尾形英紀
大里郡寄居町に住む無職の少女(16)は、2003年6月下旬ごろから本庄市の飲食店店員鈴木秀明さんと交際を始めた。間もなく熊谷市箱田7丁目の鈴木さんの自宅アパートに身を寄せるようになった。しかし、薬物に手を出すことを心配した鈴木さんが自室に少女を住まわせようとしたことから、関係が悪化し鈴木さんと少女は口論が絶えなくなった。他方、少女は7月10日ごろに熊谷市広瀬、元稲川会系暴力団員の尾形英紀と知り合い、交際関係になった。
少女は鈴木さんと尾形と二股交際状態になった。少女は鈴木さんが頻繁に連絡を取ろうとすることなどを疎ましく感じ始め、尾形にも鈴木さんへの不満を話していた。7月末頃、尾形と共にいた少女の元に鈴木さんから呼び出しの電話があり、これに尾形も同行。少女は鈴木さんに対し交際相手がいること、頻繁な電話が「うざい」ことを告げ、尾形は少女が「俺の女」であることを告げて怒鳴りつけたところ、怯えた鈴木さんは引き下がり、少女は鈴木さん宅の鍵を返した。
しかし、親と喧嘩をして再び家出した少女は再び鈴木さんの部屋に出入りするようになっていた。8月16日、少女が部屋で寝ている時、鈴木さんが帰宅し、少女は身体を触られ、服を脱がされそうになった。18日午前、尾形は乗用車で熊谷市内の無職少年の自宅アパートに身を寄せていた少女を迎えに行き、ふたりを連れ出した。同市のファミリーレストランに入りビールや焼酎を飲んだ。その席で少女が「鈴木さんに姦淫されそうになった」ことを話したため、尾形は激昂した。
尾形は「あの野郎、俺をなめやがって。鈴木の野郎が俺の女だって知ってるのに、わざわざ手を出してくるんだから、俺に喧嘩を売ってるのと同じだよな。今から乗り込んじゃうか。あの野郎をやっちゃうか」と鈴木さんを襲撃することを示唆すると、少女は止めるどころか、反対に「そうだよ、やっちゃって。やっちゃえ、やっちゃえ、やっちゃえ」と煽り立てた。そして、同席していた少年も「人の女に手ぇ出すなんて、絶対に許せないっすよ。そんなヤツ、やっちゃうしかねえっすよ」と同調した。
ファミリーレストランを後にした尾形は、ボーガンを入手しようと考え少女、少年を連れて同市内のホビーショップに向かったが店が閉まっていた。そのため、「拳銃を自宅に持っているけど、音がうるさいから」といいながら、自分が経営するゲーム喫茶から包丁を持ち出した。そして、少女に「本当にやっちゃって大丈夫なん」と確認すると「やっちゃって、大丈夫」と返答した。尾形は少年に対して「帰ってもいいぞ」と言ったがふたりも同行して、午後1時頃、鈴木さんのアパートへ向かった。
鈴木さんは同じアパートに住む同僚の女性Bの部屋にいたため、少女が誘い出し鈴木さんの部屋に連れ込んだ。そこで、鈴木さんが少女に手を出そうとしたことを認めなかったため、尾形は激しい暴行を加えた。尾形はBも鈴木さんの部屋に無理やり連れ込み、「俺の女に手を出しやがって」と言いながら鈴木さんを暴行した。そして、「死ね!」と言って背中に包丁を刺した後、尾形は苦しむ鈴木さんに布団を掛け、「まだ死なねえ」と罵倒し上から頭部を踏みつけ殺害した。
午後1時20分ごろ、鈴木さんの勤務先のマネージャーが、「遅刻しないように」と伝えるため鈴木さんの携帯電話に連絡をしたが通じなかったため、同じアパートに住む鈴木さんの同僚の女性Cが様子を見に行くよう依頼され、携帯電話を繋いだまま鈴木さんの部屋を訪れた。尾形は恐怖に震えるBに対応させ「(鈴木さんは)携帯電話に出られない」と答えさせた。動揺を隠せないBの応対を見た尾形はCを室内に連れ込み、「見ろ」と命じて鈴木さんの遺体を見せつけた。
