川崎竜弥
宅地建物取引士・川崎竜弥(32)は当時、静岡県浜松市北区三ケ日町大谷に住んでいた。彼は2009年から、浜松市内でトラック運転手として勤務していたが、会社でトラブルを起こして退職していた。川崎が会社に在籍していた当時、同僚の中に須藤敦司さん(62)がいた。ふたりはともにバイクが趣味だったが、個人的な付き合いは特になかった。須藤さんは川崎が辞めた後、2013年に定年退職。浜松市内のマンションでひとり暮らしをしていて当時は無職だった。
そのような須藤さんの財産の情報を川崎は1か月半前から収集していた。そして2016年1月25日午後6時すぎ、須藤さんが郵便ポストに入れていた「部屋の鍵」を持ち去って合鍵を複製した。1月29日頃、その合鍵を使用して須藤さんの部屋に侵入し、部屋にいた須藤さんを殺害した。そして実印やキャッシュカードなどを奪った。翌30日午前3時30分、川崎は須藤さんの部屋から(おそらく須藤さんの遺体が入った)”白いカバーで覆った段ボール様のもの”を搬出した。
その日の午前10時頃には、新しい畳を業者に注文した。そして既存の古い畳は自分で処分すると業者に告げている。そして翌日の31日深夜、人目のない時間帯を見計らって古い畳6枚を搬出している。マンションの防犯カメラには、畳に血液とみられる赤い染みが広範囲にわたって付着しているのが確認できた。その後、2月1日に須藤さんの軽乗用車の所有権を委任状を偽造して自身に移すと、5日にはマンション、8日にオートバイ2台の名義を相次いで自身に変更した。
須藤敦司さん
8日~14日には須藤さん名義でじぶん銀行に不正に口座を開設し、須藤さんの浜松信用金庫の口座から454万円を送金。じぶん銀行のキャッシュカードを使ってATMで20万円を引き出した。さらに18日には、須藤さん名義で三井住友銀行にも口座を開設。須藤さんの老齢厚生年金の受取口座をこの口座に変更し、6月15日までに振り込まれた須藤さんの老齢厚生年金16万9730円をだまし取った。須藤さんの遺体は未明に焼いて浜名湖周辺に遺棄している。
須藤さん殺害から約半年後、川崎は第2の殺人事件を起こした。2016年7月5日、川崎は静岡県磐田市に借りていたアパートで、友人の出町優人さん(32)の腹部を刃物で刺すなどして殺害。8日までの間にバラバラにしたうえで浜名湖周辺に遺棄した。当時、出町さんは京都市に住む工員だった。川崎は出町さんが覚醒剤所持事件で刑務所に服役した際、出町さんの荷物を預かった。川崎はこの荷物を返す条件として「7月3日に浜松に来ること」を要求していた。
出町優人さん
出町さんは川崎の要求にしたがって、7月3日、JR浜松駅で川崎と落ち合った。そしてふたりは磐田市に所在する川崎のアパートで寝泊りすることになった。出町さんと川崎は、7月5日午前0時6分頃までオンラインゲーム「将棋弐」でゲーム中にチャットをしており、その直後の午前0時8分、出町さんはツイッターの投稿をしている。このことから、少なくともこの時点まで出町さんは生存していたと考えられるが、これを最後に毎日のように投稿していたツイッターの更新が途絶えた。
出町さんは大阪の知人に「また川崎にカネを貸してしまうことになってしまった」と電話で話しており、殺害される直前にも「浜松へ川崎に貸したカネを返してもらいに行ってくる」と話していた。またオンラインゲーム内のチャット記録から、川崎が「以前の勤務先への破壊工作を出町さんにやらせようとしていた」ことや、須藤さん失踪後に「出町さんに須藤さんの養子になることを持ちかけた」ことも判明した。そんな川崎が出町さんが生存しているように装う工作をしていたことも分かっている。
