アーサー・ブレマーがアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの暗殺未遂へと至る過程は映画「タクシー・ドライバー」の主人公トラヴィスのそれとそっくりである。それもそのはず、ポール・シュレイダーは彼の日記を参考にして脚本を書き上げたのだ。ブレマーがロバート・ケネディの暗殺犯サーハン・サーハンの影響を受けていたことは間違いない。その所持品から彼に関する本が2冊も発見されているからだ。

 

確かに、サーハンとブレマーはよく似ている。共に孤独で、挫折感に打ち拉がれ、社会に対して強い恨みを抱いていた。しかし、サーハンにはロバート・ケネディを標的にする理由があったのに対して、ブレマーにはそれがなかった。標的は誰でもよかったのだ。1950年8月21日、ミルウォーキーの貧民窟で生まれたアーサー・ブレマーは一見、平均的な若者だった。体格は良く、成績も悪くはなかった。

 

内向的な彼には友達がいなかった。ましてやガールフレンドはいなかった。21歳の時に家を出て、アルバイトを転々とした後、ある高校で用務員の職を得た。ここで出会った15歳の生徒と生まれて初めてデートの約束をしたのだが、ブレマーが彼女を連れて行ったのは、なんとポルノ映画館だった。これではフラれて当然だが、納得できないブレマーはなおも彼女に付きまとい、警察を呼ばれる始末だ。

 

ブレマーがサーハンのような暗殺者になることを夢見始めたのはこの頃からだった。仕事を辞め、頭髪を剃り、38口径のリボルバーを買い求め、そして日記を書き始めた。暗殺日記である。「これはリチャード・ニクソン大統領の暗殺に関する私の個人的な計画書である。全世界に向けた私の男らしさの声明文でもある」と書かれている。バカバカしいと思うだろうが、書いている当人は大真面目だ。

 

しかし、わざわざカナダまで出向いて、ニクソン大統領に接近しようと試みたが、現職の大統領であり警護が厳重で不可能であることを知る。そこで、民主党の大統領候補ジョージ・マクガヴァンに鞍替えするも考え直し、最終的に黒人差別主義者として悪名高きアラバマ州知事にして、無謀にも大統領選に打って出たジョージ・ウォレスに狙いを定めたのだ。理由は警護が甘そうだからだった。

 

主義主張などは関係なく、誰でもよかったのだ。ブレマーは何週間も遊説中のウォレスを追い、その機会を窺っていた。そして1972年5月15日、メリーランド州ローレルのショッピング・センターでその時は訪れる。握手を求める支持者たちに紛れて、5発の銃弾を撃ち込んだ。その瞬間の映像は映画「アメリカン・バイオレンス」で見ることが出来る。ウォレスは一命を取り留めたが、下半身不随となった。

 

サーハン・サーハンと同様に精神異常を主張したブレマーだったが、陪審員は認めずに有罪を評決、53年の刑を宣告された。9年後の1981年、この哀れな模倣犯を更に模倣する者が現れた。映画「タクシー・ドライバー」に触発されて犯行に及んだジョン・ヒンクリーだ。彼が標的に選んだのはレーガン大統領だった。愚の連鎖は続いた。今のところは愚者は現れていないが、いつ現れるか知れない。

 

9分35秒頃