「石巻3人殺傷事件」を起こした千葉祐太郎は、1991年7月2日に父親がトラック運転手の家庭に生まれた。しかし、千葉が5歳の時に両親が離婚し、その後、千葉は母親に引き取られて育てられることになったが、この母親は離婚してわずか1年後に別の男性と再婚している。母親とこの再婚相手との間には間もなく子供が生まれている。その子供(千葉にとっては妹)が誕生して、すぐの千葉が小学1年生になった頃から、彼は日常的に母親からの虐待を受けるようになっていた。

 

千葉が母親から受けていた虐待は日常的な暴力の他、犬用のリードに繋がれて行動を制限される、食事を与えられない、存在を無視されるネグレクトなどだった。千葉はこの母親からの日常的な暴力の影響で、暴力への考え方が一般的なものとは違っており、「ビンタは3発目から初めて暴力になる」と信じていた事をメディアの取材に明かしている。母親は千葉が小学5年生の頃に再び離婚する。そして、母親は養育能力なしと行政に判断され、千葉は祖母の元へと預けられている。

 

この頃には、千葉の行動はかなり、危うい状態になっていたようで、小学校の友人に「親を叩くとスッキリする」と教えられたことをそのまま信じて祖母や、離れて暮らしていた母親に暴力を振るうようになっていた。そして、千葉は次第に周囲にも頻繁に暴力を振るうようになり、何度も問題を起こして警察の世話にもなっている。ただ、中学には通っており宮城県内の県立高校にもなんとか進学していることから、少なくとも当時面倒を見ていた祖母からのサポートは受けられていたと見られる。

 

千葉は同級生に対する暴力で高校をわずか2か月で退学処分になっている。それからの千葉はさらに非行に走るようになり、傷害事件を繰り返していた。この頃に、千葉は南部沙耶さん(18)と合コンで知り合い交際を始めた。千葉は沙耶さんと交際を始めてすぐにバイクチームに入り、先輩から沙耶さんの態度が悪いと言われ「お前の教育が悪い、叩いてでも教えろ」と命令され、千葉は初めて沙耶さんを青たんができるほど殴った。この出来事以来、沙耶さんへの暴力が常態化し始めた。

 

南部沙耶さんと思われる写真

 

ある日、沙耶さんの妊娠が発覚したが、彼女の家族は出産に反対。そのため、ふたりは東京に駆け落ちする。4日目にコインランドリーに泊まっているところを補導され連れ戻された。その後、沙耶さんは周囲の反対を押し切り、2019年10月に女児を出産。暫くは子供と3人で暮らしていたが、子供が生まれてからも千葉のDVは治まらず、沙耶さんの気持ちに変化が現れた。彼女は娘にも虐待の矛先が向かうことを恐れるようになった。沙耶さんは娘を連れて実家に帰ることが多くなった。

 

千葉から心が離れてしまっていた沙耶さんは、2010年の元日に浮気をしてしまう。それが千葉に発覚し、彼は烈火のごとく激怒した。千葉は2010年2月4日と翌5日、東松島市の沙耶さんの祖母宅で、模造刀や鉄棒で太ももや背中を中心に何度も殴り、火のついたタバコを左太もも内側の付け根や額に押しつける暴行を加えた。これでも千葉の怒りは収まらなかった。彼は昨日と同じ場所にタバコの火を押し付けることを強要した。こうして、沙耶さんは全治1か月の怪我を負った。

 

南部美沙さん                 大森実可子さん

 

同年2月10日6時40分頃、千葉は手下のごとく扱っていた東松島市の無職の少年B(17)を共犯に仕立てようとしたが、少年Bが拒んだ為、千葉はひとりで石巻市内にある沙耶さんの実家に押し入った。2階で寝ていた沙耶さんの姉である南部美沙さん(20)と沙耶さんの友人で女子高生の大森実可子さん(18)を牛刀で複数回刺して殺害した。さらに、その場にいた男性(20)の右胸を刺し、全治3週間の重傷を負わせた。千葉との間に生まれていた娘(4か月)は無事だった。

 

その後、3人を目の前で殺傷されて恐怖に怯える沙耶さんの左脚を刺して全治1週間の軽傷を負わせ、無理矢理車に乗せて連れ去った。事件発生を受け、宮城県警察は石巻警察署に捜査本部を設置。千葉とBは途中で車を乗り換えて逃走したが、同日午後1時頃、同市内の友人宅で身柄を確保され、県警捜査一課と石巻署により、未成年者略取と監禁の現行犯で逮捕した。同年3月4日、石巻署捜査本部は少年ふたりを殺人及び、殺人未遂などの容疑で再逮捕した。

 

沙耶さんは「破局後も千葉につきまとわれている」と警察に相談していたが、仕返しを怖れて被害届を出せずにいた。事件発生の前日、復縁を迫る千葉は沙耶さんの実家に押しかけるが、姉である美沙さんは沙耶さんに取り次がず、警察に通報して、パトカーが駆けつける騒ぎとなっていた。沙耶さんからの相談を受けた美沙さんは千葉に暴力を止めるよう何度も注意していた。姉らが自分と沙耶さんとの仲を引き裂こうとしていると思い込んだ末、美沙さんへの強い殺意を抱いたとされる。

 

刺殺された女子高生は沙耶さんの中学時代の同級生で、大学への入学を目前に控えていた矢先だった。重傷を負った男性は姉の美沙さんの知人で、偶然居合わせ寝込みを襲われた。石巻警察署は沙耶さんから12回に渡って相談を受け、千葉には沙耶さんに近づかないよう2回警告をしていた。事件前日、南部方からの通報により警官が駆けつけるも千葉は既に立ち去っていた。そのため沙耶さんを署に同行し、診断書と被害届を出すようにと説得。10日に提出する予定だった。

