新井竜太
主犯の新井竜太(41)と共犯の高橋隆宏(37)は従弟同士で、母親同士が姉妹だった。新井の実家は建築関係の会社を経営していて、ふたりはこの会社で働いていた。高橋は新井のことを”何でもできる凄い人”と思い、ずっと新井について行こうと考えていた。新井の考えたことを高橋が実行するような関係だった。新井は、ふたりの関係を”マジンガーZ”というロボット・アニメに例え、新井が頭で、高橋が体だと言っていたが、高橋はそれに納得していた。
高橋隆宏と被害者・安川珠枝さん(46)は2006年11月8日頃、出会い系サイトで知り合った。安川さんは高橋に惚れ込んでいて、言われるがまま離婚し、高橋の元へとやってきた。その後、安川さんは新井と高橋に意のままに操られ、完全にふたりの金づるだった。生活保護費を不正に受給させてそれを取り上げたり、借金を作らされた。高橋は多額の借金があったが、安川さんと養子縁組して名前を変えることで、新たな借金ができるようにもしていた。
さらには安川さんは無理やり売春を強要されたあげく、儲けは新井と高橋のふたりに取り上げられていた。2007年には通帳詐欺に加担させられ、詐取したカネは当然のごとく新井と高橋のふたりのものになった。そして罪は安川さんひとりが被ることになり、9月25日に保護観察付き執行猶予の判決を受けた。それ以後はビジネスホテルや高橋の実家などを転々とし、2008年1月30日から事件発生まで、新井の会社の事務所で寝泊まりするようになった。
このように”金銭を得る道具”として安川さんを利用していたが、次第に利用価値が薄れていくと、ふたりは彼女を邪魔に感じるようになっていった。この頃、安川さんは売春させられていることを新井の母親に打ち明け、新井は母親に問い詰められた。新井は否定し続けてやり過ごしたが、このことで安川さんに対し腹を立てていた。そうしたような事情が幾つか重なり、2007年9月頃、新井は安川さんに保険を掛けて殺害し、保険金を騙し取る計画を立てる。
安川さん殺害の現場となった家
そしてその計画を聞かされた高橋は、その考えに感心したという。万一、保険金が安川さんの子どもに渡った場合のことを考え、彼女に架空の借用書を書かせて回収できるようにもした。この借用書は安川さんが逃げられないようにするための”縛り”としても機能した。2007年12月12日付けの保護観察官宛の手紙に「500万の借用書を取られている。逃げたら実家や子供の所に行ってお金を取り返すとか言われているので何もできない」と書いている。
同月18日に面接した保護観察官に対し、「借用書は新井さんか高橋さんが持っている。アパートを用意するので売春しろと言われて売春した」と伝えた。2008年3月11日深夜、高橋は新井から殺害の計画を聞かされた。彼には借金もあり、欲しい車のためにカネが必要だった。それに”断ると新井に捨てられる”と思い、直ぐに承諾した。殺害方法は安川さんに睡眠薬入りの飲物を飲ませて眠らせたうえで、水を張った浴槽で溺れさせるという計画だった。
また犯行時は新井はアリバイを作るために外出すること、死亡時刻を分からなくするために、風呂を追い炊き状態にすることも決めた。殺害後の警察などの対応や、保険金請求の手続きは、すべて新井が引き受けることになった。2008年3月13日未明、睡眠薬15錠ほどを細かく刻み、ドリンク剤2本に分けて入れた。新井は1本は試し用で1本は本番用だと言った。午前2時半頃、高橋がそのうちの1本を安川さんに飲ませたところ、彼女は数分で眠った。
安川さんは午前5時半頃、起きてトイレに行ったが、まともに歩けていなかった。トイレから出てきた際、トイレットペーパーを尻尾みたいにひきずって皆に笑われたが、反応しなかった。そして彼女はまた寝てしまった。午前8時頃、新井と母親は事務所を出発した。高橋は寝ている安川さんを起こし、本番用のドリンク剤を飲ませた。そして15分後、軽くたたいたりゆすったりしても安川さんが起きないと確認。午前9時頃、計画通り入浴中の事故に見せかけて殺害した。