BとCを鈴木さんの部屋に監禁したまま、少女は部屋に残した荷物を集め鈴木さんの財布に入っていた現金を窃盗した。尾形は尿意を訴えたCにトイレに行くことを許可せず室内で放尿させた。尾形はCの失踪を装わせようと、少年にCの部屋に行き携帯電話等を回収に行かせたところCの友人であるDに少年の顔を見られたため、尾形はDを鈴木さんの部屋に連れ込み鈴木さんの遺体を見せ、「やっちゃうしかないよな」と言って、午後1時40分頃、車で3人を拉致した。
少年を助手席に乗せ、少女に加え拉致したBとDを後部座席に乗せてCをトランクに閉じ込めた尾形は車を秩父市方面へと走らせた。尾形は秩父市黒谷の美の山公園駐車場でDを降ろし、女子トイレに連れ込んで乳房と陰部を触った。その後、Dの首をタオルで絞めたり、殴る蹴るの暴行を加えた。尾形はDの背部に包丁を振りおろしたが便器に当たり刺すには至らず、踏みつけたところ反応しなかったことなどからすでにDは死亡したものと考え、美の山公園に放置した。
尾形が駐車場へ戻ると少女が「携帯電話の着信音が聞こえた」と言ったため、尾形がトランクを開けた。Cは「全部私のせいにしていいから許して。チーフ(鈴木)をやったのも私のせいにしていいから」と必死に訴えた。尾形は「うるせえ」などと言い放ち、歯が折れるほど強く殴った。尾形は「後ろの奴うるさいから、後ろの奴から始末するか」といい、美の山公園の観光道路脇でCをトランクから出して降ろし、首を絞めたうえ背部を3回刺して殺害。遺体を道路脇の崖に投げ捨てた。
尾形は残されたBに「手足を縛って口にアロンアルフアをつけてマンホールに入れて、次の日の朝まで生きていたら、見逃してやる」と言い放った。熊谷市内へ戻った尾形は、Bを同市国道140号線沿いの建築解体会社の資材置場で降ろした。尾形は両手足をビニール紐で縛ったBの唇と鼻腔にアロンアルファを塗り、窒息させることができないと、湾曲した包丁で胸などを刺した。尾形はBの上衣に血の染みが広がっていくのを見て放置すれば死亡する確信し現場を立ち去った。
午後4時45分、美の山公園に倒れていたDを通行人が発見し、通報した。Dは秩父郡皆野町の病院に搬送された。病院に駆けつけた秩父警察署員にDは「熊谷のGハイツに死体がある」と告げた。 同6時25分頃、熊谷警察署員がアパートに急行し鈴木さんの部屋で布団をかけられた遺体を発見。 同8時50分頃、Bが放置された場所の敷地内で、男性に発見され、助け出されると意識不明の重体に陥った。胸部からの出血が多く、輸血の処置が取られた。
翌8月19日午前6時5分には、犬の散歩中の男性がCの遺体を発見し、110番通報した。Bは意識回復後も、ショックで会話が満足に出来ない状態だったため、捜査員が病室に文字盤を持ち込んだ。捜査員の調べに対して、Bは文字を1つひとつ指差して経緯を説明していった。Bが瀕死の状態で発見されたことにより、メディアが一斉に事件を報道した。警察には、熊谷署と秩父署の合同捜査本部が設置された。8月21日、尾形が捜査本部によって逮捕された。
任意同行の際、報道各社も随行し、尾形が刺股を持つなどした捜査員に対し、煙草を咥えながら「逃げるつもりはねえ」などと話しているシーンがテレビによって放映された。 同22日に少年を逮捕。翌23日に少女を逮捕。取り調べに対して尾形は「付き合っていた女を寝取られて面子が立たなかったので、鈴木を殺害した」と供述し、女性3人については「死んだと思っていたが、ふたりが生きていることを知り、口封じのため搬送先の病院で殺害する計画だった」と明かした。
