鹿沼京子さん

 

裁判長から「(被告人が恨みがある言えば)被害者が『申し訳ないことをした』と言うとでも思ったのかや、「警察に届け出た被害者が間違っていると思うのか」などと強い口調で質問されると、持田被告は言葉に窮し、質問に答えられない場面もあった。また持田被告は表面上は遺族に謝罪の意を示していたが、その一方で強姦致傷事件について「鹿沼さんにも落ち度があったと思う。見知らぬ男から声をかけられれば注意するのが普通だと思う」などと供述していた。

 

199912日の論告求刑で、検察側は持田被告に死刑を求刑した。犯行動機について「犯罪被害者が警察に被害を届けるのは当然の権利」としたうえで、「それを逆恨みして報復するのは言語道断。刑事司法に真っ向から挑戦するに等しい反社会性の強い犯行だ」と批判した。さらに、持田被告に殺人前科があることなどを挙げ、「人命を軽視する被告の自己中心的で冷酷な反社会的性格は顕著で、年齢(56)を考えれば改善期待できない」と結論づけた。

 

16日の最終弁論で、弁護側は「深夜に偶然出会った男(持田被告)とふたりで飲酒し、店を出てからも一緒に夜道を歩いたのは被害者の重大な落ち度だ」と述べ「その落ち度が強姦事件に直結し、最終的に年半後に刺し殺される羽目になった」という内容の弁論を行い、傍聴席から怒号が飛ぶ事態となった。最終的に弁護側本件はストーカー的な行為の過程で偶発的に起きたもので、いわゆるお礼参り殺人とは違う」として、無期懲役か長期の有期刑を求めた。

 

持田孝

 

199927日の判決公判で、東京地裁は持田被告に無期懲役の判決を言い渡した。裁判長被告の殺意について、以下の理由から「札幌刑務所を出所した時点で、被害者に対して確定的な殺意を抱いていた」と認定した。出所からわずか日後に、団地で被害者の居室を探し始めた居室を特定する前に凶器の包丁などを購入している犯行直前、包丁の柄に滑り止めを巻きつけ被害者を待ち伏せ、『年前の事件のことを覚えているか』と脅している

 

判決の無期懲役という量刑について裁判長は「本件は誠に悪質な事案であって、被告人の刑事責任は極めて重いが、極刑を選択せざるを得ない事案であるとまでいうことはできず、被告人に対しては無期懲役刑をもって臨むのが相当であると考えられる」と結論づけた。この判決を受けて、検察側は量刑不当を理由に日付で控訴した。控訴審でも持田被告は「被害者がその場で警察に届け出たことを謝罪してくれれば、殺害するつもりはなかった」との主張を維持した。

 

200028日の控訴審判決で、東京高裁は原判決を破棄自判(上訴を扱う裁判所が原審の判決を不当として破棄したうえで差戻しをすることなく判決することし、持田被告を死刑とする判決を言い渡した。犯行動機については「理不尽、身勝手、短絡的で、酌量の余地が全くない」と指摘したうえで、「被告が強姦致傷事件で逮捕されてから、一貫して被害者の殺害を考え続けており、出所後に計画を具体化させて実行した」とする原判決の判断を追認した。

 

また凶器として「包丁だけでなく、絞殺も想定してロープ2本を用意していた」点など、「いずれも被告人が持つ危険な犯罪性行というべきである」と指摘し過去の殺人前科で出所してから本件発生まで10年あまりしか経過しておらず、その間にも強姦致傷事件を含めて回服役しており、札幌刑務所を出所してからわずかか月弱で犯行に及んだ点から「被告人の犯罪性行は相当に深化している」と述べた。弁護側は判決を不服として、日付で最高裁に上告した。

 

200416日に上告審が最高裁で公判が開かれ、上告審は結審した。弁護側は計画性や強固な殺意を否定したうえで、「動機は単なる恨みであり、利欲的な動機はない」として、死刑判決を破棄するよう求めた。一方、検察側は「強固な殺意に裏打ちされた犯行であることは明らかで、被害者ひとりで死刑が確定した他の事案と比べても、勝るとも劣らない非道な犯行」「報復殺人は犯罪を助長させ、治安の根幹を揺るがせかねない」と主張し、上告棄却を求めた。

 

1013日、最高裁において判決公判裁判長は持田被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。これにより、死刑が確定した。裁判長は「動機の悪質性」や、「高度な計画性・強固な殺意に基づく犯行である」ことなどを理由に、「被告人の罪責は誠に重大であり、一審判決(無期懲役)を破棄して死刑に処した高裁の判断は、やむを得ないものとして是認せざるを得ない」と結論づけた。持田は2008年、東京拘置所で 死刑を執行された 享年65だった。