風呂を追い炊き状態にするなどの偽装工作をした後、新井に連絡をして迎えに来てもらった。それから、新井の母親と3人で近くのファミリーレストランに行って朝食を取った。その後、3人で事務所に戻った時、新井の母親が浴槽内に沈んでいる彼女を発見した。通報を受けて駆け付けた神奈川県警は泥酔して水死したという新井の説明を鵜呑みにし、安川さんの司法解剖を行なわなかった。後日、保険会社から問い合わせが来た時も再捜査を行わなかった。
高橋隆宏
そのため2008年7月31日、保険会社から規定通り、保険金3600万円が高橋の口座に振り込まれている。保険金請求の準備や手続きは、ほとんど新井が行っていた。新井と高橋は銀行に行って全額を引き出し、新井は現金の全額を管理した。高橋は借金の返済と生活費として600万円、車の購入代金200万円、合計800万円を受け取った。一方の新井は約280万円で車を購入し、約52万円で内妻方の各種電化製品をそれぞれ購入した。
新井と高橋の共通の叔父である久保寺幸典さん(64)は埼玉県深谷市でひとり暮らしをしていた。2009年4月27日、隣家の失火により久保寺さんの家が一部延焼するという出来事があった。これにより久保寺さんには、県民共済から火災共済金946万円余りが振り込まれた。さらに別の保険会社から火災保険金825万円を請求する際、手続きが面倒だったことから、甥である新井の助けを借りたのだが、この際の手際の良さに久保寺さんは感心した。
そこで久保寺さんは、まとまった金額を新井に預け、運用して増やしてもらうことを依頼した。新井は高橋の紹介した人間との間で葬儀屋を立ち上げることを考えついた。新井は久保寺さんに葬儀屋の計画を話し、久保寺さんは乗り気になっていた。そして、そのための口座を開設し、そこに500万円を振り込んだ。通帳と印鑑は新井に預けた。久保寺さんは7月、自身の姉のこの件を話したところ、葬儀屋は簡単にできる仕事ではないことを理由に反対された。
姉の説得に納得した久保寺さんは新井に通帳等の返還を求めたが、新井は返さなかった。そのため8月4日、口座を利用停止にして、残高を調べたところ2~3万円しかないことが判明し、久保寺さんは激怒した。8月6日、説明のため訪ねてきた新井に対し、「カネを返せ、裁判を起こす。弁護士にも相談している」などと言い放った。それを聞いた新井は焦っている様子だった。その日の昼頃、新井と高橋は埼玉県東松山市内のファミリーレストランで会った。
新井が「叔父(久保寺さん)が金を返せと言っている。さらに自分の子供の悪口を言ってきた」などと話し、その後「もう許せねえ、殺してくれないか」と頼んできた。高橋は既にひとり安川さんを殺害していたし、新井が儲かれば自分も儲かるなどと考え、これを承諾した。その場で、新井から久保寺さん方の合鍵を渡され、久保寺さんが寝た後の夜10時以降に決行することになった。計画では自殺に見せかけるため、久保寺さんの家の包丁を使うことになっていた。
しかし、「切れる包丁がないと困る」と高橋が言うと、新井も同意して内妻方の包丁を使うことになった。ふたりは川崎市内の新井の内妻方に行き、高橋は新井から包丁を手渡された。8月6日午後11時頃、高橋は久保寺さんの家に到着。家に入ると、久保寺さんは起きていた。仕方がないので、高橋はふたりで酒を飲んだ。この時、高橋は新井に「叔父が起きた。自殺の偽装は無理。もみあった形で殺す方法でもいいか」という内容のメールを送信した。
ふたりの酒盛りは日が変わっても続いた。そして7日の早朝、久保寺さんがやっと寝たので、高橋は新井にそのことをメールで報告。高橋はどちらかというと中止にしたい気持ちもあり、それを期待して「近所の人に声を聞かれた」という文言を送った。 だが、新井からの返事は「状況判断は任せる。今が問題ないと思う」という内容だった。これは『決行しろ』という意味だと高橋は理解した。高橋は軍手を嵌めて準備してきた包丁を取り出し、久保寺さんの胸を刺した。
