中村三奈子さん

 

1998年4月6日、新潟県立長岡高等学校を卒業したばかりの中村三奈子さん(18)が当然いなくなった。その日の朝、母親のクニさんが「今日は予備校の入学金を納める日だよ」と三奈子さんに声をかけると、三奈子さんが「うーん」とだけ気のない返事があった。この言葉を最後に彼女の行方が分からなくなった。財布だけがなく、衣類も手付かずでいつも持ち歩くカバンなども置いてあったことから、家族はすぐ帰ってくるだろうと考えていた。

 

ところが、この日から三奈子さんが帰ってくることはなかった。警察に捜索を依頼しても、「財布だけ持って出ているなら、2日3日すれば戻ってくるでしょう」と取り合ってもらえなかった。家出ならば資金が必要だが、当日に払う入学金50万円が入った封筒は3万円だけ抜かれ、後の47万円はそのまま残されていた。近くにあったチラシの下から三奈子さんが書いたメモが見つかり、「3万円借りました。私の通帳からおろしてください」と書いてあった。

 

その通帳は三奈子さんの部屋にあり、10円玉を貯めていたペットボトルが空になって転がっていたという。彼女の部屋のごみ箱から細かく切ってあるレシートが見つかった。母親のクニさんが繋ぎ合わせると、新潟県庁にある売店の証明写真のレシートということが判明した。その後、三奈子さんがパスポートを取得したことが分かった。自宅近くの出張所で取得できるパスポートをわざわざ片道1時間以上かかる県庁に出向いて申請していたことになる。

 

パスポートの発給を県庁で申請すると、地元の長岡の出張所でするより、1週間ほど早く取得できることから、おそらくこれが、三奈子さんが県庁まで出向いてパスポート申請した理由であろう。三奈子さんは、どうしても早くパスポートを取得する必要に迫られていたに違いない。そして、未成年者のパスポート取得には保護者の承諾が必要であったが、三奈子さんは母親の保険証を使って、自ら保護者欄に代理として記入していたことが分かっている。

 

三奈子さんがパスポートを取得したことが判明したことから、母親のクニさんは新潟空港やその周辺の旅行会社などを尋ね歩いた。ひと月後、ようやく、三奈子さんがいなくなった翌日の7日、午前9時40分発の韓国行きと、そして1週間後の14日に日本に帰国する航空券を予約していたことをクニさんは突き止めた。三奈子さんが予約の電話を旅行会社に入れたのは、パスポートが発給された4月3日であり、その代金は4万8000円であった。

 

ところが、この後に出てくるさまざまな証言や情報が三奈子さん像と大きくかけ離れているのだ。まず、航空券を予約したという女性の電話口の声がハスキーで24、25歳くらいに聴こえたという点である。電話で対応した旅行代理店の関係者は「その女性は、ひどく急いだ様子で明日でも、明後日でも、なるべく早く韓国に渡るための航空券が欲しい。韓国には以前、行ったことがあるのでホテルの手配などは必要ない」と話していたと証言している。

 

電話の声色から年齢を推し測ることは難しいが、三奈子さんの声はハスキーボイスとはかけ離れており、やや高い甘い声だった。また三奈子さんは韓国どころか、海外旅行の経験すらなかった。そして、当日に空港の団体カウンターで搭乗券を受け取った女性も派手なブラウスを着ていたと証言されたが、三奈子さんが好んだのはクニさんのお下がりなど落ち着いた色で、失踪した当日も着ていたとされるグレーっぽい紺色のパーカーとも異なっていた。

 

韓国金浦空港

 

だが、三奈子さんが韓国に渡ったことは確かだ。その手がかりとなったのが、韓国の金浦空港に提出した入国カードだ。クニさんは2004年、このカードを確認し「カードの筆跡は娘のもの」と証言した。入国カードには滞在先を書き込む欄があり、三奈子さんのカードには波状のサインがあった。韓国の入管関係者は「これは『トランシップ』のサインで滞在先が空欄の場合、旅行者に尋ね、韓国から他国に向かうと答えた場合、記載する」と説明した。

 

そうだとすれば、三奈子さんは韓国の入管で「韓国を経由して第三国へ行く」と答えたことになる。とても海外渡航歴経験がない若い女性の行動とは思えない。三奈子さんはふたり姉妹の次女で、父親は三奈子さんが生まれる前に他界している。当時、姉は関西地方の大学に通っていて、三奈子さんはクニさんと母娘ふたりで暮らしていた。三奈子さんは常々「ママがひとりになるから遠くには行かない」と話しており、海外に出国する動機が彼女になかった。

 

この事件は韓国でも報じられ、韓国でも取材が進められた。そして、飛行機の座席表から三奈子さんと一緒に搭乗したハスキーな声で派手な服装のAという韓国人女性の存在が判明した。Aは1970年代に日本人男性と結婚し、日本に帰化している。1990年代後半に、韓国で寺を建て宗教法人を設立し、その代表を務めている。Aは韓国行きの飛行機で近くに座っていた女の子については「まったく記憶にない。私は警察にもそう話した」と話している。

 

Aの知人によると、Aは日韓ワールドカップが終わった頃、「日本で行方不明になった女性と金浦空港の出口に一緒に出た。空港には男女ふたりが迎えにきた。ほんの少ししか謝礼金をもらっていなのに、警察から取り調べを受けるはめになった」と文句を言っていたという。一連の三奈子さんをめぐる不可解な動きには第三者の存在があったことは想像に難くないが、その目的は不明である。2022年6月末現在、三奈子さんの韓国からの出国記録はない。