 

千葉は2010年4月30日、仙台地方検察庁により殺人、殺人未遂などの罪で起訴された。更生可能性と、少年の死刑適用の可否が焦点となった。「強固な殺意があった」とする検察側の主張に対し、弁護側は弁護団を結成し「殺意は突発的に生じた」と主張。殺意の発生時期や程度も争点となった。胸を刺され重傷を負った男性は「千葉は『全員ぶっ殺す』と言い、次々に刺していった」と証言。また共犯の少年Bは自分が実行犯役となるよう千葉に命令されていたと証言した。

 

千葉はBに凶器の万引きや刺し方などを指示したり、「皮手袋をすれば指紋が出ず完全犯罪だ」とも言ったという。しかし直前になりBが実行犯役を拒むと、千葉は「俺がやる」と言い犯行に及ぶが、凶器にBの指紋を付けさせた上にBが犯行を行ったという証拠を完全なものに仕立て上げる為に、Bの衣服を奪って返り血対策を兼ねて着用するなど、様々な隠蔽を図っていたことも明らかになった。逮捕当初も犯行を供述するBに対し、千葉は「俺は関係ない」と容疑を否認していた。

 

さらに千葉は実母への暴力で家裁において審判を受けた経験があり、犯行後「『泣いたり、父親がいない家庭事情を話すと、裁判官の同情が買える』と話していた」とも証言された。検察側は「犯行は身勝手かつ残虐で、罪を他人に擦り付けて逃れようとするなど計画的であり、更生の余地は全くない」として死刑を求刑し、弁護団側は「少年である事と家庭の事情を酌むべきであり、主治医の診断結果からも更生の可能性は十分にあり、極刑は不当である」として保護処分を求めた。

 

2010年11月25日、仙台地方裁判所で判決公判が開かれ、裁判長は事件の残虐性や身勝手さを指摘し「犯行態様や結果の重大性から考えれば、家庭の事情を量刑上考慮することは相当ではない」「犯行時に少年であることが死刑を回避する決定的な事情とまではいえない」として、求刑通り千葉に死刑を言い渡した。日本の裁判員裁判で被告に死刑判決が下されたのは「横浜港バラバラ殺人事件」に次ぎ2例目であり、少年が被告人の裁判員裁判では初めてだった。

 

この裁判は通常の少年事件とは異なり加害少年の生育記録などが重視されない異例の判決であったため議論を呼んだ。この判決に少年側弁護団のひとり、藤田祐子弁護士が記者会見で怒りを露わにしながら「大変残念な判決だ。本人に会って話をしたところ、 判決を受け入れたいと言っていたが、弁護人としては考え直して控訴を検討するよう話した」と述べ、更に「集中審理の中で少年の心情の変化がほんとうに裁判員に理解してもらえるのか、限界のようなものを感じた」と話した。

 

弁護団はその後、控訴に消極的だった千葉を説得し、2010年12月6日、事実誤認及び量刑不当を理由に判決を不服として仙台高等裁判所に控訴。控訴について弁護団は「千葉は死刑を受け入れて死ぬことだけが償いではなく、生きて被害者に対して謝罪の気持ちを持ち続けることもひとつの方法ではないかという気持ちになったようだ」と控訴理由を説明したが、この知らせを聞いた被害男性は「生きて償うとはどういう事なのか分からない」と少年と弁護団を真っ向から批判した。

 

一審判決の控訴から3年を経た2014年1月31日、仙台高等裁判所は一審の死刑判決を支持し、控訴を棄却した。これに対し、弁護団側は「原審資料に偏った認定をしている」との理由から判決を不服として最高裁判所に即日上告。上告審口頭弁論公判は2016年4月25日、最高裁判所第1小法廷で開かれた。弁護側は「未成熟な人間性を背景にした衝動的犯行。精神状態の審理が足りない」として死刑判決の破棄を主張し、検察側は上告棄却を求めて結審した。

 

上告審の判決期日は当初、6月9日に指定されたが、後に「主任弁護人が出廷できないとの理由で期日変更を申し立てた」弁護人の申し立てを認めて6月16日に期日が延期された。2016年6月16日、最高裁第1小法廷は死刑とした一・二審判決を支持し、被告人千葉祐太郎の上告を棄却する判決を言い渡した。このため、千葉の死刑判決が確定することになった。日本の裁判員裁判で死刑判決が言い渡された少年事件で死刑判決が確定するのは史上初であった。

 

弁護人は「千葉は死刑判決自体には不満はないが、事実と異なることが認定されていることは受け入れられない」として、2016年6月27日付で最高裁第1小法廷に判決の訂正を申し入れた。しかし、申し立ては2016年6月29日付決定で棄却され、死刑判決は覆らなかった。2021年9月20日時点で、30歳となった千葉は死刑確定囚として、宮城刑務所仙台拘置支所に収監されている。2017年12月18日付で、千葉の弁護団は仙台地裁に再審請求書を提出した。

 

仙台地裁は2018年12月に請求を棄却し、2020年11月には仙台高裁が千葉の即時抗告を棄却する決定を出した。千葉は特別抗告したが、最高裁第三小法廷は2021年10月11日付で、特別抗告を棄却する決定を出した。千葉の死刑確定により「死刑の対象は明らかにすべき」「社会復帰の可能性が無くなった」「事件の重大性を考慮」などの理由で、読売新聞・朝日新聞・産経新聞・日本経済新聞・NHK・民放キー局などは匿名報道から実名報道に切り替えられた。

 

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