久保寺幸典さん宅
刺し傷は、胸から背中に貫通する深いものだった。殺害が完了すると、新井に対し「終わりました」という内容のメールを送信した。暫く待ったが、新井からの返信がないので電話をかけた。電話に出た新井の指示は「戸締まりを確認しろ。もう明るいので、夜まで待て」という内容だった。だが、高橋は遺体のある家で夜まで待つのは嫌だったので「待てない」と答え、高橋は久保寺さんの家をあとにした。その足で川崎市内の新井の本妻方に行き、新井と合流した。
久保寺さんの殺害から2日経った2009年8月9日午後、久保寺さんの家の洗濯物が干されたままになっているのを不審に思った近隣住民が警察に通報した。そして、駆け付けた警察官が室内を確認すると、久保寺さんの遺体があった。包丁が胸から背中にかけて貫通していた。埼玉県警は当初、遺体に争った形跡がなく、室内も荒らされていなかったことから自殺とみていた。しかし、遺書がなかったことから、他殺の可能性も視野に入れて捜査を始めた。
しかし、この時点で捜査の手が新井と高橋に及ぶことはなかった。久保寺さんを殺害してから、約10か月が経った2010年6月、新井と高橋は別の詐欺事件で逮捕されていた。ふたりは2008年年11月4日、ふじみ野市で交通事故を偽装し、保険会社から約85万円を騙し取っていた。一方、久保寺さん殺害の捜査も、進展をみせていた。埼玉県警は新井と久保寺さんとの間に「葬儀会社の設立資金500万円をめぐるトラブル」があると突き止めていた。
ふたりはこの件で取り調べを受けていたが、高橋は犯行を認める供述をした。新井が自分ひとりに罪を着せようとしていると知ったからだった。さらに6月20日、高橋は安川さん殺害についても上申書を作成して自首をした。6月25日には、容疑が強まったとして久保寺さん殺害容疑でふたりは再逮捕され、11月4日には安川さん殺害についても彼らは逮捕された。さらに1月20日には、安川さん死亡時の保険金を騙し取った容疑についてもふたりは逮捕された。
神奈川県警は安川さんの殺害について、事故死と断定したことについて「関係者の供述をそのまま鵜呑みにし、徹底した周辺捜査を怠った」「事件性が低いと判断して遺体の解剖もせず、水死の背景を明らかにする機会を失った」と、当時の初動捜査ミスを認めた。前述したように、神奈川県警は安川さんの事件については、検視官の臨場や、司法解剖も行わず、保険会社からの問い合わせがあるまで、安川さんの保険加入状況も把握できていなかったという。
ジャーナリストの取材に、新井は「高橋は死刑になりたくない一心で、先に自白して心証を良くしたうえで、『自分(新井)に従っただけ』と主張している」と述べ、「高橋は安川さんを金づるしたが、自分は関与していないし。高橋は安川さんには自分の命令として売春させていたが、それは嘘で自分らの主従関係は強固なものではなかった」と証言した。さらに「葬儀屋の件で久保寺さんから500万円を預かった経緯も、高橋が知人と裏で糸を引いていた」と主張した。
凶悪犯罪者は基本的に反省もせず、嘘も平気で吐く。まともな人間の思考とはまったく違うので、この新井の話を鵜呑みにすることは危険である。しかし、神奈川県警の捜査が杜撰だったことも事実なので、判断が難しいところではある。初公判から判決公判まで、新井が無罪を主張し、高橋が起訴事実を認めたため、公判は分離された。一心同体のように悪事を重ねてきたふたりだったが、裁判では「どちらが主導的立場だったか」について醜く争い合うことになった。
2011年6月27日、さいたま地裁にて初公判が執り行われた。検察側は7月6日、実行犯である高橋に対し、極めて悪質で動機に酌量の余地は全くないとして死刑を求刑した。7月9日の最終弁論で、弁護側は「新井が主導的立場であり、高橋は服従する関係だった」こと、「高橋の自白で、事件の全容が解明できた」として、情状酌量による無期懲役を求めた。さいたま地裁は7月20日、弁護側の主張を認めて、高橋に無期懲役の判決を言い渡した。
