江美早苗さん
51年3か月の長きにわたり「新婚さんいらっしゃい!」のMCを務めた桂文枝が今年3月27日(日)放送回をもって勇退した。アシスタントの山瀬まみも番組を卒業した。文枝の後任を藤井隆が務め、アシスタントには井上咲楽が機用された。「新婚さんいらっしゃい!」の初期の関係者は長寿番組になるとは思わなっただろ。なぜなら、初代アシスタントしていた女優の江美早苗(本名:神田恵美)が夫に殺害されるという事件が起こっているからだ。
江美早苗は1951年3月15日、島根県松江市に誕生。実家は老舗旅館であり、4人兄弟の末っ子だった。6歳からバレエを習い始め、小学2年生になった1958年、西野バレエ団に入団した。1966年、松江市内の中学校卒業後、島根県立松江北高等学校に進学するも、親の反対を押し切り同校を中途退学して東京に移り、同バレエ団で活躍、やがて金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子と並ぶ5人娘と呼ばれるようになった。
1967年、「レ・ガールズ」という音楽バラエティ番組が放送スタートした。これは西野バレエ団の精鋭メンバー5人で結成されたグループ「レ・ガールズ」の冠番組だった。容姿端麗で、歌とダンスがうまく、5人組。それ以前に、日本の芸能界にこの手のグループは存在せず、彼女たちが、現在のさまざまなグループアイドルの源流だという見方もある。5人はその後、映画「ミニミニ突撃隊」、テレビドラマ「フラワーアクション009ノ1」といった作品にも主演している。
江美はソロとしても、1971年1月31日に放送開始した「新婚さんいらっしゃい!」の初代MCに19歳で抜擢され、月亭可朝、桂三枝との3人で番組のスタートを切った。7月11日の放送分を最後に同番組を降板、翌週からの2代目MC梓みちよに交代した。6月16日に公開された映画「呪いの館 血を吸う眼」のヒロインを演じた。この作品は女優としての江美の代表作とされる。順調な芸能活動を送っていた江美だが、21歳の若さで引退している。
「涙で飾りたい」のジャケット
そんな江美が屋代昭彦という男と知り合ったきっかけは江美が「涙で飾りたい」という歌でソロ歌手としてデビューする時だった。この時のフィリップスレーコードの担当ディレクターが屋代であった。当時の江美は18歳であり、子供である。生き馬の目を抜く芸能界で生きてきた屋代から見れば、小娘を口説き落とすことなど容易かったことだろう。仕事で接するうちにふたりは男女の関係になってしまった。屋代には当時、妻がおり江美とは不倫という関係だった。
この不倫が原因で屋代の妻は自殺をしている。その後、屋代は江美と結婚した。屋代は酒、女、ギャンブルにカネをつぎ込む典型的な駄目男で、江美との結婚後も行動は改めず、放蕩生活を送っていた。しかも自分の収入だけでは遊ぶカネが足らず、江波にカネの無心までするようになった。 こんな状況で結婚生活が長続きするはずもなく、屋代と江美は1985年、離婚した。ところが、屋代は離婚後、江美に復縁を要求してストーカー化した。
駄目男・屋代昭彦
屋代がしつこくつきまとったり、嫌がらせ電話をかけてくることから、江美は大崎署に相談していたが、当時はストーカー規制法はもとより、ストーカーという明確な定義もなかった。屋代は1988年3月5日、東京都品川区上大崎の江美の自宅マンションにバスルームの窓を破壊して侵入した。江美は刃渡り20cmの牛刀及び登山ナイフで、全身22か所を滅多刺しにされ、致命傷を受けた。近くの病院に運ばれたが、江美は3月5日19時5分、死去した。
屋代は屋上に籠城し抵抗したが、翌日0時28分に逮捕された。その後、警察の取り調べで屋代は、「離婚されて憎しみがつのり2年前から殺す計画をしていた」と供述した。5月17日には東京地裁で初公判が行われた。公判を重ね、屋代昭彦に対して、懲役12年の実刑が言い渡され、服役した。江美の暮らしたマンションは2003年、22階建ての高層マンションに建替えられた。元夫はすでに刑期を満了して出所しているが、その後の消息は分からない。