京都市の更生保護施設の職員が、7月6日午前に出町さんの携帯電話に連絡したところ、川崎が出て「(出町さんは)ミカン農園に農作業に行っている。夕方に戻る」と答えている。ミカン農園は川崎の実家だが、父親によると「出町さんをみかん農園で働かせしたりことはない」と証言していた。9日には出町さんの携帯から自身の携帯に「雨上がってしまいましたね」とメッセージを送り、川崎からは「まあ仕方ないね。またの機会に動く」と返信するなど、自作自演のやり取りを残した。
出町さんは、ネットゲームの愛好家で「優琥(ユーク)」というハンドルネームを用いて、ネットゲームの愛好家を集めてイベントを主催するなど、一部のゲーマーの間では、つとに知られた存在だった。ところが、その一方で仲間から借りたカネを返さず、“借りパク”することが度たびあり、被害を訴えるゲーマーも少なくなっかたと言われる。出町さんはネット上で自分のプロフィールに「前世は詐欺師だったかな」などと記していた。そんな出町さんの遺体の一部が7月8日、浜名湖で発見された。
7月14日、静岡県警は川崎を別件で逮捕した。この際の逮捕理由は「須藤さんのキャッシュカードで20万円を引き出した窃盗容疑」と、「須藤さんの口座から計454万円を不正に送金した詐欺容疑」であった。しかし、この時静岡県警は「出町さん殺害」や、「須藤さんの失踪」に川崎が深く関与しているに違いないと考えていた。この際の留置中に川崎は不安からなのか理由はよく分からないが、窃盗容疑で留置されていた隣の房の男に2件の殺人事件について告白している。
川崎が男に語った内容は「マンションを取るためにおっさんを殺した。その後、若い奴を殺し、ふたりの遺体は浜名湖周辺の同じところに捨てた」だった。その他にも「肉片とか出たら困る」と話していた。そんな中、8月31日に浜名湖岸で須藤さんの骨数本を近隣住民が発見した。静岡県警は鑑定結果から須藤さんのものと断定。殺人・死体遺棄事件として浜松中央署に捜査本部を設置した。静岡県警は9月22日、須藤さんへの殺人・死体遺棄・損壊容疑で川崎を再逮捕した。
川崎竜弥は浜松市北区のみかん農家で、4人兄弟の長男として育った。幼少期は長男として祖母らにかわいがられ、よく「将来は仮面ライダーのようなヒーローになりたい」と話していたという。その後、地元の小中学校を卒業したが、小学校高学年頃を境に、地域住民との交流が減っていった。これ以降、成人後も自治会の活動などには参加しなかった。中学時代は剣道部に所属しながらパソコンに熱中していた。基板をいじり、好きなことをとことん突き詰めるタイプだったという。
川崎は2001年、浜松市内の工業高校に進学したが、3年生の時に中退している。その後は肥料会社や土建会社、運送会社などを転々としている。2009年から勤務した浜松市内の運送会社では、殺害した須藤敦司さんと同僚だった。川崎の性格は遊び好きで、非常におしゃべりだという。別件逮捕された時も、留置場で知り合ったばかりの男に2件の殺人事件について告白していた。これらの証言は「信憑性が高い」と認定され、公判では証拠として採用されることになった。
そんな”おしゃべり”な川崎だが、公判中は黙秘をくり返し、その回数は200回以上。彼は裁判では黙秘を貫き通した。川崎が公判中「黙秘」以外の言葉を発したのはわずかに2回だけだった。検察官が「取り調べをしたのは私だったが、覚えているか」と尋ねたのに対し、「よく覚えている」と答えた際と、別の質問にやはり「覚えている」と答えた時だけだった。しかし、判決は一審・控訴審ともに死刑。最高裁まで争うものと思われたが、判決直前に自ら上告を取り下げ、死刑が確定する。
その心情について川崎は2021年2月15日に面会に訪れた弁護士に対し、「刑が執行されることに納得した」と話してたという。2023年5月19日時点で、東京拘置所に収監され、刑の執行を待つ身である。殺害された須藤敦司さんの45年来の友人である67歳の男性のもとに同月13日、川崎から「私は判決には納得しており、責任を取るべきだと考えています」という内容の手紙が届いたという。この事件は被告が黙秘を貫いたため殺害方法や動機など不明な点が多い。