
2018年1月23日、今井被告の裁判員裁判が横浜地裁で始まった。検察側は冒頭陳述で「被害者3人はいずれもベランダを自力で乗り越えることは不可能だった」「転落死があったすべての日に当直として勤務していたのは今井被告だけ」などと主張した。一方、今井被告は「何もやっていません」と起訴内容を否認。弁護側は「検察は今井被告の犯行を立証できていない」と主張し、公判では自白の信用性を争う意向を示した。
1月24日の第2回公判で、検察側は丑沢さんは認知症で日頃から職員に暴行や暴言があり、今井被告は憎悪していた。2014年11月3日夕方、今井被告は丑沢さんから「ぶっ殺すぞ」などと暴言を受け、さらに午後9時頃、丑沢さんが食堂のテレビを壊しているのを見て、「殺害を決意し、同日深夜から明け方にかけ犯行を実行した。弁護側は「丑沢さんは帰宅願望が強く、家に帰ろうとして転落した事故」として、無罪を主張した。
2月8日の公判では、証人尋問が行われ、証人として出廷した今井被告の母親は「今井被告から逮捕される前に『自分が3人を殺した』といわれ、相談を受けていた」と証言した。2月13日の公判では被告人質問が行われ、3人がベランダから落ちたとされる時間帯の行動について、今井被告は「食堂で休憩していた」「他の入所者への介助をしていて、転落した入所者の部屋には行っていない」などとすべての事件への関与を否定した。
2月16日、今井被告が2016年2月15日に「犯行を自供した様子」を撮影した動画が法廷で再生された。今井被告は「僕が殺そうと思って殺した」と犯行を自供し、「(3人は)もう戻ってこない。罪を償うしかない」と謝罪を口にしていた。任意聴取で否認した理由について「真実を話す勇気がなかった」と説明。動機については「(3人を)煩わしく思っていた」と語ったうえで、「女性の下半身をつかんで持ち上げた」と殺害の状況を説明した。
2018年3月1日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「自己保身のため不合理な弁解に終始し、更生への期待は皆無」と指摘し、死刑を求刑した。その後、最終弁論での弁護側は、「検察側は今井被告が被害者らを転落させたという客観的な証拠を提示しておらず、事故や自殺の可能性もある。捜査段階における今井被告の自白は警察官の誘導・圧力によって、追い詰められた状況で供述したものだ」と述べ、無罪を主張した。
3月22日に判決公判が開かれて、横浜地裁は今井被告に求刑通り死刑を言い渡した。裁判長は主旨説明のなかで、「被告人の自白は捜査員から強要された可能性は低く、信用性は相当高い」と事実認定した。そのうえで「介護職員の立場を利用し、被害者をまるで物でも投げ捨てるかのように転落させたもので、極めて冷酷な犯行だ。極刑はやむを得ない」と指摘した。無罪を主張していた弁護側は判決を不服として即日控訴した。
2019年12月20日、東京高裁で控訴審の初公判が開かれた。弁護側は第一審と同じく今井被告の無罪を主張した。一方の検察側は控訴棄却を求めた。2021年8月30日、被告人質問が行われ、今井被告は改めて自身の無実を訴えた。取り調べの段階で3人の殺害を自供した理由については「認めないと、いつまでも取り調べが終わらないと思った」や、「認めれば警察がマスコミの取材から家族を守ってくれると思った」などと述べた。
11月26日、弁護側と検察側による最終弁論が行われ、弁護側は改めて今井被告の無罪を主張し、控訴審は結審した。2022年3月9日、控訴審判決公判が開かれた。東京高裁は今井被告の自白の信用性を認めて原判決を支持し、弁護側の控訴を棄却する判決を言い渡した。この判決を受けて弁護側は不服として、同月18日付で最高裁に上告した。しかし、2023年5月15日、今井は上告を取り下げたため、死刑が確定した。
今井隼人は1992年、横浜市神奈川区で生まれ育ち、同区内の小中学校に通った。今井の父親は一流電機メーカーに勤めた後、親(今井から見ると祖父)が経営していた電器店を継いだ。今井には妹がおり、しばしば店番を手伝う姿を近所の住人は目撃したという。小学校時代の友人は今井の人柄について「幼少期の今井は普段は穏やかなごく普通の少年だったものの、何故か急に怒り出すという奇妙な行動が見られた」と証言している。
中学時代の同級生によると、今井にはほとんど友達がいなかったそうである。音楽に興味があった今井は吹奏楽部に所属してトロンボーンを担当していたが、指揮者に興味があったようで「合唱コンクールでは独特の大きな動作で指揮をしていた」との証言がある。また、「ゲームをやりたくないか」と突然封筒からカネを出してみんなに配ったことがあったという。「封筒には3万円ぐらい入っていました。貯金は5000万円あると自慢していました」と振り返る。
その後、今井は横浜市内の高校を卒業後、医療系専門学校に進んだ。2014年3月に卒業すると、国家資格である救急救命士の資格を取得して消防士の試験を受けるも失敗した。そのため、4月に事件現場となる老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」の面接を受け、翌月5月から正社員として採用された。救急救命士の資格を持っていたことから期待された今井は、それに応えるべく淡々と手際よく仕事をこなして周囲から高い評価を得ていた。
連続殺人事件の舞台となった有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」では、別の事件も発生している。神奈川県警捜査1課と幸署は2015年12月11日、女性入所者(86)に暴行を加えたなどとして、元職員の男性(28)を暴行の疑いで、37歳と23歳の元職員の男性ふたりを偽計業務妨害の疑いで、書類送検した。女性入所者は「川崎老人ホーム連続転落死事件」の被害者とは別人。逮捕された元職員男性も今井隼人とは別人だった。
28歳の元職員は女性入所者に暴言を吐き頭を殴ったほか、首をつかむ暴行を加えたり、引きずってベッドに放り投げるなど虐待は日常的に行われていた。元職員ふたりは職員を呼ぶためにベッド脇に取り付けられた装置を外したとされる。女性入所者の長男が室内に隠したカメラで暴行などの様子を撮影していた。評判が地に落ちた有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」は、2016年7月から「SOMPOケア そんぽの家」に名称変更されている。
動画は今井の死刑が確定する前のもの