瀬田英一さんと妻千枝子さん

 

2009年5月25日0時頃、東京都板橋区の住宅街で火災が発生。火災は駆けつけた消防隊によって鎮火したが、焼け跡から、この家に住む不動産賃貸業の瀬田英一さん(74)と、妻千枝子さん(69)が遺体で発見された。彼らは火災によって命を落としたのではなく、鈍器で殴られた痕跡があったことから、警察はふたりが殺害された後に自宅に火を放たれた強盗殺人事件と断定し、捜査を始めた。だが、発生から12年の歳月が流れた今も解決には至っていない。

 

この「板橋資産家夫婦放火殺人事件」で殺害された瀬田さん夫妻は近隣では、かなり有名な資産家であった。遺体発見現場となった自宅でさえ1500平米もある邸宅であり、その周辺には7500平米もの広大な土地を所有していた。そのため、瀬田さん夫妻は毎晩のように池袋の繁華街を飲み歩き、その際に飲食店の関係者らに対して、その真偽のほどはともかく「板橋の自宅から自分の土地だけを歩いて池袋に行くことができる」と豪語していたほどであるという。

 

そうした背景から、この事件は発生当初から大資産家である瀬田さんの富裕な資産を目当てにした強盗目的の事件であるという見方が強かった。しかし、現在ではその見方に誤りがあった可能性を指摘する声が少なからずある。そうした見方をするものは、この事件が「強盗殺人ではなかったのではないか」と警察の想定を疑問視している。例えば、事件発生後の捜査で、殺害された瀬田さん宅には、2000万円以上もの現金が手付かずの状態で残されていたのだという。

 

確かに、犯人に取ってそれよりもさらに価値の高いものが目当てとなっていたのであれば、ある意味、「重くてかさばるだけの札束」などには目もくれず、本来の目的となっていたものだけを持ち去る可能性もあるだろう。だが、そうは言っても人間ならば、「後は大金を持ち去るだけ」という状態でスルーすることができるだろうか。また、このように多額の現金を自宅に保管していた関係もあり、瀬田さん宅はかなり強固なセキュリティが施されており、また、基本的に夫妻揃って行動していた。

 

つまり、犯罪者にとって、瀬田さん宅にある現金はこっそりと盗むことが極めて難しく、奪うしかなかった。それゆえ警察も「強盗殺人」として捜査を開始したのだ。だが、逆に言えば侵入難度の高い場所へと押し入ったのに、なぜ犯人は多額の現金に手をつけず、立ち去ったのか。しかも、瀬田さんは自分の寝床布団の下に、1000万単位の現金を敷き詰めているという話を飲み歩きながらしていたとされ、「瀬田さん宅に多額の現金がある」というのは近隣でも有名な話であった。

 

そうした状況ならば「犯人が現金の存在に気づいていなかっただけ」という推測にもかなり無理がある。つまり、本来であれば事件の目的になりそうな「残された多額の現金」がこの事件を「強盗殺人」と推定する上で、不自然さを与える。この事件は瀬田夫妻に対する怨恨が理由だったのではないか。こうした怨恨説を前提にして改めて事件を見直してみると、犯人が「多額の現金」に目もくれず、「瀬田さん夫妻の命」を奪うことを目的としたならば、この事件の辻褄が合ってくる。

 

瀬田夫妻は頻繁に夜の池袋で豪遊していた。しかも素面ならばかなり強い警戒心を持った人物であるという瀬田さんが、自分の資産状況などについて上機嫌に語っているという証言に鑑みると、頻繁に無防備ともいえる状態になるまで、繁華街で飲んでいたことが窺える。もし犯人の目的が瀬田さん夫妻の殺害であったのならば、そこまで深酒している高齢夫妻の命を奪うことは雑作もなかったことだろう。実際、夫妻の遺体には、防御瘡らしきものが確認できなかったという。

 

これを親しい人物ゆえに隙を突かれて抵抗できなかったと見方もあるだろうが、泥酔ゆえと考える方が自然である。ならば殺害された場所は強固なセキュリティがある自宅ではなく、瀬田夫婦の行きつけの店、そして閉店して他の客がいなくなった時間ではないのか。そうした状況で犯人は計画を実行した。犯人は自分に繋がる証拠を隠す目的で、殺害後に瀬田さん宅に遺体を運び入れ、放火したのではないか。当たらない考察これくらいにして、事件が解決されことを祈る。

 

上申書を提出した原田陽治

 

追記:この記事を書き終えた後に次のような情報を見つけた。2009年9月に、別件で静岡県警に逮捕された暴力団組員である原田陽治は自身が「板橋資産家殺人放火事件の日本人と中国人からなる強盗団メンバーのひとりだったとの上申書を提出した。原田は自分の罪を軽くしようと捜査当局に取引を持ち掛け、板橋資産家殺人放火事件の情報を明かしたのである。そして、殺害現場は被害者宅だったことを明かしている。つまり私の考察は外れていたのだ。