史上最悪のひき逃げ事件と称される「田畑作之介ちゃんひき逃げ連れ去り事件」である。この事件は轢き逃げと連れ去りといった最悪の組み合わせで構成された事件だった。事件現場には、多数の目撃者がいたにもかかわらず、犯人の特定には至っていない。残念なことに1983年には時効が成立し、2022年現在も被害者の作之助ちゃんの行方は掴めていないままだ。

 

1978年3月3日午後4時半頃、大阪市住之江区で田畑作之助ちゃんが中年男に連れ去られて失踪する事件が発生している。作之介ちゃんは当時3歳であり、自宅近くの道路で近所の5歳の男児と遊んでいた。その際に、作之助ちゃんは走ってきた自動車に撥ねられた。一緒に遊んでいた5歳の男児によれば作之介ちゃんは頭部から血を流しぐったりとしていたという。

 

車から降りてきた男は「どこの子やろか? 救急車待っている時間がないので自分でこの子を病院に連れていく」と言い残し、作之介ちゃんを車に乗せて走り去った。一緒に遊んでいた当時5歳の男児は作之介ちゃんの家に駆け込み、母親に事情を説明した。作之助ちゃんの母親と男児は急いで事故現場に戻るも、犯人は車で走り去っているのでその場には何も残っていなかった。

 

母親は近くの病院に片っ端から問い合わせてみたが、どこの病院にも作之介ちゃんは運び込まれていなかった。おかしいと直感した母親は警察に通報した。次の日になっても犯人からの連絡がないことから警察は誘拐事件と断定し、捜査が開始された。その後、目撃情報などを元にモンタージュ写真を作成し情報提供を呼びかけた。しかし、大きな手掛かりは得られなかった。

 

 

5年後の1983年の3月3日に業務上過失致死及び略取誘拐罪などの時効が成立した。発生時間が夕方で人通りの多い時間帯だったことから、現場近くを通りかかった女性や近くで働いていた作業員など目撃者が多数いた。これらの目撃者によって「スーツを着ていない40歳くらいの中年男で、乗っていた車は白いカローラ。南の方へ走り去った」という情報がもたらされた。

 

また、車が作之介ちゃんを撥ねた後に停止するまで数十メートル走っていたという証言もあった。恐らくは、そのまま逃げるか、逃げないか迷っていたと推定される。現場には急ブレーキを踏んだ跡がないのが現場検証で判明しており、犯人の前方不注意が事故原因であると報告された。しかし、多くの目撃情報があったもののナンバープレートの判明までには至らなかったのだ。

 

当時はNシステムや防犯カメラの導入がいきわたっていなかった時代なので、加害車両を特定することは出来なかった。わざわざ車を止めて降りてきたということから、当初は救護する意思はあったのかもしれない。しかし、隣にいる作之介ちゃんの状態が悪く、怖くなって逃げるという選択肢を選んだ可能性がある。加害者の「自分で病院まで連れていく」というこの発言が虚しい。