尾形は小学生の頃はスポーツ万能の子供だった。中学生の時には男子テニス部の主将を務めていた。その一方で、中学2年生の頃から、非行に走りシンナー吸引を始めるようになった。また、バタフライナイフで同学年の男子生徒の左胸部と背部を刺し、怪我を負わせる事件を起こしている。その後、友人と共に金属バットを用いた強盗致傷事件を起こして中等少年院送致となった。退院後間もなく、友人と共に傷害、恐喝事件を起こし再び中等少年院送致となっている。
尾形は一旦、高校に進学するも中退した。この頃から暴力団関係者と交遊を持ち、2回目の少年院送致となった後、一度暴力団に所属し幹部組員となった。 1998年2月23日、傷害・暴行・恐喝未遂・道路交通法違反で懲役1年6か月(執行猶予5年・保護観察付き)の有罪判決を受ける。 同6月、結婚し、長女が生まれる。 2001年4月18日、傷害罪で懲役6か月の実刑判決を受け執行猶予取り消し。 2002年10月、川越少年刑務所出所した。
尾形は妻子が存在し、事件の少女とは不倫関係だった。また、少女が自分に好意を寄せていることを利用し、場合によっては性風俗で働かせようと考えていた。 尾形は一審の審理の中で、「最初から殺意を持っていたわけでない」などと主張した。また、弁護側は「シンナーによる幻覚が、事件当時の行動に影響を与えた可能性がある」として、尾形の精神鑑定を求めた。その結果、「鈴木さん殺害時には、弁別能力が著しく低下していた」との鑑定結果が証拠採用された
だが、検察側は、この鑑定結果を不服として再鑑定を求め「過去に吸っていたシンナーが犯行に影響を与えたとは考えられない」との鑑定書が証拠採用された。2007年3月9日の最終弁論で弁護側は「鈴木さん殺害時は心神耗弱状態だった」として、死刑回避を求めた。しかし、さいたま地裁は同4月26日、「4人を殺害しようとし、ふたりを殺害した凶悪事件であり、動機と経緯に酌量の余地はない」と指弾した。検察側の求刑どおり尾形に死刑判決を言い渡した。
弁護側は控訴したが、尾形が同7月18日付で控訴を取り下げ、一審の死刑判決が確定した。弁護人によると、尾形は「死刑に納得している。判決の事実認定に間違いはあるが二審で正せないし、正す意味もない。特に拉致殺傷した女性3人には申し訳ない」と反省していたという。少女は、殺人幇助・殺人未遂幇助でさいたま家裁に送致されたが、「事件の発端を作り、関与も大きい。被害者の処罰感情も強い」などとして、さいたま地裁へ逆送致され起訴された。
初公判で少女は事件前のファミリーレストランや鈴木さんの部屋で言ったとされる「やっちゃって」「やっちゃえ」は言っていないと主張し、起訴された内容の大半を否認した。しかし、2004年11月18日、さいたま地裁の福崎伸一郎裁判長は検察の側の主張を認め、求刑通り懲役5~10年の不定期刑を言い渡した。検察、弁護側の双方が控訴しなかったため、刑が確定した。少年は同容疑でさいたま家裁熊谷支部に送致され、中等少年院送致長期の保護処分を受けた。
2010年7月28日、東京拘置所で尾形の死刑が執行された。刑の確定から3年での比較的早い執行だった。執行には千葉景子法務大臣(当時)が立ち会った。死刑執行に法務大臣が立ち会うのは憲政史上初めてのことだった。尾形は死刑廃止フォーラムが2008年に全死刑囚に対して実施したアンケートの中で、「死刑執行時に求刑・判決を出した検事・裁判官それに法務大臣らが自ら刑を執行するべきです。それが奴らの責任だと思います」と意見を記していた。