桶川ストーカー殺人事件の主犯とされる小松武史

 

10月26日で発生から23年を迎えることになる「桶川ストーカー殺人事件」 ストーカーという言葉自体も一般に認知されていなかった時代に起こった悲惨な殺人事件であり、ストーカー規制法が制定されるきっかけにもなった有名な事件だが、「主犯格」小松武史の裁判で実行犯の男が検察の筋書きを覆す「新証言」をしていた事実はあまり知られていない。武史から関係者のもとに届いた手紙には、そのことに関する意外な「真相」が綴られていた。

 

埼玉県桶川市の女子大生だった猪野詩織さん(21)がJR桶川駅前のスーパーマーケット「桶川マイン」の入口付近の路上で刺殺されたのは1999年10月26日の13時前のことだった詩織さんは事件の前、元交際相手だった小松和人(27)の配下の男たちから自宅周辺に中傷するビラを大量に張り出されるなど凄絶な嫌がらせを受けていた。埼玉県警は2か月後、和人が営む風俗店の店長だった久保田祥史(34)を殺人の容疑で逮捕した。

 

さらに埼玉県警は実行犯である久保田を逮捕した翌日、和人が営む風俗店で現場の実務を統括、管理していた実兄の小松武史(33)や、詩織さん殺害の現場に同行した風俗店の従業員の男ふたりも共犯者として身柄を拘束している。埼玉県警が描いたこの事件のストーリーは、久保田の犯行後の自白や事件が起きる以前の状況に基づき、「武史が和人の意向を受けて、久保田らに猪野さんの殺害を依頼、ないし命じた」というものであった。

 

実行犯の久保田祥史

 

ところが、波乱は2002年2月12日、さいたま地裁であった武史の公判で起きた。久保田が「私はこれまで取り調べや自分の裁判で、武史から被害者の殺害を依頼されたと証言してきましたが、本当は彼から殺害など依頼されていなかったのです」と述べ、武史が事件に関与していたことを否定したのだ。検察側の最重要証人である実行犯があろうことか、主犯格とされた武史の「冤罪」を証言したのだ。ただ、久保田のこの証言は大きく報じられなかった。   

 

この事件では、所轄の上尾署の怠慢捜査や告訴状の改ざんが発覚して大問題になっており、世間の関心もそちらに向いていた。結局、久保田の新証言は「著しく信用性に欠ける」とさいたま地裁が判断し退けられた。そして、一貫して無実を訴えていた武史は2006年、最高裁で無期懲役刑が確定した。この結末に異を唱える声は当時も今も皆無に等しい。だが、改めて事実関係を調べてみると、久保田の新証言の信ぴょう性は案外否定しがたいのだ。

 

 この事件では、捜査段階から「なぜ主犯が和人ではなく、武史なのか?」という指摘がなされてきた。詩織さんの交際相手であった和人ではなく、武史が詩織さんに殺意を抱く事情はどこにもないのだ。キーマンの和人が逃亡先の北海道で自殺して、その疑問は結局、十分には解明されなかった。さらに武史の裁判では、久保田とふたりの共犯者とされた従業員に対し、武史が報酬の約束をしたり、逃亡の計画を指示した事実がなかったことも明らかになった。 

 

それどころか、武史は詩織さん殺害直後に、久保田たちをあるカラオケボックスに呼び出し、「なんでこんな最悪の結果になったんだ!?」と久保田を詰問し、最後には彼らに自首を勧めていたという。これらの証言は、カラオケボックスでその場に同席した別の風俗店の店長らの公判での公式なものである。もし、埼玉県警や検察の筋書き通り、詩織さんの殺害を依頼した首謀者が武史であるなら、この言動はあまりにも不自然だといわざるを得ない。

 

ジャーナリストの片岡健氏は千葉刑務所で服役中の武史と手紙をやりとりしている。そのなかで、武史は「久保田はそもそも事件直後から自分とは関係なく、和人のために詩織さんを刺したと犯行に及んだことを認めていた」と訴えている。さらに武史は「自分は風俗店の現場では嫌われ役を務めており、相当、久保田は私を嫌っていたでしょう。逆に和人は反対に、お金をあげたり、飲みに連れて行ったり、久保田に当然、好かれていました」と綴っている。  

 

つまり、久保田は和人の意向をうけ、猪野さんを刺しておきながら、警察に逮捕されると、普段から嫌いだった武史のことを首謀者にでっち上げた。武史はそう訴えている訳だ。武史は手紙で弟である和人との関係についても次のように綴っている。「私は当時より弟が大嫌いですし、(弟が)死んでも私の恨みは、まだ半分あります。和人は何があっても自身の保身だけ考えて、何があっても私の責任と考えていた男です。そんな男を許せる訳がないです」   

 

武史が和人の恨みを晴らしてやるため、久保田に詩織さんの殺害を依頼するほど弟想いの兄ではなかったことはよく分かる。もちろん、武史の主張を何もかも鵜呑みにはできないが、武史の主張は客観的状況や久保田の「新証言」ともよく整合している。たとえ、久保田に殺害の依頼をしていなくとも、武史は風俗店で久保田らの上司であり、詩織さんへの嫌がらせにも関与していたため、道義的責任は免れない。だが、彼の主張が事実なら、「冤罪」である。

 

そして、「逮捕後、事の全てを私は押しつけられて、全てを失い、怒りを通りこして、当時は生きていたくないと毎日思っていましたが、今は不名誉なまま終れないと考え、怒りのエネルギーで、生きています」とも武史は綴っている。武史は現在、再審請求している。そして、宮城刑務所で懲役18年の刑に服していた実行犯の久保田も既に出所している。そう遠くない将来、世の中をあっと驚かせる「主犯であった武史の無罪」の大逆転劇もあるかもしれない。