新井竜太被告の第一審初公判が2012年1月17日、さいたま地裁で開かれた。新井は安川さんと、久保寺さんの両名の殺害について、ともに関与を否認した。安川さん殺害については「事故死だと思っていた」と説明し、死亡保険金3600万円の詐取についても「事故死なので詐欺ではない」と主張した。一方の検察側は冒頭陳述で、「被告は借金を踏み倒すため、安川さんに養子縁組をくり返させたり、売春させるなど、金づるにしていた」ことを明らかにした。
そして、高橋から「(安川さんが)思ったより稼げなくなった」と相談され、保険金殺人を提案したと指摘した。さらに、安川さんが売春について新井被告の母親に告げ口したことに怒り「睡眠薬を飲ませて浴槽に沈め、事故に見せかけて殺すよう、高橋に指示した」と主張した。弁護側は遺体が司法解剖されていないことから「睡眠薬を飲まされたという証拠はない」と主張している。「仮に殺害があったとしても、高橋受刑者の単独犯行」とし、新井被告の指示を否定した。
同年2月15日の論告で検察側は「新井被告がふたりの殺害を計画した」と指摘した。そして「(既に受刑者になっていた)高橋にふたりの殺害方法を具体的に指示し、実行させた」と指摘したうえで、「極めて計画的で残虐な犯行である。騙し取った保険金の約8割が新井被告の分け前となったことなどから、新井被告が首謀者であることは明らかである。ふたりの尊い命を金銭的利欲のために奪った犯行の悪質さ、遺族感情などに照らして極刑以外にない」と主張した。
最終弁論で弁護側は「犯行は高橋受刑者が決断し、実行したものであり、新井被告は責任を転嫁されたもの」として改めて無罪を主張した。最終陳述で新井被告は「自分は女性(安川さん)が高橋から自立する手助けをしていた。また久保寺さんは親戚のなかでも一番仲の良い叔父だった。事実を伝えたい」と、便箋9枚にわたる文面を読み上げた。そして「事実と違う過去を押しつけられ、私は犯人に仕立て上げられた。どうか適切な判断をしてください」と述べた。
判決で裁判長は「高橋受刑者と交わしたメールと照らしても、被告の供述は不自然であり、不合理で信用できない」と新井被告側の無罪主張を退け、「主導的立場で高橋受刑者を意のままに動かしていた」と指摘した。そのうえで「保険金の7割を超える2800万円を自分のものとした。人の命を多額の金銭に換える利欲的で、おぞましい動機に酌量の余地はない。遺族も極刑を望んでいる。反省や改悛の情もうかがえず、刑事責任は重い」と述べて、死刑を言い渡した。
この事件は埼玉県内の裁判員裁判では、初の死刑判決となった。2月28日、弁護側は判決を不服として、東京高裁に控訴している。2012年7月31日の控訴審初公判で、弁護側は「殺害は高橋受刑者の単独犯行」と主張した。だが、2013年3月18日に判決公判が開かれ、東京高裁の判決で裁判長は新井被告に再び、死刑を言い渡した。判決理由のなかで、裁判長は一審判決について「判断に誤りはない」と述べて、「犯行に酌量の余地はない」と指弾した。
新井被告の弁護側は2013年6月28日、一審判決の量刑を不服して最高裁へと上告した。そして2015年10月23日の最高裁弁論で、弁護側は「共犯である高橋受刑者の供述には、多くの変遷や不自然さがあり、全く 信用できない」などとして、新井無罪を主張した。一方の検察側は上告棄却を求め、結審した。2015年12月4日の判決で裁判長は「高橋受刑者の証言は裏付けがあり信用性が高い一方、新井被告の弁解は不合理だ」と無罪主張を退けた。
そして、裁判長は「新井被告は共犯者である高橋受刑者が自分の意のままに操れることを利用して、冷酷かつ非道な犯行を実行させた。犯行の動機は利欲的であり、身勝手な動機による計画性の高い犯行である。何の罪もないふたりの尊い生命が奪われた結果は重大であり、新井被告の責任は高橋受刑者に比べても、相当に重いと言わざるを得ない」と指摘した。これにより、新井竜太の死刑が確定した。現在彼は、東京拘置所に収監されて、死刑を待つ身である。